歯科医療改革提言−変革か衰退か 2004年版全国保険医団体連合会
1. はじめに−歯科医療改革提言にあたって
|
要点 1)皆保険制度と国民の歯科医療 2)歯科疾患の有病率と歯科受診率の極端な乖離、高い未受診・中断患者 3)減少傾向にある歯科診療費 4)患者が望む歯科保健医療 |
わが国皆保険制度における歯科保険医療給付の内容は、後述するように、「歯科保険医療の給付範囲が狭い」、「安全性、有効性が確立した新しい技術・治療方法の保険導入が遅い」などの問題はあるが、補綴治療は他の治療と同様保険給付の対象とされている。ドイツの歯科補綴給付は、2005年から公的医療保険給付より除外されるし、フランスにおける義歯給付は、一般診療所の外来給付と同様であるが、疾病金庫の事前了解が必要となるなど、制限が設けられている。こうしたわが国の皆保険制度における補綴給付によって、OECD先進諸国に比較してわが国の高齢者における無歯顎率は極めてよい成果をあげている。このことは、誤燕性肺炎の予防や要介護者における良好な介護状態の寄与にも結びついている。
医療的効果が数多く上がっている反面、補綴物、とくに義歯で原価割れの状態が起き、歯科開業医や歯科技工所・歯科技工士がその影響を被っている。政府は、自費診療を含めた「トータル」で採算がとれれば良いとするが、実際には、そのような状況にはなく、歯科開業医以上に、歯科技工所については存続・倒産の危機に瀕している。
このような原価と社会保険診療報酬上の評価の格差是正について、診療報酬の適正な引き上げで解消する方策をとらずに、厚労省の通知による「混合診療」ともいうべき措置でかわしている。その内容は、歯冠修復および欠損補綴に限り、保険給付外の材料などを用いた場合にも、当該歯のう蝕処置や根管処置などの前処置を保険診療とすることができるという内容である。
その上政府は、急速に進む高齢社会に伴って補綴給付の増大が避けられない状況に対しては、疾病構造の変化等を理由に、補綴給付を保険外給付にすることを企図している。補綴給付が保険給付外となれば、歯牙が欠損してもそのまま放置する患者が増えることは必至であり、そのことは、ひいては全身の健康維持や介護にとっても悪影響を及ぼしかねない。
高齢社会のピークを迎える今、求められていることは、できるだけ口腔機能の保全に資する行為への正当な評価と給付を高めるとともに、歯冠修復・補綴の一層の給付改善である。
こういう中でも、わが国の歯科医療機関では、患者の要求に応えて歯科医療を行い、その結果は、先述したように国際的(OECD先進諸国)にみても、65歳以上の無歯顎率については、きわめてよい成果をあげている。
歯を1本でも喪失すれば、さまざまな健康障害をきたすことは、よく知られている。また、歯を残すための必要な治療は、多大な労力がかかるにも関わらず、それらの行為に対する社会保険診療報酬の評価が低いだけでなく、場合によっては患者自身からの理解も得られにくい。それにもかかわらず、上述のような成果を遂げている要因には次のことがあげられる。
第一は、わが国の歯科医療が、皆保険医療制度下で、欧米先進諸国と比較しても稀に、歯冠修復・補綴が保険給付されていることである。
第二は、これら行為は不採算部門であるにもかかわらず、多くの歯科医師や歯科医療従事者の犠牲と負担によって、すすめられてきたということである。
一方、諸外国に比べて、わが国の12歳児や成人のう蝕経験歯やDMF指数が高く、さらに成人期における歯周疾患の状態の傾向は、歯科疾患実態調査報告が開始された1957年以降大きな変化はない。そればかりか、歯肉の状況では、報告を重ねるごとに悪化しており、この悪化を食い止めるためには、一次予防を含めた保健医療政策の早急な改善が求められている。
□D,M,F歯数と平均DMF歯数の国際比較
国別 | 対象人数 | D | M | F | DMF | 総歯数 | 無歯顎者(%) | ||
中学生" | ニュージーランド |
"1,026"
|
0.07
|
0.01
|
2.32
|
2.4
|
26.03
|
―
|
|
12〜13歳 | ポーランド(Lotz) |
938
|
2.73
|
0.18
|
2.17
|
5.09
|
25.61
|
―
|
|
ドイツ(エフェルト) |
"1,089"
|
0.37
|
0.09
|
2.69
|
3.15
|
25.74
|
―
|
||
HIS(Navajo)
|
375
|
1.33
|
0.05
|
1.76
|
3.15
|
26.71
|
―
|
||
(Sioux)
|
479
|
0.81
|
0.04
|
1.37
|
2.23
|
27.14
|
―
|
||
アメリカ(ボルティモア) |
373
|
0.46
|
0.01
|
1.23
|
1.69
|
26.24
|
―
|
||
(サンアントニオ) |
469
|
0.96
|
0.01
|
1.28
|
2.26
|
26.78
|
―
|
||
日本(山梨) |
"1,176"
|
1.23
|
0.01
|
4.06
|
5.29
|
26.99
|
―
|
||
|
|
|
|
|
|
|
|||
"成人" | ニュージーランド |
706
|
0.61
|
7.8
|
12.51
|
20.92
|
22.03
|
13.71
|
|
35〜44歳 | ポーランド(Lotz) |
685
|
3.81
|
10.94
|
4.51
|
19.29
|
20.68
|
0.88
|
|
ドイツ(エフェルト) |
570
|
1.12
|
6.57
|
8.63
|
16.32
|
24.27
|
0.53
|
||
HIS(Navajo) |
407
|
2.5
|
5.71
|
7.49
|
15.7
|
21.79
|
4.67
|
||
(Sioux) |
240
|
1.71
|
1.81
|
8.5
|
12.02
|
25.89
|
0.24
|
||
アメリカ(ボルティモア) |
314
|
0.52
|
2.38
|
9.44
|
12.33
|
25.9
|
0.96
|
||
(サンアントニオ) |
217
|
2.32
|
0
|
6.28
|
8.6
|
26.03
|
1.84
|
||
日本(山梨) |
660
|
1.31
|
2.51
|
9.88
|
13.7
|
26.79
|
0.15
|
||
|
|
|
|
|
|
|
|||
高齢者" | ニュージーランド |
197
|
0.25
|
24.96
|
3.61
|
28.83
|
6.92
|
59.55
|
|
65〜74歳 | ポーランド(Lotz) |
460
|
0.94
|
27.11
|
0.56
|
28.61
|
