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【寄稿】ビキニ事件は終わっていない

保団連理事・静岡県保険医協会理事長 聞間 元
全国保険医新聞2017年3月15日号より)

 

 昨年2月、1954年に太平洋ビキニ環礁で米国が実施した水爆実験で被災した元船員やその遺族らを救おうと「全国ビキニ被災船員救済検討チーム」が発足。元船員ら11人が船員保険労災の申請を行った。事件から60年以上を経過してからも、被災者の救済が問題になるのはなぜか。同チームの代表を務める聞間元氏に、ビキニ事件幕引きの経緯や、被災者らの救済の問題点などを寄稿してもらった。

 

聞間氏

日米間で早期に事件の幕引き 放射能検査打ち切りの圧力も

 1954年3月1日未明、ビキニ環礁東方海域で操業中に巨大な火の玉とその後の轟音に遭遇、その後降ってきた「灰」にまみれた第五福竜丸の乗組員23人が14日早朝に焼津港に帰港した。乗組員たちの異様な様子に驚いた船元の依頼で診察した協立焼津病院の当直医は原爆症を疑い、症状のひどい乗組員2人を翌朝に東大病院に送った。この時乗組員が持参した「灰」の放射能が診断の決め手となり原爆投下以来の「急性放射能症」が確定した。
 その後全員が東大病院と国立東京第一病院に分かれて入院治療を続けたが、6カ月後の9月に最年長であった40歳の久保山愛吉無線長が死亡し、医師団は死因を「放射能症性肝病変」と発表した。久保山の病理解剖組織から東大理学部木村研究室によりストロンチウム90など9種の核種が分離されたが、これは世界初の内部被ばくの直接証明である。
 残りの22人は翌年5月に退院となったが、医師団は退院は治癒を意味しないこと、今後の長期観察が必要なことを内閣に報告した。その後の乗組員の健康調査は、ビキニ事件後に発足した科学技術庁所管の放射線医学総合研究所(放医研)に引き継がれた。
 久保山の死から21年後に46歳の元乗組員が肝硬変で死亡した。その後も50代、60代での肝硬変や肝臓がんなどでの死亡が続き、現在生存中の元乗組員は5人になった。

都内に展示されている第五福竜丸(第五福竜丸展示館提供)

福竜丸乗組員への見舞金で政治決着

 米ソ冷戦のさ中、この事件の影響で反米運動の広がりを恐れた米国は一刻も早い決着を急いだ。米国は原爆投下の翌年から開始していた太平洋での核実験を継続する必要があり、また日本は米国から濃縮ウランの供与を受けて原子炉(原発)の建設を始めるという日米原子力協定の発足を控えていた。
 米国は漁業界が要求していた漁業補償が膨れあがるのを恐れ、早期にマグロの放射能検査を打ち切るよう日本政府に圧力をかけた。米国が廃棄魚価の補償と福竜丸乗組員への見舞金で総額200万ドルを支払うという政治決着は外務大臣と駐日米国大使間の「交換公文」という形となり、両国とも議会での議決を要さない決着となった。こうして両国の思惑通りビキニ事件の幕引きが行われ、被災した福竜丸以外の900隻余りの漁船や船舶への調査はその後一切行われなかった。
 世の中は急に原子力平和利用が叫ばれる時代になり、水爆実験後に全国に降った「放射能雨」にあれだけ注目したマスコミもまた沈黙してしまったので、国民もいつの間にかビキニ事件を忘れていったのである。

日本漁船が放射能汚染マグロを取った海域(第五福竜丸展示館提供)

公文書の開示で被災漁船の調査結果明らかに

 私が第五福竜丸事件の調査を始めたのは95年からであったが、それは前年に旧ソ連の核実験場があったセミパラチンスク(カザフスタン)への日本被団協訪問調査団に参加したことが契機であった。そこで核実験場周辺の住民、医師、研究者たちに会い、核実験被害の長期的影響に目を開かれたのである。
 県内在住の同じ核実験被害者である福竜丸元乗組員のその後はどうなのか、焼津在住の元教員らとともに元乗組員への聞き取り調査を開始した。慢性肝炎が多いことがわかったが元乗組員の手元には検査結果がなく、放医研へ直接出向いて調査担当者に会い、C型肝炎への感染を確認した。元乗組員には健康調査以外に何の救済制度もなく、ビキニの被ばく者は被ばく者としての扱いを受けていなかった。

