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「医師免許更新制」への疑問

「質向上と安全の確保」は自己研鑽と制度教育の充実で



全国保険医団体連合会政策部員 三浦清春


 規制改革・民間開放推進会議(以下規制改革会議と略)は、この3月、内閣への追加答申に「医師免許更新制の導入の検討」を盛り込もうとしていた。小泉内閣もこの答申の動きを受け、閣議決定する予定の「規制改革・民間開放推進3カ年計画(改定)」の原案に、「医師免許更新制は05年度中に検討し結論を得る方針」と明記していた。にわかに医師の身分にかかわる重要事項が注目されることとなった。

 しかしその後、自民党の行政改革推進本部総会等の合同会議で「医師の質の担保と更新制度の導入は関係ない」、「単なる医師いじめだ」など複数の議員から強い反対意見が出され、「医師免許更新制の検討」は「規制改革・民間開放推進3カ年計画(改定)」の原案から削除されることとなった。

 一方規制改革会議側は、「規制改革・民間開放推進3カ年計画(改定)」案に盛り込むかどうかにかかわらず、今後も医師免許更新制について議論していく考えを表明した(日本事新報4月2日)。従って今後も、この「医師免許更新制」(以下「免許更新制」と略)は政府や規制改革会議サイドから執拗に提案されてくるものと思われる。国民や医師の立場からこの問題について検証した。

医療事故対策、即「免許更新制」か、国民の真の願いは

 これまでも「免許更新制」の提案は、近年医療事故報道が多くなる中で、厚労省内部の検討会の報告(2004年1月)や財界の医療改革提言(経済同友会2004年4月)で医療事故対策の一環として触れられてきた。また、朝日、毎日など中央紙の主張欄でも、運転免許証の更新制を引き合いに出し、頻発する医療事故を防ぐために「医師免許更新制の導入は当然」という立場が表明されてきた。今回の規制改革会議の答申原案も、医師の質の向上および医療ミスを繰り返す、いわゆるリピーター医師対策とあわせて「免許更新制」の検討を提言している。

 また一方、医療事故の被害者や家族からも、技量に問題ある医師や倫理観欠如の医師に対する厳しい意見が出されることが多くなった。こういった流れや背景の中で、「免許更新制」を肯定的にみる国民は多くなってきている。

 しかし今一度冷静に考えてみると、国民の「免許更新制」にかける真の願いは、「よりよい医療を安全に受けたい」ということではないのか、また、その安全を最も脅かすリピーター医師はもってのほかということではなかろうか。

 そして、現場にいる私たちは改めてこの地点に立ち返って「免許更新制」問題を国民の立場で掘り下げることが肝要なことではないかと思う。

 規制改革会議がリピーター医師問題など、深刻ではあるが少数の問題を出し、一気に全医師を対象にした「免許更新制」を導入しようとするやり方は、混合診療の全面解禁を狙って、国会の公聴会等で極端な例を出し、世論をミスリードしようとするやり方に類似性を感じる。

 規制改革会議は医療分野の市場化、営利化を推進しているが、そのために医師を資格更新で縛り、コントロール下に置こうとしているかと疑ってしまう。

「医療の質の向上と安全の確保」の視点から論じられるべき

 「免許更新制」導入の是非について、そのものに限局した議論や他に優先した議論は、国民の願いである「医療の質の向上と安全の確保」という本質を矮小化してしまう危険がある。また、その視点抜きの導入は結果的に実効を上げないであろう。「医療の質の向上と安全の確保」は多様な要素が絡み合っている。もちろんその中で医師の資質向上は最重要素であり、多くの医師がそれを自覚しているところであり、学会活動など自主的な研鑽に勤しんでいる。しかしその他にも、病院の人員基準、特に欧米に比し少ない医師・看護師数(百床当たり医師、看護師の数、など)、そこからくる過密過重労働、拘束時間が長いことからくるゆとりのなさ、低い診療報酬上の問題、また生涯教育制度の未確立の問題など多様な要因が絡む。さらにその大本に、先進諸国の中でイギリスに次いで低い国民医療費(GDP比)の問題などがある。

 ちなみに、税金で運営されているイギリス医療(NHS)において2期目のブレア政権は、現場の諸問題を改善するために国民医療費を1.5倍、GDP比でフランス・ドイツ並みの10%前後に引き上げようと5年計画に入っている。そして具体的に医師1万人、看護師2万人を増やすことに着手している。日本政府も参考にすべきことだと思う。

