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「百姓の視点」が原点なんです
―福島県南相馬市 桜井勝延市長にインタビュー―

全国保険医新聞2017年7月15日号より)

 

【さくらい かつのぶ】1956年生まれ。福島県南相馬市原町区江井出身。78年3月岩手大学農学部卒業後、農業に従事。2003年〜05年原町市議会議員、06年〜10年南相馬市議会議員、10年〜南相馬市長。趣味はランニングと読書

 東日本大震災・福島第一原発事故から6年を過ぎ、原発周辺自治体の復興の現状はどうなっているのか―。保団連と兵庫県保険医協会は4月26日、福島県南相馬市の桜井勝延市長と懇談し、復興にかける思いを聞いた。保団連の住江憲勇会長、兵庫協会の加藤擁一副理事長(保団連理事)、広川恵一顧問が参加した。この懇談は、同市にある大町病院の生田チサト看護師の仲介で実現したもの。一行は懇談前に、市職員の案内で避難指示が解除された小高地区の様子や除染土の仮置き場、市内の災害公営住宅などを視察した。

 

市の元気を発信したい

 広川 兵庫協会は、阪神・淡路大震災の経験をもとに、この6年間、保団連と岩手、宮城、福島3協会に協力いただきながら、東日本の被災地への訪問を重ねてきました。受け入れ、関わらせていただき、学ばさせていただき、40回になります。

南相馬市は福島県浜通りの北部で太平洋に面し、面積は398.5km²。2006年鹿島町、原町市、小高町が合併して誕生した。11年3月の東日本大震災では、地震、津波、原発事故により大きな被害を受けた

 今回の懇談を企画してくれた看護師の生田さんとは、阪神・淡路大震災時、兵庫協会西宮・芦屋支部の震災対策本部に、東京都中野区の中村診療所・中村洋一先生とボランティアとして来てくれたことからの縁です。東日本大震災後、彼女から「被災地で人生最後の仕事をしたい」と連絡をもらい、青森協会の大竹進先生に相談し、保団連の中重治事務局長の協力で、大町病院で勤務されることとなりました。南相馬市の現状と課題について、市長から直接お話を伺う機会をいただき、感謝しています。
 生田 南相馬市に来させていただき、桜井市長にお会いし、また、保険医協会が東日本の被災地訪問を続けられている姿を拝見してきました。
 南相馬市の再興という一つの目標を見つめながら進んでいらっしゃる桜井市長と、阪神・淡路大震災のとき、全国から多数のボランティアとともに被災地看護・医療を提供された広川先生、お二人が出会うとすばらしいと思いました。

東日本大震災からの教訓を後世に残すため、市の被害状況や災害対応の記録などを展示している消防・防災センター

 今日、避難指示が解除された小高地区をまわって、2カ月前の2月の時と比べて、暮らしが戻っている、再興に向かっている、速い動きを感じました。市長が一つの目標を見つめ進んでらっしゃるからこそだと思います。
 住江 貴重な機会に同席させていただき、ありがとうございます。市長には、南相馬市民の命・健康・暮らしを守るという立場でご奮闘いただいており、敬意を表します。
市内を案内していただき、地域に住民が住み続けてこそ、地域が復興すると強く感じました。震災前に約7万人いた市民は、現在、市内に約4万7,000人、市外に8,000人、亡くなった方、転出された方が1万6,000人いると伺いました。
 将来展望としては、避難されている方々の帰還が重要な課題となりそうですね。

市民の生活スタイルにあわせた、木造平屋づくりの災害公営住宅

 桜井 その通りです。しかし、転出した方、子育てが終わるまで市外で過ごすという方が多くおられますので、その方たちに帰還を促す気持ちは全くありません。その上で、市が勢いを取り戻すには、いかに外から人を呼び込む仕掛けを作れるかが重要であり、南相馬の元気を内外に発信するのが私の仕事だと思っています。
 たとえば、「ロボットのまち南相馬」づくりに力を入れています。今年1月には市内の海岸で、世界初となる完全自律制御による回転翼ドローンでの長距離荷物配送の飛行実証試験に成功しました。

 