4.89
|
40.72
|
|
ドイツ(エフェルト) |
457
|
0.94
|
23.33
|
2.33
|
26.61
|
8.64
|
29.15
|
||
HIS(Navajo)
|
147
|
1.1
|
27.25
|
0.8
|
29.15
|
4.75
|
56.51
|
||
(Sioux)
|
359
|
2.12
|
21.23
|
1.48
|
24.83
|
10.77
|
28.49
|
||
アメリカ(ボルティモア) |
187
|
0.61
|
17.49
|
5.54
|
23.64
|
13.72
|
23.93
|
||
(サンアントニオ) |
274
|
1.18
|
15.25
|
5.21
|
21.64
|
16.63
|
14.38
|
||
日本(山梨) |
422
|
1.07
|
18.35
|
4.43
|
23.86
|
12.3
|
20.38
|
出所:WHO「歯・口腔の保健と医療」、(財)口腔保健協会
2)歯科疾患の有病率と歯科受診率の極端な乖離、高い未受診、治療中断
患者・国民の歯科医療における問題の第一は、歯科・口腔内の異常や悩みの訴えの割合(有病・有訴率)に対して、実際に治療を受けている患者の割合(受診率)が極端に少ないことである。その中でも、う蝕症の治療(24.9%)に比べて、自覚症状の乏しい歯周疾患の治療(20.1%)が低い(1999年「患者調査」)。
例えば、最も気になる症状別有訴者の治療状況(1998年国民生活基礎調査)をみると、「体がだるい」「いらいらしやすい」「もの忘れする」などの自覚症状の場合は、半数近くが未治療であるが、平均すると医科的自覚症状の場合の未治療者は3割弱しかいない。この背景には、昨今の不況下で所得が抑えられたり、リストラされる一方で、医療費の自己負担は増大するなどの状況に加えて、「初期の状況には自覚症状がとぼしい」など、う蝕や歯周疾患の特性がある。
日本歯科医師会の患者満足度調査報告(1994年)によれば、受診理由として「歯痛」が最も多く、次いで「歯がしみる」、「義歯製作希望」、「歯肉腫脹」の順である。歯科への受診は痛みが最大動機であることがわかる。このことは、う蝕や歯周炎が一定進行した状況にならなければ受診行動につながらないことを意味し、切削、抜髄、充填、抜歯という処置行為が増えることとなる。
□歯科医院を受診した理由別の状況(複数回答)
回答者数(人) | 割合(%) | |
歯がしみた |
393
|
25.3
|
歯が痛かった |
638
|
41
|
歯肉がはれた |
254
|
16.3
|
定期検診 |
86
|
5.5
|
歯科医院から連絡有り |
43
|
2.8
|
歯科医院から連絡有り連絡なし |
43
|
2.8
|
義歯を作る |
355
|
22.8
|
歯並びの治療 |
23
|
1.5
|
職場・学校での健康診断で指摘された |
16
|
1
|
事故・外傷のため |
11
|
0.7
|
その他 |
278
|
17.9
|
(「歯科医療についての患者満足度調査報告書、日本歯科医師会)
また、治療途中で治療を中止、転医した患者が多いのも、歯科医療実態の特徴であり、半数近くが治療を中断し、処置の必要なう蝕歯を抱えた状態におかれている。その理由に「痛みなど症状が治まったから」、「治療内容に不満があるから」があげられていることにも注視する必要がある(厚生労働省「保健福祉動向調査」、同「歯科疾患実態調査」結果等)。こうした点をふまえて、患者・国民の理解と協力も得て、患者・国民、とくに若い世代のニーズに応える、保存、低侵襲を重視した歯科医療へ今後10年間でどう円滑に変革していくかが我々に求められている焦眉の課題である。
家計に占める医科医療費の支出に対して、歯科医療費は下降傾向を示している現象も歯科医療問題の特徴の一つである(総理府家計調査)。昨今の長引く不況、リストラのもとで、国民の所得水準が低下し、家計が消費支出を抑制する傾向のある中でも、「医科診療代」は上昇しているが「歯科診療代」は下降している。
これは、患者、国民が、家計に余裕があるないにかかわらず、医科医療費については「必需的支出」と捉え、歯科診療費については、上述した3点の問題点ともからんで、家計に余裕が無いときは支出を抑えるという「選択的支出」と捉えていることのあらわれである。このような国民意識が醸成される背景は、@症状がでにくいなどの歯科疾患の特性の問題とともに、A「補綴部分は自費」という混合診療などの「歯科差額」政策の弊害、B良い治療を受けたければ多額の費用がかかるというマスコミ報道による影響が強いものと考えられる。
こうした中で、患者・国民が歯科保健医療に望んでいることは、「保険でよい歯科医療を連絡会」が行った患者アンケート(2001年5月実施)によれば、「保険の範囲を広げて欲しい」(71.1%)が最も高く、歯科医療費が「高い」、「いくらかかるか不安」という問題と、保険診療枠の狭い事への不満が出されている。
次いで「夜間休日も診療して欲しい」(49.9%)、「治療や費用を十分に説明してほしい」(41.3%)、「歯科検診の制度を確立してほしい」(35.9%)、「歯の健康に関する知識普及に努めてほしい」(23.8%)という順である。
これらの要望や前項で紹介した「治療中止、転移」と応えている患者の理由についても、歯科医療機関側は真摯に受け止め、制度改善とともに、患者への説明と理解、納得を得られる対策が必須となっていよう。
要点 1)わが国の歯科医療の9割以上を担う歯科開業医とその役割 2)目立つ患者の減少 3)歯科開業医の不安定な経営基盤 4)歯科従事者を雇用できない歯科開業医 5)現場の実態を反映しない歯科医師への診療制限 |
わが国の歯科医療は、歯科開業医が、その大部分を担っている。医療施設調査(2001年度)によれば、歯科標榜病院は全国で1341、歯科診療所数は62484施設であり、そのうち99%以上が開業歯科診療所である。
また、歯科外来患者数の83%(患者調査)が歯科開業医に受診しており、う蝕や歯周疾患での受診医療機関は、歯科診療所が75%(国民生活基礎調査)と圧倒的に歯科開業医が国民の歯科医療を担っている。
医療だけでなく、公衆歯科衛生活動についても、歯科開業医が担っている。例えば、公衆衛生分野で働く常勤の歯科医師数は2000年度現在、213人と全歯科医師数の僅か0.2%と非常に少なく、また小・中・高校あわせた学校歯科医数は4万7千人と全国開業医の4分の3に相当する歯科開業医が担っており、これほど多くの歯科医師が学校保健活動に関わっている国も類例がない。
今後も基本的には、このような状況からの劇的な変化は考えにくく、わが国の歯科保健医療の可否は、歯科開業医のあり方にかかっている。
