第18回保団連医療研究集会の概要

                                 

はじめに

 第18回保団連医療研究集会は2003年9月13日(土)、14日(日)の両日にわたり、長崎市のホテルニュー長崎を会場に、保団連主催、主務長崎県保険医協会として開催した。主務協会として開催までの経過、当日の状況ならびに成果と課題をまとめ、集会終了の報告としたい。

参加者数

 参加者の目標数は市民を含めて700人に設定した。結果は県外が509人、県内390人の合計899人で、目標を大きく上回った。

 地方開催にもかかわらず、全国から多くのご参加をいただいた(不参加は4協会)。九州ブロックは5年前の熊本開催と同様、毎年開催している「九州ブロック地域医療交流会」を次年度に繰り延べして、医療研究集会に力を集中することを決めた。多数の参加と支援をいただき、「九州はひとつ」の団結力を示したものとなった。

 長崎県内の参加者は会員90人、家族・従業員99人、一般県民188人、未入会員7人だった。会員の参加者が当初は増えなかったが、分科会の発表演題一覧などのPRを強める中で、ほぼ組織の実状に見合った参加が得られたと言える。一般県民へは会員医療機関でのポスター掲示・優待券の配布、各種団体への案内、マスコミなどを通して宣伝し188人の参加があった。優待券持参者は166人にのぼり(一部従業員も含むと思われる)、効果があった。1日目を市民公開とした意義は十分あったと考える。


催しの概要

〈市民公開シンポジウム〉

 「健康づくりの落とし穴」をテーマに市民公開として実施した。シンポジストは内科開業の小内亨氏、毎日新聞社の瀬川至朗氏、東北大学医学部の坪野吉孝氏の三氏。小内氏は代替医療の定義や一般消費者が騙されやすい典型的な広告などを示し、代替医療の安易な利用に注意を促した。瀬川氏は、豊富な取材経験を元に、混乱している日本の健康食品の整理と情報公開の必要性を訴えた。坪野氏は、食品・医薬品の裏付けとなっている法律や、副作用情報を紹介して、健康食品の危うさを説明した。

 報告内容が三者ともに重複するところはあったが、シンポジストの冗談から飛び出した「怪しい医学博士」もキーワードとなって、満席の会場は盛り上った。“健康づくり”への市民の関心の高さを改めて示した。

〈記念講演〉

 長崎との関わりは、戦前日本の技術の粋を集めた戦艦武蔵の取材のため長崎に来たのが最初で、今まで105回になる。医学との関わりは、胸郭成形術を受けた経験があるため、心臓移植のドキュメンタリー小説を依頼されたのが契機であり、その後数々の医学歴史小説が生まれた。その際、心臓移植の世界第2例目をニューヨークの病院で実際に手がけたのは、長崎大学出身の故・古賀保範氏であることがわかった。

 以上の前置きの後、本題の解剖事始めに入った。1754年の山脇東洋が最初で、その後に前野良沢、杉田玄白の解剖があった。明治になり科学者・宇都宮孝之進の解剖志願があったが、篤志解剖1号はもと娼婦・ミキ(美幾)であり、病理解剖1号はデーニッツがおこなった脚気患者であった。

 これら史実の話の間に、ミキの腕の梅の刺青の艶めかしかったこと、刑死後解剖された、反乱の首魁・雲井竜雄が「女体の如く」であったことなど、作家らしい話が鏤められ興味を集めた。

〈会内シンポジウムJ【Gender Specific Medicine(性差を考慮した医療)】〉

 基調講演「女性外来は、日本の医療を変えるか?」では、対馬ルリ子氏がGender Specific Medicineの意義、クライアントの実情、診療の実際をわかりやすく説明した。女性を全人的に診る医療が注目されるのは、日本の医療における隙間を埋めている診療形態だからである。

 シンポジウムでは、国立大学(吉玉珠美氏)、個人での開業(安日泰子氏)、行政(土居浩氏)と3人が全く違う立場から女性外来について報告した。会場には予想以上に男性の参加も多く、さまざまな専門分野の医師も加わって活発な意見が交わされた。