怒り通り越す大臣の暴言

 住江 皆さんが一歩一歩復興へと努力されている一方、政府は、原発事故の避難区域の解除を、20ミリシーベルトという基準で進め、賠償を打ち切ろうとしています。これは地域・住民の復興という観点から、大問題だと思います。
 桜井 事故の個人賠償は当然必要です。その上で、個人賠償だけでは、そのお金で別の地域の商品を買うだけで、地域の復興になりません。われわれは大きなものを失いました。最も大切なのは、地域を取り戻す、再生するということです。そのために住民が戻ってこられるようなインフラが必要だと政府に要望しています。しかし、国にはそのような姿勢が足りませんし、東京電力に至っては、そのような考えが全くありません。
 事故後、国は、福島第一原発周辺の地域を、距離や線量などによって、帰還困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域に分けました。南相馬市にはこの区域が全てあり、賠償金の額などに差が生じ、この線引きによって住民が分断されるという問題が起きています。ですから、細心の注意を払い、それぞれの住民の状況に気持ちを寄せて、ていねいに対応していくことが大切と思っています。
 加藤 今村雅弘復興大臣が、震災が「東北でよかった」と発言して更迭されました。今村大臣は、その前にも自主避難は「自己責任」と発言したばかりで、被災地に寄り添うという感覚が政権には欠如していると怒りを覚えます。
 桜井 あの暴言は、私たちにとって、怒りという感情を通り越す、とんでもないものでした。事故直後、政府からの情報も指示もまともにない中、私は市民に自主避難を呼び掛けました。原発事故後、多くの人々が自主避難を余儀なくされた事実をどう考えるのでしょう。
 われわれ行政の人間が、住民のためという原点を忘れずに働いていくことが、住民が自主的に戻り、生活を再建することにつながると思っています。「自主的」というのは、強制ではなく、本人が決断して行動することが何よりの基本です。
 広川 それは住民の自己決定を支えるということですね。この間、被災地を訪問し、さまざまな方とお会いしましたが、たくさんの方が同じように大変憤っておられました。各地で情報交換し、心を寄せ合っていくことが力になるのではないかと感じました。 

 

住民の声を復興につなげる

 加藤 この6年間、地震、津波被害に加えての、原発事故という複合災害の中、首長して大変なご苦労だったと思います。阪神・淡路大震災の経験からも、被災者の生活再建が一番の困難です。被災者の生活再建に必要なのは、一つは医療・介護、二つ目は職業・仕事、三つ目は住宅だと思います。放射能の問題もあり、これからも長い道のりだと思いますが、どう見ていますか。
 桜井 生業・生活の再建がおぼつかない住民の方々が多数おられます。その嘆きや怒りの中にこそ、市の方針として受け止めなければいけないことがあると心しています。
 医療に関していえば、市外に避難していた市民から13年に「医療機関がないから戻れない」と言われましたので、その場で「医療機関を再開します」と約束し、実現しました。このように、住民に言われたことが一つひとつ解決すべき課題になっていき、対応すれば、次は「こんな医療機関ではだめだ」と質的な不満に変化して出てきます。住民の方にも共に考えてもらうようにしながら、前を向いて、まちの復興を進めていきたいと思っています。
 広川 そのお話を伺って、「希望は絶望のど真ん中に」というジャーナリスト・むのたけじ氏の言葉を思い出しました。絶望を絶望としないで、てこにして、課題、希望としていくことが非常に大事だと。しかし、そう思ってもなかなかできることではありません。市長のすばらしい精神性に感動しました。
 桜井 私は01年に就任してから行政改革を徹底的にやろうと歳出削減を進めたのですが、震災直後は財政出動をどんと行いました。これに対する批判もあるのですが、局面が変わったわけです。それに対応した行動をとるのが当たり前です。11年は1年間で11回の議会を開き、財政出動の連続でしたが、必要なことに対し、すぐに措置していかなければ住民の声に応えられません。
 国が予算措置を行わなくても、学生が通学するためにはスクールバスが絶対必要なので、1日100万円かかってもスクールバスを20台出しました。そして、文科省と「これはそちらの仕事だろう」とけんかして、国に負担させました。
 広川 私たち医師も患者さんを診ていて、状況・状態の変化に臨機応変に対応します。患者さんを前に、何をするかは自ずと決まってきます。まさに同じことだと感じました。

 