歯科開業医の1日における患者数は、下降傾向にある(1970年の36.9人から1999年には18.4人へと削減)。この要因は、歯科医師増問題とともに、健康保険法や老人保健法など相次ぐ医療保険制度の改悪に伴う患者負担増による影響が大きい。
実際、医科では97年の健保本人2割負担導入による受診率減少から脱出できているが、歯科においては未だその尾を引いている。歯科は、医科以上に患者負担増の影響による受診抑制を強く被っている。例えば、厚労省が示した2003年4月から10月までの医療費動向をみても、健保本人3割負担による影響で、4月〜9月までは、医科入院外(対前年度比マイナス0.4%)、歯科(同マイナス2.7%)とも対前年比マイナスであったが、10月分に限ってみると医科入院外(同4.4%)がプラスに転じたのに対して、歯科(同マイナス1.5%)は依然としてマイナス傾向から脱却できていない。
この他歯科受診率減少の問題は、成人病検診をはじめ歯科検診制度などの政策の不十分さによる影響も大きい。このような患者数減少は、いくつかの要因が複雑に絡んで生じている深刻な問題である。また個々の医療機関においては、医療内容の説明など、患者への接し方などの問題も指摘されており、この点の改善も求められている。
中央社会保険医療協議会(中医協)が診療報酬改定の基礎資料を得る目的で行う医療経済実態調査結果によれば、歯科診療所の医業収入(自費診療費も含まれた総売上)は93年をピークに減り続け、01年は93年に比べて10.5%減少している。2001年には、医科開業医と歯科開業医の所得格差は100対52.5と大きく開いた。
こうした状況を背景にして、「医者の思い、患者の思い」医療意識調査結果(2001年医療研究集会共同調査)では、7割弱の歯科開業医が「保険医としての将来展望」についての設問で、「希望をもてない」と答えており、多くの歯科開業医が自信を失い、仕事に魅力を感じなくなっている。このような傾向は、安全で良質な国民歯科医療確保という点からも憂慮すべき問題である。
先のような厳しい経営状況も反映して、歯科開業医における従事者のリストラも進んでいる。保団連の会員意見調査結果の1993年と2000年対比では、歯科衛生士を雇用しているとの回答は、60.0%から65.2%と増加したものの、歯科技工士を雇用しているとの回答は、30.6%から22.5%に減っている。
中医協医療経済実態調査結果(個人立歯科診療所の常勤従事者数)の1986年と1999年対比でも、同傾向が示されている。これらの結果から推測されることは、歯科医師以外の歯科医療従事者に対する診療報酬上の評価として、唯一歯科衛生士に限って、歯科衛生士実地衛生指導料や訪問歯科衛生指導料が設けられていることである。さらに、中医協の調査結果で「その他職員」が減っていることと考え合わせると、歯科衛生士の業務実態が、歯科衛生士法第2条で規定され、歯科衛生士自身も望んでいる歯科疾患の予防及び口腔衛生の向上を図る業務以外の業務に追われている。この主な原因は、歯科衛生士についても、歯科衛生士法で規定された役割に見合った診療報酬上の評価がされていないことにある。
歯科技工士の雇用状況はさらにひどく、ほぼ半減している。歯科技工士に関する問題では院内技工の問題とともに、外注技工でも、例えば1993年の委託技工費(48万4,124円)に比べて01年のそれ(39万4,003円)は19%減少している。これは保険・自費診療を問わず、全体として補綴物が減っているという側面と、歯科医療経営の悪化に伴い、技工所の側で仕事確保のためのダンピングを余儀なくされていることが要因である。こうしたことによって、技工士における離職率の増加に拍車がかかり、技工士の高齢化(平均年齢47歳 日技‘03年実態調査報告)も進み、将来にわたって良質で安定した補綴物製作の確保が困難になっている。
今日、歯科開業医には、有病者、障害者などリスクをかかえた、全身管理を要する患者などの受診が増加している。しかし、歯科医師は、医師法17条に基づく医師・歯科医師の医療行為の峻別によって、歯科疾患以外の診断、臨床検査に対する制限が設けられている。明治時代に制定された同法律は、現在の歯科医師のレベルと国民のニーズからは非常に乖離しており、早急な改正を求めていくことが必要である。これら有病者や歯科金属アレルギー患者等への診断・治療、また感染症予防などに支障をきたしている。歯学教育における改善や医療連携をすすめるための制度保障などもすすめて、これら歯科医師における診療制限問題について解決をはかることが今日重要な課題となっている。
要点 1)保険給付の枠が狭く国民の要望にそっていない 2)地域や職域などを対象とする歯科保健の立ち遅れ 3)医療費削減の政策と保険外診療(自費)の容認 |
以上のような患者、国民の歯科医療の状況、歯科医療機関、歯科従事者の困難な状況をもたらしている最大の問題は、政府の歯科保健医療政策の貧困さにある。
政府の歯科保健医療政策の特徴は、
第一に、国民の「歯科保険医療の給付範囲を広げてほしい」という要求を無視し、安全性・有効性が確立した治療技術や方法を速やかに保険導入しないこと。
第二に、公的歯科保健政策の立ち遅れが歴然としており、住民健診、事業所健診、小児・学童歯科保健をはじめとした施策が貧困であり、その対策抜きに治療、口腔衛生のすべての責任を歯科開業医に委ねてしまっていること。
第三に、歯科疾患、歯科医療の特性を考慮することなく、保険診療において、学問的裏づけのない制限や実態に即さない包括を進めていること、である。
その中でも最たる問題は、厚労省が推進し、いまだに払拭されることなくきた「歯科差額診療政策」である。これは、「いつでもどこでも誰もが安心して医療が受けられる」という皆保険制度の下で、歯科医療給付の立ち遅れをもたらし、結果として公的歯科保険給付の不備を医療機関と患者・国民のあいだに問題転嫁し、全身の健康保持にとって重要な役割を担っている、歯科治療を患者・国民から遠ざけている。
診療報酬、医療保険制度、医療供給体制、歯科公衆衛生政策の面から、政府の歯科保健医療政策の問題点を次に指摘する。
要点 ルールなき不合理な診療報酬体系と医科・歯科格差 @ 診療報酬体系の構造的欠陥 A かかりつけ医機能をゆがめる「かかりつけ歯科医初診料」 B 施設基準の縛り C 在宅歯科医療の制限 D 少子化対策に逆行する乳幼児施策の縮小 |
歯科社会保険診療報酬は、皆保険制度のもとで、患者が保険で受ける医療給付の内容を具体的に規定するものである。あわせて歯科医療を提供している医療機関の経営を維持し、歯科開業医を含めて歯科医療従事者の労働条件も保障するものである。しかし、近年の診療報酬改定では、改定が政府の公的医療費抑制政策の手段として講じられ、医療機関に対して提供する医療の内容と質の変更を余儀なくさせている。