〈会内シンポジウムK【医療ITの功罪】〉

 3人(松岡正己氏、秋山昌範氏、本田孝也氏)のシンポジストの報告、討議で深められた。

 功:医療のIT化は、医療機関の効率化・レベルアップと並んで、患者側にも利便性の向上や利点がある。電子カルテの導入はカルテ開示を意味し、医師・職員全員が無線端末等で入力可能により(医療行為発生時点情報管理システムPOAS等)医療過誤防止、職員の意識改革、事務負担の軽減、物流・コストの把握や、EBMにも有用である。薬局や介護施設なども含んだ電脳地域医療ネットワークへと発展する試みが、各所でなされている。

 罪:あらゆる医療行為や病気をコード化し標準化することは、一種の包括化であり、いろんな意味で医療の“個性”が失われる可能性がある。同時に審査・査定・指導が簡単に出来てしまう。また個人情報が漏洩、悪用される危険が付きまとう。

〈会内シンポジウムL【医師・医学者と戦争・平和】

 刻刻と迫りくる軍靴の音と硝煙の臭いに不安な日常に加えて、「有事法」で応召の義務を課されようとしている医師として、如何にすれば戦争に行かないですむかじゃなく、戦争を起こさせないことができるかを探るのが目的だった。

 当初の予想数十名を遙かに上回る百名余の参加で立ち聴きがでる盛況ぶりは、その関心の高さを物語っていた。3人のシンポジスト(朝長万左男氏、野村拓氏、平井正也氏)それぞれの戦争体験や反戦活動歴の上に立っての意見を述べられた。司会者は最後に、「経験に学び、情勢を深くつかむことから反戦の展望がひらける」とまとめた。時間不足で、討議を深めるという点では問題を残した。

〈分科会・ポスターセッション〉

 分科会は5つ(@「在宅医療・介護」、A「医科診療の研究および工夫」、B「歯科診療研究および工夫」、C「公害・環境・職業病」、D「医学史・医療運動史・医療と裁判・平和」)を設定した。

 Cの「公害・環境・職業病」分科会では、東幹夫長崎大学教育学部教授による諫早干拓問題のミニ講演を行った。諫早干拓による有明海の環境異変を科学的に実証し、集会終了後に実施された諫早干拓現場視察会(公害環境対策部主催)の事前学習ともなり、有意義だった。

 分科会の演題数は@13、A33、B23、C10、D9の合わせて88題だった。A、Dは発表10分、質疑5分で、@、B、Cは発表8分、質疑5分で行った。ほとんどの方が時間を厳守されたが、一部に発表時間オーバーの方がいた。「時間経過後は30秒ごとにベルを鳴らす」など、対策が必要と思われる。コンピューター(power point)発表での大きなトラブルはなかったが、小さなトラブルの内容もまとめて対策集をつくっておくことは必要と言える。

 ポスターセッションは当初ロビーで展示を予定していたこともあり、説明無しの展示のみとした。10題が展示され、いずれも見やすいよう工夫された展示だった。しかし、受付ロビーとは違う地下1階だったので、参加者の流れが少なかった。

共同調査

 医科のテーマは「ジェネリック医薬品の開業医の使用実態・意識調査」とすることを第5回委員会(02年6月25日)で決めた。歯科のテーマは第10回委員会(02年12月17日)で「歯科における医療連携調査」とすることを決定した。調査は医科、歯科ともに全国の協会の協力を得て03年4月10日〜5月31日の間に実施し、医科42.0%、歯科39.0%の回収率を得た。

 医科、歯科ともに時宜に適したテーマであり、共同研究にふさわしい調査結果が得られたものと判断している。結果を掲載した報告集は当日参加者に配布し、医科はオープニング行事の中で、歯科は2日目の第3分科会Bの会場で概要を報告した。なお、歯科の報告は第3分科会Bの演題発表終了後に行ったが、先に終了した第3分科会Aの参加者を十分に誘導できず、発表時の参加者が少なかったのは残念だった。

 集会での発表に先立ち、前日の9月12日に長崎県庁内でマスコミに記者発表を行った。新聞やNikkei Medical、メディファックスなどの業界誌で報道された。

以上

900人近い参加で開催された03年度医療研究集会