「ただの百姓」の視点大事に

 生田 ずっと市長とお話させていただいて感じているのは、市長は「行政マン」なんだということです。
 桜井 いえいえ、私は「ただの百姓」です。大学卒業以来27年間、農業の現場で米作りや酪農を行ってきました。もともと市長になったのも、原町区に計画されていた産業廃棄物処分場建設を止めるためです。百姓の視点で、市民のために働くということを大切にしたいと思っています。農業を行う上では天変地異が起き、天を恨んだところでどうしようもない。地球や天候はこういうものだと受け入れた上で、どう対応するか、誰かに頼るのではなく自分なりに考えて対応しないといけません。この百姓の視点で市政運営を進めてきただけなのです。
 生田 崩壊しかけた町の再興には行政力が問われます。技と心とスピードを駆使して政府と渡り合い、関係を創って問題解決にあたられる姿を拝見していて、真の行政マンだと実感しました。
 住江 住民の声に応え、住民と共に課題を解決していく。大切な姿勢だと思います。先ほど見せていただいた市内の災害公営住宅もただの集合住宅だけでなく、低層階で庭がある住宅など生活スタイルに合わせて建設されており、その姿勢があらわれていると感じました。
 桜井 ありがとうございます。私は問題があれば、その解決のために、とにかく現場に出向いて権限のある人と直接交渉するようにしています。
 たとえば、昨年7月に避難指示が解除された小高地区で、調剤薬局がなかなか再開しないという問題がありましたので、市から病院薬剤師を派遣して薬局を開けようとしました。しかしこれに対し、東北厚生局からストップがかかったのです。そこで厚労省の事務次官に直接電話し、東京へ足を運び、原発事故被災地の特例として認めてもらいました。被災地のインフラとして必要という住民要求からすれば当然でしょう。
 また、この小高地区の高齢化率は55%に上りますので、医療機関の整備に加え、在宅医療が重要になってきます。色平哲郎医師(長野県・佐久総合病院)とは昔からの知り合いで、彼は「病気を診るより人を診ろ」、背景を知ることが大切だと、いつも在宅医療の重要性を語っていました。震災後に京都から来ていただいた市立小高病院の藤井宏二先生にお願いし、地区の高齢者は、皆在宅で診ることができるようにしています。

 

放射能より金に逆戻りでいいか

 加藤 市長は、全国100人の首長と元首長でつくる「脱原発をめざす首長会議」の世話人を務められていますね。
 桜井 はい。原発事故の教訓は、お金のために原発を許容すると地域がなくなるということです。しかし今、原発の再稼働が進み、プルサーマルも再開し、放射能より金という方向にまた逆戻りしつつあります。それではだめだという思いを強く持っています。

懇談後、市長を囲んで。(後列右から)住江憲勇保団連会長、工藤光輝保団連事務局次長、加藤擁一保団連理事、(前列右から)広川恵一兵庫協会顧問、生田チサト看護師、藤田誠治兵庫協会事務局長、桜井市長

 原発に頼る地域は、地域の資源・生業がなくなり、自治を失い、原発依存型になってしまいます。地域が長い時間をかけて連綿と築き上げてきた歴史を捨て、たった30年〜40年で地域を負の遺産に変えてしまっていいのでしょうか。このことを考えてほしいと、全国の首長に「脱原発都市宣言」をするように訴えています。南相馬市は全国に先駆けて15年に行いました。ただ、保身を考え、なかなか決断できない方が多いですね。このことについても、現場に身を寄せることが最も重要だと考えています。
 住江 保団連、協会も、原発事故を受け、命と健康を守る医師・歯科医師として、原発ゼロ・再生可能エネルギーへの転換を訴えています。ともに、脱原発社会の実現に向け、がんばっていきたいと思います。
 広川 生活者としての感覚の大切さ、日々の農作業に見る、工夫と粘り強さの大切さを教えていただきました。貴重なお話をありがとうございました。

 


宮城・福島協会理事長と懇談―住江会長「被災地の声届ける」

 

宮城協会の井上理事長(右3人目)、
杉目博厚副理事長(右2人目)
福島協会の松本理事長(左)

 保団連の住江憲勇会長は福島・南相馬市の訪問に前後して、宮城県保険医協会の井上博之理事長、福島県保険医協会の松本純理事長と懇談した。
 住江会長は、被災各県の協会の取り組みに敬意と感謝を表明するとともに、各県の復興の現状と課題、新たに生じている問題について話を聞いた。保団連として被災各県の協会と協力、連携して引き続き支援を強めていくことを強調。
 また、訪問後に予定されている全国災対連(災害被災者支援と災害対策改善を求める全国連絡会)などの国会内集会と内閣府等との交渉で、「被災地の声を届ける」と述べた。
 住江会長は4月25日、宮城協会で井上理事長らと懇談。井上理事長は震災から6年を経て、復興を実感し始めていることが県民の意識調査からうかがえるものの、地域間格差がはっきりと現われていると述べた。
 特に沿岸部の被災者は住宅再建や産業(生業)の再生と雇用創出の遅れから、復興を実感できていないなどとし、粘り強く取り組む必要があるとした。
 翌26日に、住江会長は福島協会・松本理事長と福島市内の診療所で懇談した。
 松本理事長は福島原発事故による医療従事者の不足が住民や医療者に困難を来していることや地域の再生が課題になっていると話した。
 また震災関連死が増えているなか、政府・電力会社が原発再稼働を進めていることを批判。住民、特に子どもの健康調査についての政府の対応に懸念を示した。

以上