そうした国民医療にとって重要な性格を有している診療報酬の改定率は、物価・人件費スライド方式を政府が放棄した1981年以降1997年にかけて医科、歯科格差が際立っている。その間の医科診療報酬の改定率は48.9%であったのに対して、歯科の改定率は23.4%と半分以下に抑えられている。これは、この間薬価引き下げ財源を重点的に医科に傾斜配分するという「ルールなき改定」が行われたことが主因である。
これらの問題を引き起こす根本原因は、診療報酬の改定がルールと根拠を明確にされずに、政府の公的医療費抑制策の手段として行われてきたことにある。
(表 物価・人件費単純スライド方式を挿入)
改定内容の面でも次のような問題点を指摘できる。
J 診療報酬体系の構造的欠陥
診療報酬の評価の低さは医科・歯科問わず共通したものであるが、上述したように、とりわけ歯科診療報酬は低いまま放置され、医科歯科格差は相当なところに至っている。
こうした中で、多くの歯科開業医は様々に努力して日常診療を支えてきているが、この影響は、従業員の待遇の悪化、診療機器・機材の陳旧化、技工料の低廉化など多方面に及んでおり、診療の質の低下をきたしかねない危機的な状況に追い込まれつつある。
咀嚼機能の回復に欠かせない歯冠修復・補綴に対する診療報酬上の評価は、その前段階の印象、咬合採得、コアー印象など一連のチェアサイドの技術料も含めて、先進諸国と比べても低く抑えられているだけでなく、患者の歯をできるだけ残すための保存治療の報酬にいたっては格段に低く抑えられており、診療にも重大な影響を及ぼしている。結果として保存治療に十分な力が注がれず、歯科医療機関としても、患者の医療要求に応えられない状況に追い込まれている。
歯冠修復・補綴については評価が低いだけでなく、これを基礎にして診療報酬の側面から歯科治療の再編・体系化を画策している。
1996年の診療報酬改定で補綴物維持管理料を、補綴物の維持管理を名目に届出制として導入した。その内容は、自院で作製した当該箇所に関わるクラウンやブリッジの再製作を2年以内に行った場合の診療報酬の算定は認めないというものである。しかし、前述したように、歯科の特性として、治療が完了した後に、期間は患者の様態によって異なるものの、修復物の脱落、歯牙の破損が生じ、再治療を余儀なくされる。この期間は結局この措置は再製作を事実上不可能にしている。
また、補綴物維持管理の届出をしていない医療機関では、補綴治療関連の報酬が3割減額されるとともに、保存治療で行う加圧充填加算の算定もできない。このような「補綴中心政策」については、早急に改め、咀嚼機能の回復維持に必要な歯冠修復・補綴治療について、その前段階の治療を含めて適正評価に見直す必要がある。
(解説)「補綴中心政策」の誤りとは 第一点は、PL法の趣旨を適用して補綴物の製造責任を歯科医師に負わしたことである。具体的には、「補綴物維持管理」という位置づけで「施設基準」に導入し、この補綴物維持管理料を算定した医療機関では2年間は、同じ箇所にまたがる部分の補綴物を製作しても新たに診療報酬の算定はできないとし、事実上、保険では補綴物の再製作をできなくしたことにある。
第二点は、早めに処置を終了して噛める能力を回復しようとしても、前回の義歯作成から半年以上経過しないと義歯の再作製ができなかったり、院内で作製した義歯の修理費は、装着から半年以内には半減される。 さらに有床義歯については、義歯の補強線、遊離端義歯、義歯のろう着、難度加算など、患者個々の口腔内に応じて義歯の作製、装着を行う報酬を包括化して算定できないなど、施設基準や点数の包括化措置によって、補綴物を長持ちさせようとする政策は、補綴物に関する医療費抑制には資するかもしれないが、できるだけ歯を残すという歯周病やう蝕治療の指導などの診療報酬の評価を同時に高めなければ、いつまでたっても補綴物は減少しない。こうした政策を改める必要がある。
また、歯科医学発達の歴史から見ても、プラークコントロールを重視 し、必要な歯冠修復や欠損補綴を適切に行いさえすれば、口腔機能の改 善に大きく寄与できることが明らかであるのにも関わらず、指導、保存 治療など、歯牙を残すために必要な評価の底上げを行わず、良識ある学 会の意見を排除して、歯周病対策に、運用の複雑な「J型・K型」とい う制限的な治療ルールを持ち込み、結果的には補綴治療に移行せざるを 得ない状況に追い込んだことなど、診療報酬での「補綴中心政策」への 失敗が生み出したことにある。
K かかりつけ歯科医機能をゆがめる「かかりつけ歯科医初診料」
かかりつけ歯科医初診料・再診料(以下、「か初診・再診」)が「インフォームドコンセントを評価した」として、2000年の改定で導入された。これは、2002年改定に際して、日本歯科医師会幹部等が中医協委員に賄賂を贈るなどの働きかけによって一部算定要件が緩和されるという、診療報酬改定史上前代未聞の贈収賄事件を誘引した診療報酬である。
@「か初診・再診」の主要な問題点の第一は、患者の同意を得るという手続きを踏むとはいえ、歯科医療機関の側が患者のかかりつけ歯科医を決める仕組みである。一旦「か初診」が算定されると、患者が他の医療機関の受診を希望しても、「か初診」算定医療機関で治癒し、しかも2ヶ月以上経ないと、患者が希望した他の医療機関では、「か初診・再診」による療養の給付が受けられないといった制限が設けられている。これは患者の医療機関選択の自由を奪うものである。
A第二の問題は、「か初診・再診」の算定のための届出を行うか否かは、医療機関の選択に任されているといっても、「か初診・再診」を算定・届出を行わないと、保険による歯科治療に支障をきたすことである。それは次のような点数上の仕組みになっているからである。
「か初診」算定の前提としては、「補綴物維持管理」の届出が義務づけられている。その上に、「か初診」を算定・届出していないと、歯周疾患の継続管理を行うための報酬、う蝕処置の各種加算、歯科訪問診療のための連携加算などの報酬が算定できなくなっている。(下表「“か初診”届出・算定を条件にされた点数項目の変遷」参照)
これは、当該点数で定められた診療行為を「か初診」算定・届出医療機関以外では認められないということを意味するものである。「か初診」導入以降3回の改定が行われたが、「か初診」を算定しないと算定できない点数が改定の度毎に拡大している。
こうした問題点を内包する「か初診・再診」を廃止(「か初診」算定・届出を前提とした各種特掲診療料の縛りの廃止を含めて)し、患者の求めに応じた情報提供・指導などの診療行為を個別に評価するとともに、基本診療料である初診料・再診料をそれぞれの行為が保障できるよう引き上げ、改善することが、全ての医療機関で、患者が求めているかかりつけ歯科医機能を強化できる保障である。