 そこで元乗組員の訴えをうけ船員保険の再適用を申請した。これは急性放射能症に対する当時の輸血に起因したことが濃厚であるが、元をただせば漁労中の被ばくが原因で生じた職務上の疾病だという理由からである。県および審査官から元乗組員の肝炎は職務外で「社会通念上の治癒」だとして却下されたが、社会保険審査会での公開審理を経て逆転の給付決定が出された。この取り組みの中で東大病院の医師団責任者だった三好和夫徳島大名誉教授から支持を得たこと、国立東京第一病院の主治医だった熊取敏之元放医研所長にも理解を得たことを記しておきたい。その後過去に肝硬変や肝がんで死亡した元乗組員の遺族にも遺族給付が認められた。

放置されてきたビキニ被災元船員

 昨年、ビキニ周辺で放射能マグロを取っていた高知県と宮城県在住の元船員7人と遺族4人の計11人から船員保険労災の申請が行われた。これは元船員のがんや肝臓病、心臓病などがビキニでの被ばくと関連しているとして請求を起こしたものであり、私は申請者全員の意見書を作成した。
 60年以上経った今になって何故申請かといえば、事件当時の政府公文書が2014年の秋になってようやく開示されたからである。それまで厚労省は被災漁船に関する調査記録や公文書は見つからないと国会答弁してきた。開示文書には延べ556隻分の放射能検査やマグロの廃棄記録などがあり、米原子力委員会からの文書を含め元船員の操業中の被ばくの事実が裏付けられたのである。
 2年前、染色体分析の専門家である田中公夫元環境技術研究所部長がビキニ被災船員19人の染色体検査を行い、広島大原医研の線量と染色体異常頻度関係式での被ばく線量推定を行った。これによると元船員の被ばく線量は平均92(39―295)ミリシーベルトであった。また豊田新岡山理科大教授が被災船員(田中氏の染色体調査では142ミリシーベルト)の歯の電子スピン共鳴(ESR)から推定した被ばく線量を319ミリシーベルトと報告したが、星正治広島大名誉教授は染色体分析からの推定線量に比べ歯のESR線量の方が個人差が少ないと説明された。

被災者への偏見は原発事故と共通 社会的分断の克服を

 1946年から70年代後半に至る約30年間、米英ソ仏中によって行われた核実験によって放射能汚染が北半球全体に広まった。WHOの世界のがん統計でみると、核実験が始まってから米国や日本での子どもの白血病死亡率が増加し、80年代になってようやく降下した。この時期、日本人の体内のセシウム137は放医研データで平均550ベクレルに達し、乳歯のストロンチウム90も国立予防衛生研のデータで55年ころから急増し64年生まれをピークに蓄積した。
 ビキニ事件と福島原発事故は被災者への社会的偏見や風評被害の問題などで共通点がある。事件当初は国民的同情を受けた福竜丸乗組員も見舞金の支給を受けた後には身を隠しての生活を送った。何の補償もなく風評被害で生活難に陥った焼津の漁民たちからねたまれ、自分たちが苦労したのは福竜丸のせいだという一部市民との間の分断が生まれたためである。
 このような市民間の社会的分断を克服するのは学校教育や社会人教育での取り組みでしかない。それなしに被災者への永続的な医療支援や生活再建支援が実現しないであろう。ビキニ事件の苦い教訓はそのことを教えている。

1954年の6回の水爆実験(キャッスル作戦)の規模

米国がビキニとエニウェトク両環礁で行った核実験は計67回(1946〜58年)

そのうち54年3月1日の15メガトンの水爆実験(ブラボーショット)が最大規模

爆発威力は総計48メガトン(広島型原爆の3,200発分に相当)、セシウム137だけで約280ペタベクレル(チェルノブイリ原発 事故放出量の約3.3倍)

第五福竜丸乗組員の被ばく線量:1.7〜5.9シーベルト(広島爆心地から0.9〜1.2キロメートル)

ビキニ環礁東隣のロンゲラップ環礁島民の被ばく線量:平均1.75シーベルト

以上