介護職の中にあって、六車由実さんは異色の経歴の持ち主といってもいいだろう。もとは大学の教員で、新進気鋭の民俗学者として将来を嘱望されていたが、いつしかその地位を投げ打って介護の現場で働きはじめた。ところが、 畑違いとも思われた介護の現場は意外にも「民俗学の宝庫」だったという。民俗学研究者の習性として何気なく始めた「聞き書き」は、介護士と利用者のコミュニケーションにおいて思わぬ作用をもたらし、今や六車さんが提唱する「介護民俗学」は多方面から注目されるようになっている。医療現場の医療者と患者のコミュニケーションを「介護民俗学」の視点で捉えなおすとどうなるのか? 静岡県沼津市の小規模デイサービス施設「すまいるほーむ」を訪れ、六車さんに話をうかがった。 (聞き手:編集部)
●患者と医療従事者との良好なコミュニケーションは生活の質や予後を改善し、クレーム、医療訴訟を減少させる。」
● 医師のコミュニケーション技術は患者、医療従事者双方にとって有用である。」
●「悪い知らせ」に関するコミュニケーションに関するプロトコールが開発されており、フレームワークごとに技術を学ぶことができる。」
●感情は「自然」と同様に考える。嵐も日を待てば良いお天気になる。早急に結果を求めず、理解、承認し、共感的に対応する。
●保健師が対応する困難事例は、近年ますます多様化、複雑化している。アルコール問題や精神疾患を抱え治療を拒否する人、心身機能が低下するがサービスを受け入れない人、極端に不衛生な環境(いわゆるゴミ屋敷)に居住するが片づけを拒否する人など、支援者が対応に困難を感じる事例は多い。
●しかし実際には、本人が「困りごと」を抱えているのである。コミュニケーションをどのようにとれば相手に寄り添い、相手の困りごとに対応できるのか、「支援を求めることができない」セルフ・ネグレクトの人への対応について述べていく。
●私たちは声と身体動作をコンマ一秒単位でやりとりしながらコミュニケーションを行っている。しかし、その実態を言語によって表すのは難しい。
●本稿では介護現場における食事介助を例にとり、職員と高齢者の緻密な相互行為を追い、従来は言葉に表しにくかった介助の技法を言語化する。対人関係をこのように言語化する試みは、今後、医療における身体コミュニケーションを捉え直すことに役立つだろう。
◆憲法は、権力によって侵されることのない「人間の権利」を求める闘いの中で生み出された。自由権を核心としたブルジョア革命直後の近代憲法は、労働者・民衆の闘いによって生存権など社会権を盛り込んだ現代憲法へ発展する。いずれも権力との闘いを通じた社会発展の産物である。
◆そうした世界史の本流から見た時、日本の歴史にはどのような特徴があり、現瞬間の日本社会にはどのような可能性が広がっているのか。大胆に試論を提示してみた。
■日本ではミュージシャンが政治的意見を述べると、音楽に政治を持ち込むなという声が上がる。とてもおかしな考えだと思う。欧米では芸術家や芸能人の政治的発言はごく当たり前のこと。「政治はわれわれの生活の一部だから」だ。とりわけ2001年の9・11以降、声を上げ、行動を起こすミュージシャンが目に見えて増えた。
■この連載では彼らがどのように政治に関わり、どのようなメッセージを発してきたかを紹介するが、その歴史をたどる前に、今回は2016年のアメリカ大統領選挙を振り返ってみたい。