表「か初診」届出・算定が算定要件とされた点数の変遷
L 施設基準という縛り
保険医療機関における一般的な療養の給付は、「保険医療機関及び保険医療養担当規則」の規定に違反しなければ、提供できるはずである。しかし、歯科診療報酬では、現場の実態と大きくかけ離れた施設基準が設けられ、そのことによって、保険診療が制限され、ゆがみが作り出されている。例えば、前述したように、「か初診」算定の施設基準として補綴物維持管理の届出が強制されている。この届出をしないと、「か初診」等の保険診療ができないだけでなく、補綴関連の報酬が3割削られるとともに、保存治療の一部の報酬(加圧充填加算)が算定できない。
また04年改定で導入された「混合歯列期の歯肉炎等の重症化予防の評価として歯科口腔継続管理治療診断料」等は、常勤歯科衛生士の雇用が施設基準とされたため、常勤歯科衛生士がいなければ、当該診療行為ができないという矛盾を生み出した。しかし、例えば、東京都や福岡県の都市部で歯科衛生士を雇用している歯科医療機関は全歯科医療機関の半分以下ということに示されているように、歯科衛生士を雇用している歯科医療機関は少ない。まして常勤雇用の歯科医療機関となればその数はさらに減ってくる。これは、多くの対象患者が歯肉炎等の重症化予防に必要な診療行為を保険で給付され得ないことを意味する。
また、2004年度の改定で導入された「歯科訪問診療料」の地域連携体制加算算定の施設基準では、病院歯科初診料届出医療機関との連携が盛り込まれた。病院歯科初診料届出医療機関数は、全国で355病院(2004年4月現在)にしか過ぎず、この数は医療法の医療計画で定められた第二次医療圏の数(人口30万人程度の日常生活圏単位に設定。現在363)よりない。また当該届出を行っている大学附属病院や公立病院の歯科でも、24時間の救急体制確保は困難と連携を断るケースも出ており、点数は設けられても実際には画餅の様相を呈している。
このような実態を無視した施設基準は廃止し、多くの歯科医療機関で安全、良質な歯科保険治療が、歯科医療従事者や他医療機関等と連携を強めて行える経済・制度保障が求められている。
M 在宅医療の制限
口腔内の清掃など口腔衛生を良好にすることは、全身の健康保持にもつながることが最近知られてきている。とりわけ、高齢者や障害者など全身機能が弱体化しているものにとっては、口腔衛生を良好にすることは療養生活をおくる上で必要である。
しかしながら、第三の医療と評され、高齢社会における役割が重要視されている歯科訪問診療における制限が強められている。02年4月の改定では、歯科訪問診療における一部の行過ぎた事業者への規制を口実にして、対象患者(「通院困難な者」から「寝たきりの者」)等の制限が行われた。この結果知的障害者や車いす利用者などの通院困難な患者から歯科訪問診療を受ける権利を侵害している。
こうした中で、04年改定では、在宅歯科医療を行う場合は、日本歯科医学会の「歯科訪問診療における基本的考え方」を参考にすることが明記された。この内容は、歯科訪問診療の対象や治療範囲を限定しており、結局のところ歯科訪問診療を必要としている患者の受療権を奪うことに変わりはない。今後の歯科在宅医療の確保にとって必要なことは、特別養護老人ホーム等に対して歯科医師、歯科衛生士の配置を義務付けるとともに、患者の求めに応じた往診でも、計画・継続的な在宅医療でも歯科訪問診療料として括っている、在宅歯科医療報酬を従来のように、往診と在宅に分けるなどして、患者からの求めに応じて必要としている患者・家族の要求に応えられる安全、良質な在宅歯科医療のエビデンスとそれを保障する診療報酬である。
N 子どものう蝕減少に役立った乳幼児加算とその改悪
6歳未満児の歯科治療は、成人に比べて人手やてまひまがかかり、治療に困難をきたすことなどの理由で、診療報酬上加算(処置、手術、麻酔、歯冠修復および欠損補綴の治療に対して100分の50加算)が認められていた。このような診療報酬上の評価によって、歯科医療機関での乳幼児のう蝕治療への取り組みが強化され、子どものう触の減少にも役立っていた。しかし、02年4月の改定では対象年齢を5歳未満に引き下げられた。必要な時期にかかわらず、このような政策変更を行うことは問題である。
O その他
歯科診療報酬の問題では、歯科衛生士や、歯科技工士に対する評価が低いこと、一般には認められる検査が高齢者には認められないなどの高齢者差別医療の問題などがある。また、製薬企業が採算重視の視点から、量的割合の少ない歯科用薬剤の治験・開発を行わないことや、鎮痛消炎薬剤に代表される一般用医薬品において歯科保険適応のための適応拡大申請を行わないなどのために、歯科治療に支障をきたしている問題もある。
政府は、医療保険財政の悪化を口実にして、老人保健、医療保険制度の改悪を繰り返し、患者負担を引き上げてきた。その結果皆保険制度のわが国の患者負担が世界最悪になってしまったという、皮肉な現象が生まれている。その上、高額療養費や高額医療費の申請償還制という不備な問題も重なって、政府の「軽治療には重く、重い病気には軽く」という主張とは異なり、長期慢性疾患の患者ほど負担が重く、治療中断などを引き起こしている。とくに、歯科の場合、前述した歯科医療の特性もあって、医科以上に患者負担増による受診抑制が深刻になっている。
早期治療が歯牙のためにもよく、また低侵襲で痛みも少ないことはよく知られている。これとは反対に、症状が進行してからの受診では、より侵襲の高い治療が避けられない。口腔の改善をはかるためには早期に受診できる環境を整えることが重要であり、そのためにも患者負担の引き下げとともに、高額療養費・高額医療費の現物給付制は不可欠な課題である。
政府は、1970年以降、歯科医師養成数の増加政策を推し進めた。1986年の「将来の歯科医師需給に関する検討委員会」の最終意見に基づき、1997年の歯科大学・歯学部の入学定員は、1985年度のそれに比べて19.7%削減されているとはいえ、90年から2000年までの間に歯科医師数は7万4028人から9万857人へと1万6829人、22.7%の増加を示している。これにより90年の人口10万人対歯科医師数は59.9人に対し、2000年には71.6人と10年前に比較して11.7人増加している。
