翻訳協力者等によるコメントや感想です
――ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」を読んで
「アウシュビッツは人間には何ができるのかを証明し、広島は何が危機に面しているかを証明した」という言葉が「平和へのアクション・・・」の1−3に引用されています。
前半の「人間には何ができるのかを証明し・・・」のくだりの真意が、私には正直よくわからないままでした。この真意をさぐるべく、フランクル氏の著書「夜と霧」を読むことにしました。ナチスの強制収容所に関して書かれている本としては「アンネの日記」に並ぶ有名な本だったのですが、恥ずかしながら私は手にとるまで著者についても本書についても知りませんでした。
精神科医の著者は本書の中で、想像を絶する究極の状況の中でさえ、人間として破綻せず、モラルを保ち、内面的に成長できる人間がいる、と語っています。そのことこそが、引用部分の「人間の可能性」の意味することでした。
強制収容所という生きる意味を見いだしがたい状況の中で、内面を破たんさせ人間性を失っていく多くの人々と、同じ状況下でさえ何とか人間性を保ち続けた人の違いはどこからくるのか。著者は過酷な状況が人を変えるのではなく、そのような状況でこそ、その人の本質があぶりだされると言っています。
人は自分の生に意味を見いだせなければ内面的に破たんすると著者は言っているのですが、それを見いだせずに人間性を放棄しようと決めるのも、人間としての尊厳を保つよう踏みとどまろうと決定を下すのも、自分自身である、とのこと。そして、踏みとどまれるのは、もともと精神的に強い、高いモラルの持ち主であると、著者は結論づけています。
全編にわたって、人間の行動に対する精神面からの分析がなされていますが、特に私が興味深いと思った部分を下にご紹介します
●「生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた」
●「人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。境界線は集団を超えて引かれるのだ。したがって、いっぽうは天使で、もういっぽうは悪魔だった、などという単純化はつつしむべきだ。事実はそうでなかった」(監視者の中にも人間的に被収容者を扱ってくれた人はいたという事実をさして)
●「現場監督がある日、小さなパンをそっとくれたのだ。……あのとき、わたしに涙をぼろぼろこぼさせたのは、パンという物ではなかった。それは、あのときこの男が私にしめした人間らしさだった。そして、パンを差し出しながらわたしにかけた人間らしい言葉、そして人間らしいまなざしだった……。」
●「わたしたちは、おそらくどの時代の人間も知らなかった『人間』を知った。では、この人間とはなにものか。……人間とはガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。」
なぜ人は、同じ人間に対してそのような「残酷な」もしくは「情け容赦ない」行動がとれるのか。人間の「品位」とは、「モラル」とは何か。著者の見解は、平和な社会に生きる私にとっても大いに示唆に富むものでした。究極の状況であぶりだされる自分の本性はどのようなものなのか。常に自分の見えない「本性」を疑い、意識しながら生活しようと、改めて思わされました。
文責 Y・E
2008年9月25日
2008年5月、メリーウイン・アッシュフォードさんの来日に合わせて、地元で講演会の開催と公立高校での特別授業を企画しました。それがきっかけで市民サークル「虹」を有志で結成し、8月には平和を考えるイベントを開催しました。これらを通じて一番感じたのは、「身近な人たちから平和は広がっていく」ことでした。
私は今まで、平和は大切だと感じながらも、そのために積極的に何か行動することはほとんどありませんでした。
"平和活動=デモ、集会"のイメージだったし、自分が何かできるなんて思わなかったからです。
しかし、今回これらのイベントのために一歩踏み出して、たくさんの人に会い、話をし、協力をお願いしました。その中で、友人や知人に声をかけたときに、思いがけず嬉しい協力や共感が得られることがたくさんあって、そのことに一番驚きました。
今までの私のように、みんなそれぞれ平和がいいなと思いながら、中々表面に出てこないんだなあと気づき、一方で、意外な人(私の思いこみで「この人は興味ないだろうと」と思っていた人など)が協力してくれることもあり、こうやって身近なところから平和が広がっていくんだと実感しました。
見知らぬ人たちに訴えるだけではなく、身近な人たちと繋がり、協力や共感を得ていくことも平和を広げるやり方の一つだと知りました。
そうして、イベントの度に"仲間"が増えていくのです。
先日は、娘の通う保育園の「九条の会」の学習会で少しお話しする機会も頂き、輪が広がっていくことをまた実感しました。
私が動けば、友人達が動き、私が変われば、みんなも変わっていく。
それがいつか世界を動かす力になることを信じて、平和のために自分ができることをできる範囲でしていきたいと思っています。
T.F.