●「健康自己責任論」の背景には、生活習慣だけで健康が決まるという誤解・無知がある。健康の決定要因には、遺伝子、生育環境をはじめとする社会経済環境など、自己責任を問えないものも多い。
●社会的要因によって認知症リスクが地域間で3倍などの「健康格差」は生まれ、ハイリスク戦略は期待された成果をあげられなかった。健康格差の生成機序を踏まえた「原因の原因」に迫る多面的な対策(処方箋)や保険医がやるべきことをしていけば、健康格差の縮小は可能である。
●「健康は自己責任」として、慢性疾患患者をバッシングする動きがある。健康は胎児期からの社会環境の影響を受けるなど、個人の努力では対応できない社会的な要因の影響を多分に受ける。そのため、健康がすべて自己責任とする考えは支持されない。自己責任として放置すれば、大きな社会的混乱を引き起こすことにもなり、不毛な論理である。
●臨床家も、時折自己責任的に患者を扱いたくなる時がある。これは臨床家の自覚の問題だけではなく、診療の制度によるところも大きいだろう。解決法として、「社会的処方」の仕組みの導入を提案する。
●WHO が健康の社会的決定要因の改善を各国に呼びかけた頃、日本では逆に特定健診など対策を個人に求める動きが強まった。日本の最大の健康問題は若者の自死とメンタル不調で、ストレスチェック制度も現状は科学的根拠のない個人対策に留まり、職場改善の取り組みは極めて弱い。
●メンタル不調や生活習慣病は作業(労働)関連疾患である。深夜勤務や過重労働・職場ストレスが不健康習慣をつくる脳や身体の仕組みが明らかになり、労働要因の健康影響は科学的に立証された。対策は職場改善と支援による安心・安寧が第一である。
●健康格差は社会的決定要因が最大の原因である。「分かっていても続かない」といったことを自己責任と捉えるのではなく、その根底に潜む社会的決定要因が原因だと考えることで新しい対策が見えてくる。こうした概念の普及は世界的にも難しく、加えて日本では「勤勉革命」以降の歴史的・文化的背景がより一層、自己責任論からの脱却を困難にしていると考えられる。本稿では歯科疾患を題材に、なぜ自己責任論では健康格差を解消できないのか、解消のためには何が必要なのかを説明した。
◆兵庫県保険医協会は、県内の全小中高校・特別支援学校に対して、@学校歯科検診で「要治療」と診断された子どもがきちんと治療を受けているのか、A「口腔崩壊」と言われる重度の口腔疾患の子どもがどれくらいいるのか、の調査を行った。その結果、治療を受けていないと思われる子どもが65%に上り、「口腔崩壊」状態の子どもが「いる」学校は35%に上ることが判明した。口腔崩壊の背景をさぐるとともに、その解決に向けての提案を行った。
◆日本を代表する文豪、夏目漱石(本名:金之助)が残した文学作品は、没後100年以上経っても古びることはない。近代文明がもたらす影響について、自らが生きる時代を超えてはるか先まで見通していた漱石の言葉は、現代を生きる私たちに強く訴えかけてくる。本稿では、漱石がどのように「自己本位」の立場を確立し、当時台頭しつつあった軍国主義にいかに対峙してきたのかを述べるとともに、現代の日本において漱石作品を読むことの意義について考える。
■古代から中世にかけての西欧では、神に祈って悪霊をはらう聖職者が「長衣の医師」として尊敬され、それなりに経験を蓄積して医術を発展させたが、血や膿などに触れる外科的処置や手術は「卑しい手仕事」として、床屋医者に委ねられていたことを前回に述べた。
■戦乱が続いていた時代には、負傷した兵士にその場で手当てをする必要があったから、創傷処理に熟達した床屋医者(Barber-Surgeon)たちは「軍医」として存在価値を認められていたが、大学でラテン語での医学を学んだ正規の医師から見れば、はるかに格下の「職人」にすぎなかった。
■1980〜 90年代に、英国の音楽界ではマーガレット・サッチャー首相と保守党が進める新自由主義政策に反対する立場からプロテスト・ソングをはじめ、政治社会問題を扱った作品が多く作られた。その保守党から労働党が政権を奪還したのが97年のこと。英国の新たな指導者となったトニー・ブレアは「ロックンロール世代の一員」を自称する43歳という史上最年少の首相だった。
■ブレア首相の誕生には、同時期の「ブリットポップ」の盛り上がりとの同時代性を見過ごすわけにはいかない。そこには政治とロックの蜜月期があった。しかし、それは短期間で終わってしまった。