当事者運動が「私のことは、私が一番よく知っている」と叫んだときに置き去りにされたのは、「私は、私のことを知らない」という状況に置かれた当事者だった。当事者研究とは、その「私」と「世界」を知るための実践であり、目的論的な態度や価値観をカッコに入れ、責任範囲の再設定を可能にするとともに、多数派の特性に合わせてしつらえられている言語のバリアフリー化を可能にする。当事者運動と当事者研究が互いに補完し合って初めて、可視性の低い障害に対する合理的配慮が可能になる。
患者と医療者の間には「まなざしの違い」や「力の不均衡」などさまざまな障壁が存在する。「対話(ダイアローグ)」は、その障壁に橋を架け、お互いの「声」を聞き合い、応答するという行為の中で患者と医療者が対等に近づくモデルである。そこでは専門家が専門家としての鎧よろいを脱ぎ捨てること、また対話のプロセスそのものを大事にするという「ポリフォニー(多声性)」の精神がある。
患者の「声」を医療者の専門知に取り込むためには、この「対話(ダイアローグ)」の概念が今後ますます重要となるであろう。
元新聞記者の筆者がパーキンソン病を発症して、約10年経過した。年数が経てば経つほど、苦痛の程度は増す一方。その間、妻による老老介護を経て、現在はサービス付き高齢者住宅で介護サービスを受けながら生活している。本稿では、闘病生活の苦しみや、介護サービスを利用する当事者の立場から介護保険制度について思うことを述べる。
慢性の痛みに苦しむ患者は、その痛みをなかなか理解してもらえず、本人にかかわる家族や医療者も対応に悩むことが多い。ところが、そんな孤立しがちな当事者の「語り」を共有することで、当事者同士に共感が生まれ、意欲を高め合うことにつながり、家族や医療者にとっても新たな気付きを得ることができる。本稿では、患者の声をデータベース化してインターネット上で公開している「健康と病いの語りデータベース」の取り組みの中から、慢性の痛みを抱える患者の事例を紹介しながら当事者の語りの可能性について述べる。
穴あきポリエチレンや食品用ラップを用いるラップ療法ならびに紙おむつ、生理用ナプキン等を用いた創傷治療法はその素材が手に入りやすく簡易なやり方であることから在宅の傷ケアに対して極めて有用である。施行にあたっては、創からの滲出液をよく観察して適切な素材を選択する方法論を身につけるべきであり、合併症を避けるためには創が過湿潤状態にならないことに特に留意すべきである。
糖尿病の標準的食事療法はカロリー制限を主とした食である。近年、糖質制限食が注目され、日本糖尿病学会は「糖尿病食事療法のための食品交換表第7版」で糖質の摂取を50〜60%と幅をもたせた。一方、伝統的な和食にエドワード・ハウエルの提唱する酵素栄養学をとり入れた「朝フル・まご和食」が糖尿病に極めて有効であることが判明した。新たに診断された2型糖尿病では、「朝フル・まご和食」の遵守のみで半年以内にHbA1c6.5%以下にできる可能性がある。
・ 江戸時代中期以降のわが国の大都会では「脚気」が蔓延し、死亡することも多く、「江戸患い」と恐れられた。
・ 明治期になっても軍隊で罹患者が続出し国防上の大問題となった。海軍では疫学的研究を生かして食事の改善(麦飯の導入など)により予防効果を得たが、陸軍は「脚気伝染病説」を奉じて白米食に固執したため多数の病死者を出し続けた。
・ 1897年にオランダ人医師クリスチャン・エイクマンが米糠中に未知の栄養素が存在することを発見、1910年に鈴木梅太郎がそれを濃縮分離してオリザニンと命名した。後のビタミンB1=チアミンである。