●日本の社会は今後長い期間、人口減少と高齢化が続くと予測されている。しかし将来人口推計は人口減少が続くとも高齢化率が無限に上昇することはなく、21世紀半ばには安定することを示している。35年後を目指して、世界一の長寿社会に適合した高齢者観とライフスタイルを生み出して、高齢者が社会の一員として活躍する、持続可能なコミュニティーを創造することが求められている。
●法医解剖は、死亡時にはっきり病死と診断できない場合、いわゆる異状死のうち警察が必要と判断した場合に行われる。高齢独居者や認知症の人を抱える家族の増加など、今日の日本の社会問題が原因で法医解剖される人が増加している。
●私たちの施設では、解剖例の約半数は独居者であり、認知症の人は全体の5%を超えている。法医解剖の現場で経験する異状な死の状況は、異状死を未然に防ぎ解剖されない死を目指すために必要な情報を含んでいると期待される。今後の多死社会に向けて法医学ができることを考える。
●日本は世界の先陣を切って、超高齢社会に突入していきます。日本がどのようにこの問題を解決し
ていくのか世界中が見守っています。これからの20年で大きく変わっていく日本の情勢に医療としてどのように関わっていくのか、父、宇沢弘文の残した「社会的共通資本」という理論から考えてみたいと思います。
●日本初の遺品整理業者をたちあげてから、数多くの孤立死の現場に接してきた。遺品を整理する中で、そこから生前の生活ぶりが見えてくると同時に、これからの時代に起きるであろうことも考えさせられる。1人暮らしの高齢者で目立ち始めた孤立死は、これからの時代を生きる私たちに、何を語りかけ、何を警告しているのだろうか。
●もはや血縁、親族ネットワークだけでは、老い、病、死を永続的に支え続けることは不可能なところまで、社会は変容している。それでは、どんな人も安心して死んでいける社会の実現のためには、生きている間の安心や死後の安寧を誰がどう保証すればよいのだろうか。本稿では、死後の共同性を模索する動きについて取り上げる。
◆近年の歯科診療報酬改定は、点数の低さはもちろんのこと、改定率の低さも現場に悪い影響を与え続けている。新規技術の導入は当然であるが、その一方で臨床に普及し頻用されている技術さえもが、他の診療行為に「包括」化されることがしばしばある。それも実質的評価をなくす、減じる形で行われる。診療側にとっては値引き、無償提供を意味し、必要な治療の実施が困難にもなる。患者にすればこれまで受けられていた治療が受けられなくなることがあることも意味している。これ以上の理不尽な改定はやめていただきたいものである。
■臨床医学は外科系と内科系とに二大別される。メスなどを用いて皮膚を切開し、腹腔や胸腔といった体の内部の病巣を摘出するのが典型的な外科医療であり、身体を外側から診察して投薬するのが内科的な医療だと、現代の私たちは信じて疑わない。
■しかし、わずか百数十年前までは「外科医」の仕事は文字どおり体の表面、つまり外側に限られていて、身体内部の病気は「内科医」に任せるべき神聖な領域とされていた。
■体の外側は「外(ソト)科」、内部は「内(ウチ)科」という当時としてはごく自然であった医療区分がどうして逆転したのだろうか。
■前回の連載終了後、読者からの要望を受けて3回にわたって続編の連載が決まった。今回は英国に舞台を移して、再び政治と音楽のかかわりについて紹介していきたい。というのは、年の就任当初はロック界との交流が話題にもなった労働党のトニー・ブレア首相への失望、そして保守党の政権奪還から、この10数年は音楽界が政治に対して一定の距離を保っていたが、EU離脱を選んだ昨年の国民投票、ジェレミー・コービン率いる労働党が若者の支持を得て、保守党を単独過半数割れに追い込んだ今年の総選挙と、国の将来を左右する重要な選択があり、再び音楽界でも声を上げる人たちが増えてきたからである。