現在の歯科医師の供給が需要にあっているかどうかは、さまざまな研究報告があり、その詳細な分析が必要であり、今後検討し別途提言する。しかし1年間の歯科医師増加率(2%)が昨今の人口増加率の10倍という現象は極めて異常といわざるを得ない。歯科医師は、医科医師と異なり、その大半が臨床研修終了直後から歯科開業医になる状況下にある。皆保険制度にありながら、欧米諸国に比べて医療費負担率が高く、また診療報酬のマイナス改定が進められる状況のもとで、このまま歯科医師増が放置されるならば、国民の良質な歯科医療の確保の上からも良策とはいえず、早急に改める必要がある。
わが国の歯科における公衆衛生政策は歯科医療政策にまして貧困である。例えば、1歳6ヶ月児及び3歳児検診の受診率は医科、歯科比べて大差ないが、老人保健法等における基本検診では雲泥の差がある。老人福祉法(1963年)では健康審査が導入されたが、日本歯科医師会が反対したこともあり、歯科検診は導入されなかった。保健と医療が一体となった老人保健法の制定時にも、歯科の健康相談等はもりこまれたものの歯科検診は設けられなかった。
その後歯科医師の努力と国民の歯科や口腔に対する関心の高まりに圧されて、老人保健法の中に歯周疾患検診が骨そしょう症の検診とともに導入されたが、骨そしょう症の検診率に比べて歯周疾患の検診率は極端に低くなっている。
この原因分析を行政や公衆衛生学会等の協力・援助も得ながら行うことが、今後の歯科公衆衛生の改善において欠かせないが、医科の成人病検診に比べて、歯科検診を受けられる体制が限定されていることなども大きな要因として指摘できよう。
また労働衛生における歯科検診の位置付けも弱い。その最たるものに、「8020運動」を推奨している厚労省でも職員の検診項目に歯周検診が盛り込まれておらず、わが国の経済団体の首脳においても歯科検診、口腔衛生に対する関心の低さが指摘されている。
将来歯の喪失につながるう蝕罹患率は低年齢では減少しているものの、15歳から64歳までの年齢層では90%を超えている。歯周疾患の所見のあるものも、45歳から54歳までの壮年層では、88.4%と全年齢層の平均(72.9%)を優に超えており、成人期の歯科検診の受診率が低いのが特徴である。この層における歯科の定期健診の拡充が急がれる課題である。
歯科公衆衛生施策を強化するために、歯科医師、歯科衛生士等の公共団体、保健所への充足、定着策も必要である。
昨今、歯や口腔機能が健全な生活や全身の健康に及ぼす役割の重要性が指摘されている。たとえば、
・ 胎生期の母体の健康や授乳をはじめとする育児の状態は歯の成長、発育、健全な歯列の形成に影響し、ひいてはそのことが顎、咬筋の成長、発育にも影響を与える。
・ また、子供の歯の健康は胎児期の母体の健康と栄養、乳幼児期の食生活と口腔衛生の管理に大きく影響する。
・ 嚥下などの摂食機能を向上させるためには、自らの力で咀嚼し、嚥下する機能訓練が重要な役割を果たす。噛むという行為が、単に栄養の補給にとどまらず、話す(構音)などの機能を含んでいるからである。
・ また、咀嚼機能の改善は誤燕性肺炎の予防、発ガン予防に「咀嚼と唾液」が重要な役割を有しているとの研究結果の報告も行われている。
さらに、糖尿病や心臓血管系疾患、アルツハイマー、運動機能の低下ストレスと脳と咬合関係の解明など、口腔、歯科機能と全身の健康とのかかわりの研究結果が公表されている。そして兵庫県歯科医師会の「8020運動」実績調査結果では、残存歯数が多いほど全体の医療費を引き下げるという効果を有している。
また、東北大学医学部の米山氏ほかの研究グループによる「口腔ケアによる肺炎予防効果及び医療費への影響」論文(『アメリカ老年医学会雑誌』(02年3月号)では、老人保健施設11ヵ所470人について毎食後口腔ケアを行ったグループと行わなかったグループ別の一定期間の肺炎の発症、死亡調査の結果が示され、口腔ケアを行えば、肺炎は減少し、その結果医療費も減るという結論を引き出している。これは厚労省の社会保障審議会医療保険部会報告の中でも報告されている。
しかし、未だ社会の中で、あるいは診療の場で、全身の健康にとっての歯や口腔の健康保持が大きな役割を果たしていることの認識が弱い。認識されてはいても受診行動には結びついていない。そのことは、先にも述べた歯周疾患検診の極めて低い受診率に端的に示されている。そこには社会経済的な要因も関与している。歯の治療、歯周疾患の治療、予防管理を通じて全身的な健康の獲得、保持、回復が大きく推進されるということを多くの国民の中に普及することが重要である。
食品や栄養の情報が氾濫し、健康志向が従来にも増して高まっている今日、全身の健康を基本から支える口腔機能に大きな関心が払われる時代をつくっていくべき時である。歯科界あげて「健康はまずお口から」(“Health Through Oral Health”)の大きな潮流を作っていく気概で取り組んでいくべきである。
そのためには、患者、住民の中に健康に対する意識の高揚、意欲が育まれてこそ、主体的な自己管理の意欲も生まれてくる。それは患者、住民の健康に対する「自己責任」でなし得るものでなく、国をはじめ多くの関係機関の努力を要する。
歯や口腔の修復、機能維持を担う専門家として、歯科開業医が歯科関係者だけでなく、各科医療関係者、保育・教育介護関係の専門家などとも連携をとりながら、患者・住民の総合的な健康管理・増進の支援に努めることが今後一層求められている。
歯科保健医療改革をすすめる上では、いくつかの大きな課題がある。
1点目は、国家財政レベルの課題である。わが国は、先進諸国の中でも公共事業予算に対して社会保障予算が極めて低い。OECD諸国の中でも、医療費の対GDP比率は21位と極端に低く、基本的にはここに医療問題の多くの根源があるといっても過言ではない。この解決の課題は、患者・国民とともに今後とも運動のなかで解決を迫って行く課題である。
2点目は、口腔の保健維持管理を含めた歯科医療が全身の健康に果している役割の大きさに関わる課題である。歯科疾患の克服、管理が果す役割は単に口腔機能を回復・維持するにとどまらない影響・効果を全身ならびに日常生活におよぼすことは多方面で確認され、歯科医療の充実・発展は疾病構造に少なからぬ変化をもたらし、医療費の配分にも変化をもたらすことも検証されつつある。歯科界あげて取り組むべき課題である。
3点目は、歯科疾患の実態に対する現在の歯科医療の制度的・体系的対応のあり方についての課題である。疾病の治療・回復、および予防が十分になされることが必要である。また合理的・効果的な療養体系であることも望まれる。その意味で現行治療体系に対する再検討が必要である。この三つの課題は、別個の課題ではなく、それぞれ一体のものとして平行して追求することが歯科医療改革においても必要である。