 現段階では、政府や規制改革会議が「免許更新制」を導入した場合に、どのような方法で実施しようとしているか明らかではない。

 しかし、もし拙速に医師に自己努力のみを求めて、他の要因をそのままにして導入されることになれば、国民医療への弊害は少なくないと思われる。

 例えば、現場の医師が今でも多忙な上に、さらに更新対策のための時間と労力を取られ、診療に集中したり、患者に向きあう時間が減ってしまうことが懸念される。これは安全上も問題である。

 また、離島僻地などで診療し、更新のための条件が悪い人が排除されたりすると、いっぺんに地域医療が崩壊してしまう可能性がある。さらにまた、政府、厚労省、財務省などの医療費抑制政策や医師管理強化に利用されることも危惧される。

 従って「免許更新制」の検討は、国民の本来の願いであるわが国の「医療の質の向上と安全の確保」の視点に立ってしっかりと論じられるべきである。

 また、このことは多くの医師が日々進歩する医学医療の中で、「医療の質の向上と安全の確保」を自らの社会的責務として自覚していることと一致している。国民と医師・医療従事者が一緒になって日本の医療を良くする方向で議論できるようになればよいと思う。

そもそも国が与える医師免許証とは何か

 日本のシステムにおいて、そもそも国が与える医師免許証とはどういう性格になっているのであろうか。

 それは6年間の医学教育を終え基本的な一定のレベルは修学しているが、万能の出来上がった医師を評価しているものではない。基礎的知識の評価と同時に、これから日進月歩の医療分野に入っていって絶えず勉強(研修)し、それを患者・国民に還元できる資質、能力を持つ者として国が資格を与えているといえる。

 この点が、出来上がったものとして評価される専門医の資格・更新制度との違いであるし、またマスコミがよく援用する運転免許証の更新制度との違いである。従って医師は日進月歩の医学医療の中で、その後一生続く自己研鑽(研修)を社会的に厳しく義務付けられているのである。

 また一方、すべての医師が患者の診療にあたる臨床医になっているわけではない。基礎医学など研究に従事する医師や保健所長、検疫所医師、官僚の技官、また国会議員など、医師免許(資格)をもちながら多様多種な仕事場でその知識を生かしながら活動している医師も多い。こういった多種多様な場で活動している人も含めて、医師免許更新制とはいかなることをイメージしているのだろうか。その現実性に疑問を持たざるを得ない。

 よく規制改革会議などがアメリカは3〜4年に1回免許更新制をしていることを引き合いに出し、日本でも当然医師免許の更新をすべきと主張している。ここで若干制度の違いを押さえておく必要がある。

 アメリカでは、医師国家試験は連邦政府が実施して合否を判定しているが、医師免許証については州政府が当該州で診療活動する医師に交付しているのである。医師は州政府に国家試験の合格証と研修実績などの書類を提出して、審査された上で医師免許証を受け取ることになる。そして州によっても違うが3〜4年に1回、指定された講義単位数や実績を前提に更新が行われている。このことは医師資質の維持・向上と医療の安全確保にとって一定の合理性があるところである。アメリカでは公的国民皆保険制度をとっていないので保険医という概念がないが、日本の各県での保険医登録制度を更新制や受講単位や審査などを含めて厳しくしたものと思われる。

「免許更新制」問題、どう考えどうするか

 「医療の質の向上と安全の確保」の一環としての「免許更新制」を論ずるのであれば、医師に対して、生涯にわたっての自己研鑽・自己学習に励むよう求めることである。そしてその条件を創ることである。しかしこのことは多くの医師が自覚しているところで、国民には見えにくいが、不断に各種の媒体や症例検討会、講演、同僚への相談などを通して日々行っていることである。さらにそれを後押しするために、国に生涯教育制度の確立を求めることである。

 今回リピーター対策として、国(厚労省)が再教育制度の確立へ具体的に動き出したことは、その一環として評価できるところである。すなわち「免許更新制」の是非は、主に臨床医を対象に、最新の医療知識や倫理問題などを含む「生涯教育制度」や、問題医師への「再教育制度」の確立をまずはかり、医師の参加条件を整備し、参加実績をみた上で判断すべきである。その過程が医療の質と安全に対する国民の真の願いに応え、実効性のある道だと思う。

 現段階では、「医師資格」の喪失ないし停止を伴う医師免許更新制は、前述のように他へ影響する問題も多く、すべきでない。「医師資格」の喪失ないし停止を伴うものは、従来どおり医道審議会(その運用上の改善が、リピーター医師対策も含めて厚労省内で検討されつつある)で行われるべきである。