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柏崎刈羽 再稼働は断念を
―規制委が「容認」審査の原発 保団連が視察―

全国保険医新聞2017年12月5日号より)

 

 

原子炉模型説明
柏崎刈羽原発サービスセンターで
原子炉の模型を前に説明を受ける参加者

 保団連は第32回公害視察会を新潟県柏崎市内で10月21日、22日に開催。45人が参加した。原子力規制委員会が同月に再稼働を容認する審査結果を出した東京電力柏崎刈羽原発の視察などを行った。視察会は、原子力規制委員会に審査結果撤回を求め、東京電力に柏崎刈羽原発の再稼働断念と福島第一原発廃炉作業への専念などを求めるアピールを採択した。
 視察に先立って新潟大学名誉教授の立石雅昭氏が「新潟県技術委員会による福島原発事故の検証」について講演した。県では再稼働の議論を行う前提として@福島第一原発事故の原因A健康と生活への影響B安全な避難方法―の検証を独自に進めていると紹介。今後の検証計画などを解説した。また、医師の本間保氏が、地元の再稼働反対運動などを紹介した。
 視察では、東京電力から、「安全対策等に6000億円投資している」などの説明があったのに対して、参加者から、「それほど巨額の費用を投じなければ運営できないならば再稼働すべきではないのでは」との声があった。


柏崎刈羽原発反対運動の歴史と現状

柏崎刈羽ネットワーク・医師 本間 保

  1969年、東京電力・柏崎刈羽原発建設が発表され、地元の若者を中心とした原発反対運動が始まって約半世紀たった。住民の強い反原発意識の中で、各地区で住民組織が結成され、個人加入の「柏崎原発反対同盟」と一体となって運動が展開されてきた。

 

県内一体の運動へ

 旧荒浜村有地売却、防風保安林解除、県道付け替え、公有水面埋め立て、軟弱地盤問題の焦点化、公開ヒアリング開催や議会の決定などさまざまな機会を捉えて、直接的間接的な運動が展開されてきた。
 しかし、地元政財界、国、東電の巨大な力により計画は着々と進められ、反対派が決定的なあるいは限定的な勝利を得ることは容易ではなかった。85年1月に1号機の運転が開始されると、商工業者の一時的な繁栄や、企業の職員への締め付けは、住民の批判的な声を抑えるに充分なものだった。
 運動は徐々に縮小傾向となったが、99年のプルサーマル計画発表を機に再び高揚した。プルサーマル導入に反対する医療界も含めた広範な市民が運動に参加し、これまで個別に活動していた全ての組織が一体となって住民投票実現の署名運動が展開された。刈羽村では住民投票が実現し、反対多数で計画は止まった。
 現在、柏崎刈羽での反対運動は全ての組織を横断的につないだものとなり、一致して、あるいは個別に活動を展開している。

 

安全な暮らしは 砂上の楼閣

 原発のある社会では安全な生活も健康な暮らしも砂上の楼閣のようなものだ。それは福島の事故で不幸な形で誰の目にも明らかになった。今後も、私達が決定的な勝利を得ることは容易ではないが、「3.11」以降、日本の世論は再稼働に否定的になっている。立地地域に住む者としては、原発のない社会を目指すことは義務でもあると考えている。今後も、粘り強く挫けず諦めず、活動を続けていく所存だ。今後もご支援お願い致したい。

以上