とくに、ケアに重点をおいた治療へと、いかにソフトランデイングするか、さらにはヘルスプロモーション、「健康なまちづくり」までをにらんだ制度保障が重要である。治療と保健予防・維持管理を含むケアを切り離し、また現行の治療の評価を引き下げ、あるいは給付除外を行って、その財源をケア、あるいは疾患の継続管理に振り向ける方策は十分な成果が得られない。ケアに重点をおいた治療への変革を実りあるものにするためには、保健予防・維持管理にいたる以前の治療評価の拡充とともに、ケア部分の制度的保障を確立することである。
そのことは、歯周治療の評価に顕著に示されている。歯周治療の評価を低いままに、維持管理の評価だけを少しばかり上げて、歯周治療のガイドラインを提示するだけでは、治療の成果が上がらないままに大量にはね出されてゆく患者を生みだし、ケアが供給側、患者側双方に根付いたものにならない。
両者の評価を引き上げることが必要である。その結果として治療充実の基盤のうえにケアへの移行が保障され、将来的にはより適正な歯科医療費体系が生み出されていくことになる。
これらの方向を、主に診療報酬、医療保険制度、医療供給体制、歯科保健政策分野において、年次的、計画的に、制度保障することが、わが国の歯科医療改革にとって焦眉の課題である。
診療報酬のありかたでは、改定のルールとその根拠を確立することと透明性が必要である。改定のルールとしては、@診療行為を個別に評価する出来高払いを原則にする、A歯科医師、歯科従事者の技術と労働を適正に評価し、また研鑽の保障を行う、B施設の維持、更新、療養環境の整備を保障する、C薬剤や治療材料価格を適正、安定化する、D患者のフリーアクセスを保障する、E診療報酬改善・引き上げの成果を誰でも享受できるよう一部負担を軽減し、特定療養費や保険外負担を解消する、ことが必要である。
また、改定点数の根拠については、@原価補償、経済変動に対応する、A医学・医術の進歩をできるだけ速やかに取り入れる、B中医協の全面公開、医療従事者、患者住民の参加を保障する、ことが必要である。
以上の点をもとにしながら、とりわけ歯科では医科の改定率と比べても格差が発生した1981年から1997の「失われた16年」の改定率を21世紀の早い時期に回復する。そのためには、定期改定分に上乗せして10年間で20%以上引き上げるべきである。この措置は、健全な生活を送る上で欠かせない必要十分な歯科医療を保険で給付するためにも、また低診療報酬のもとで、各歯科医院の経費削減、人材削減などによる経営努力で、苦しい経営を余儀なくされている実態を解消するためにも欠かせない措置である。
今後10年の間の5回にわたる改定内容では主に、
@患者にとって、より低侵襲初期治療へ重点配分し、40歳半ばから始まる「歯の喪失」をさせないようにするための、説明や指導管理などの技術を正当に評価すること。
A処置においても、より低侵襲の初期の処置の評価を高めること。また処置における麻酔の包括化をやめ、麻酔行為を個別評価すること。
B歯科医師が積極的に歯周疾患治療に取り組めるよう、関連点数(除石、歯周基本治療、指導管理、メインテナンス治療など)の報酬を見直すと共に、臨床の実態に合わない施設基準等の縛りを廃止すること。
Cか初・再診など基本診療料の二本立てをやめ、歯科医師の実地指導や情報提供としての計画書作成などを個別に評価すること。
D高度先進医療としてエビデンスの確立している行為を保険給付すること。
E有床義歯等補綴物の不採算を解消すること。
F在宅・訪問歯科診療の拡充をはかり、不当な制限は廃止すること。
支払い方式については、政府や中央社会保険医療協議会などでは、「“出来高”と“包括”の最善の組み合わせ」を理由にして、長期・慢性疾患等で「定型的な医療」への包括払いを拡大している。
われわれのめざす保存、低侵襲を重視した医療を進める上では、以上の行為を個別に評価した出来高払い方式が基本である。補綴物維持管理や歯周病の指導管理など、長期間にわたって行う治療管理を包括化する施策では、継続的な治療が困難になる。その上で、う蝕予防などの保健維持管理を日常診療において保障するために、包括払いがふさわしい方式ということになれば、指導管理を含めた技術料と、材料やホスピタルフイー(医療機関管理料)を別算定にするとともに、患者の納得が得られるようにする。そうして、歯科医療費を少なくとも現行の1.2倍にし、その割合についても、補綴部分の不採算の解消を前提にしながら、補綴と補綴外の現行比率50:50を50:70に是正することが、患者のニーズに応えることになる。
要点 1)異常な患者負担の軽減 2)保険給付の拡大と特定療養費制度の解消 |
歯科疾患・歯科医療の特性をふまえて、歯科有訴・有病率と歯科受診率の極端な乖離(歯科疾患実態調査によれば、有訴・有病率と歯科受診率の乖離は2対1、保健福祉動向調査による有訴・有病率と歯科疾患実態調査における受診率との乖離は8対1)を解消するためにも、老人医療をはじめ患者負担を軽減させる必要がある。
具体的には、@高齢者医療では、対象年齢を70歳以上に戻すとともに、一部負担の上限定額制を(1割負担が上限額未満の場合は1割負担を選択できる)復活する。A老人保健法対象者以外の医療保険制度の本人、家族の負担率は、入院、外来のいずれとも2割負担へ戻す。さらに医療費の動向をみて一部負担率を軽減する。
歯科では、現在でも、@高度・選定の特定療養費制度、A一部補綴治療の混合診療、B自費診療といった形式での保険外診療が行われている。これらは、政府が公的歯科保険医療給付の削減を行い、一方では、患者にその肩代わりをさせる「材料差額」を認めてきた政府の低歯科医療政策の延長線上にある。とりわけ、Aの特例混合診療は厚労省の通知で認められているものであるが、患者とのトラブルの原因ともなり、歯科医療の大きなひずみの温床ともなっている。
患者国民は、歯科における保険給付の範囲を広げてほしいと強く願っている。また歯科医療への関心の高さに逆比例して歯科診療代が減少傾向にある(総理府・家計調査)。その一方で、今日急速に望ましい歯科医学の方向(原因除去療法や保健予防、維持管理)にそって、患者にとって良質な歯科医療の方法・手段の開発がされてきている。このような状況をふまえて、安全性・有効性が確立したものは、保険給付の対象とすべきである。
特定療養費制度の拡大や混合診療の本格的な導入が行われれば、過去の診療報酬改定の歴史で明らかなように、保険給付の縮小に向かうことは間違いない。
そうなれば、一部裕福な患者だけしか歯科医療進歩の成果を享受できず、大多数の患者との差別医療が拡大する。そしてその方向はわが国全体の歯科医療水準の低下にもつながりかねない。歯科においては、高度先進医療も含めて特定療養費制度の拡大をやめ、現在の特定療養費制度についても計画的に全面保険給付すべきである。また、あらたな混合診療の導入をやめるべきである。
要点 1)地域の歯科開業医の基盤強化 2) 地域歯科開業医と医科病院診療所との連携強化 3) 公的医療機関へ二次機能を担う歯科の設置 4) 歯科医療機関の偏在、需給問題の改善 5) 歯学教育、卒後研修の充実。とくに歯周治療、高齢者歯科教育・研修の充実強化、歯科大学への助成 |
歯科医療供給体制の特色は、一部の高度専門医療を除いて、歯科開業医がわが国の歯科医療を担い、治療だけでなく行政等の委託を受けて歯科検診を行い、日常診療と結びつけて医療活動を展開していることにある。これは、歯科医師の半数が公衆衛生を担う北欧諸国とは異なるわが国の特色であり、この特色を大いに発揮させることが今後とも求められている。
その点では、歯科開業医の基盤強化が歯科医療体制確立の優先課題である。
その上で、歯科医療供給体制で求められていることの第一は、歯科開業医の院内における医療体制の強化である。これは主として診療報酬上の課題であるが、利子補給などの措置を講じて、院内における体制強化をはかる。
第二は、歯科開業医同士、医科診療所、病院との連携を強化し、歯科開業医が歯科診療を通じて健康を下支えできる全身的な医療管理の一翼を担えるような医療提供体制を確立することである。
第三は、公的施設に歯科を設置するなどして、在宅や障害者などリスク患者への歯科医療体制の拡充・整備をはかる。
第四は、安心して歯科医療に従事でき、また歯科医師の地域的な偏在を解消するため、歯科医師の養成は必要最低限にする。
第五は、歯科医学の卒前、卒後臨床研修制度のカリキュラムの中で、増大する高齢者、有病者の歯科医療を担えるよう、歯科治療時における全身管理、歯周病治療の実技講習を組み込むなど、歯科プライマリケアの研修・教育を重視するとともに、歯科医が治療時の急変等に即応し、歯科医師の救命救急医療ができるように法律上保障する。そのため臨床研修機関は、大学病院等に限らず、一定の基準を満たした開業医にも門戸を開くべきである。
また歯科医師法を見直して、歯科医師が感染症予防、歯科金属アレルギー患者への治療などに必要な臨床検査、睡眠時無呼吸症候群や隣接領域の診断治療などができるようにすることが時代のニーズであり、ひいては患者・国民の歯科的健康の向上に結びつくことである。
要点 1)乳幼児、妊産婦の歯科予防・検診の充実 2)学校歯科保健、検診の充実 3)国保、政管・組合健保での歯科保健・検診の制度化、保険者機能能の強化 4)高齢者歯科保健、検診の制度化 5)要介護者・障害者の歯科保健・検診の制度化 6)タバコ、甘味清涼飲料水等の社会的規制 |
歯科保健医療の変革には、診療報酬、医療保険制度、歯科医療供給体制の改革とともに、通院治療できない歯科疾患有病者、有訴者、乳幼児から障害者(児)、高齢者等を対象にした、歯科健康政策の拡充が必要である。
ヘルスプロモーションについては、様々な見解が述べられ、「健康日本21」などのように一部政策化されてきているし、また疾病保険である健康保険の中で、保健予防給付をすべきという論調もある。
ヘルスプロモーションは、1986年にカナダオタワでWHOなどが主催して開催された会議で承認された。別名「オタワ憲章」ともよばれ、先進諸国の生活全般を通じた健康戦略としての概念であり、その目標は、「すべての人々があらゆる生活場面で健康を自らのものにすることができる社会を創造する」ことにおいている。原理では特定の疾病を持つ人々に焦点をあてるだけでなく、日常生活を営むすべての人々に眼を向けることが必要だとしている。
この「ヘルスプロモーション」の原理にそって、捕食・摂食・嚥下障害、咬合不全の回復や構音障害など、有効な歯科健康政策の目標を達成させると同時に、健康なまちづくりの目標を立てて、国と自治体の責任と負担を強めて行うことが必要である。その場合、検診等の公衆衛生は国と自治体の負担と責任で行い、保健予防給付を医療保険の対象にすべきではない。しかし、実施にあたっては、治療と有機的に結びつけた施策が重要である。
その一つの方策は、患者負担を大幅に軽減するなどして受診率を向上させ、初期段階で治療できるともに、継続した維持、管理ができるように促す診療報酬の抜本的改善である。いま一つは、公衆衛生としての検診、健康指導の方策を強める必要がある。
こうした下では、半年に1回の歯科検診制度を確立する。そのため、歯科における成人病検診を労働安全衛生法で位置付けさせ、老人保健法における保健事業の一層の拡充、政管健保における2002年度から開始された歯科検診制度(モデル事業)の拡充とともに、早急に国保を含めた全ての医療保険制度で歯科検診制度を確立する。
また寝たきり老人等要介護者の口腔衛生を保持するため、介護保険の要介護者認定において歯科医の意見書を義務付けるとともに、在宅や施設における検診を制度化する必要もある。
検診の受診機関は、検診率を引き上げるためにも、「かかりつけ歯科医」など患者や国民が希望する医療機関で受けられるようにすることも重要である。
さらに、幼少・学童期からの歯科衛生教育の拡充が、健全歯を多く残す上でもまた将来の歯科医療にとっても重要な課題である。そのため、給食後に歯磨き指導を励行するとともに、義務教育課程における歯科・口腔衛生授業の導入を行うべきである。
また、歯科保健予防の害となる甘味清涼飲料水やタバコ等の社会的規制を強めるとともに、国の責任で国民への広報活動も強め、歯科医療関係者も積極的に関与するべきである。
われわれは、歯科医学の進歩を取り入れ、患者・国民の歯科医療要求に応えた歯科医療改革の方向をめざすための提言を、医療保障、医療供給体制、公衆衛生の面から行ってきた。
この中では、とりわけ診療報酬における変革を強く打ち出した。それは、社会保障としての国民の医療内容を規定している診療報酬が低く抑えられ、しかもその診療報酬の内容が、旧態依然としているからである。われわれは、その借りを政府に今後10年間で回復させ、今までその評価が不十分であった「残す」、「維持管理する」治療に重点配分するよう求めている。
なぜわれわれがそうした改革を求めているかといえば、そのようなシフト変更が早急にできなければ、わが国の国民の口腔はいつまでも歯周病が蔓延し、その結果わが国の世界に誇れる65歳以上の無歯顎率の成果を台無しにしてしまうと危惧するからである。
このままでは、「いつまでも健康で自分の歯で噛みたい」、そのために「保険でよい歯科医療を」求めている患者、国民にとっても、また、患者・国民の声に応えて積極的な役割を担うことを願っている多くの歯科開業医にとっても明るい展望は開けない。
こうした中で、われわれは、副題に、WHOの「口腔保健医療関係者に対する教育上の重要課題」の副題にあった「変革か衰退か」を拝借して、“変革か衰退か”とした。これはわれわれが、歯科医療を変革するという強い態度表明の証である。
以上