町医者こそが集大成 作家・医師 帚木蓬生氏 インタビュー

 

 

 

 

 

―1人ひとりの医師の物語を通じて、日本の医療の歴史をたどれる小説ですね。

医師の親子の葛藤を書いてほしいという依頼が執筆のきっかけです。私は葛藤よりも、医師の一家が生きてきた時代を描き、日本の近代化の中での医療の歩みを浮き彫りにしたいと思いました。

―繰り返し出てくる「町医者」の言葉には、どのような思いが込められていますか。

私は精神科のクリニックを開業して18年です。患者さんとの関わりが濃密で、生活も含めて診られるのが町医者だと実感しています。町医者が患者とつながって診療しているからこそ、大学病院や総合病院に患者を送り、連携した医療ができます。町医者は、いわば地域医療の最前線だと思うようになりました。

―1代目の野北保造は、明治の終わりに回虫駆除で有名になります。

当時、回虫は大変な問題でした。一人の患者から排出された回虫が、1300匹以上という記録があります。そんな中で、独自の薬を使った回虫駆除で成功した医師の姿を描きました。
また、当時の医師は代金の未収も多かったと思います。農村だったら、診療のお礼は野菜などだったでしょう。今は公的保険があるから診療に対して当然に報酬が支払われますが、公的保険がない時代の医師はそうではなかった。そのことは忘れてはならないと思います。

―保造は、成功しますが早死にしてしまい、家族は経済的に困窮します。

町医者というのは今でも、そうした危険と隣り合わせです。病気になったり万が一のことがあれば、家族の生活、医院の存続など多くの問題が生じます。

帚木蓬生『花散る里の病棟』(新潮社刊)

実は自分も以前白血病にかかり、長期間入院しました。開業以来風邪もひかずにやってきたので、まさか自分が大病にかかるとは思ってもいませんでした。保団連ではそのようなリスクに備えた休業保障制度がありますが、当時は入っていなかったのです。休業保障は本当に重要な制度ですね。開業医の常識といっていいと思います。

 

―2代目の宏一の人生には、太平洋戦争が暗い影を落としています。「兵站病院」ではフィリピンのルソン島に送られた日本兵や軍医らの悲惨さが詳細に描かれています。

戦争中、ほとんどすべての医師が根こそぎ動員されました。九州帝国大学医学部では、医専を含めて1942年卒業の170人中、40人が戦死しています。
2011年に、第二次世界大戦中の中国や東南アジア、日本国内の軍医たちの記録を集めた短編集『蠅の帝国』『蛍の航跡』を出しました。
今回、そこに書かなかった話を盛り込んでいます。退却の際、歩行困難な患者には「適当な処置」すなわち安楽死させろという命令が出され、軍医がクレゾールの希釈液を注射して患者を死なせたというものです。患者もうすうす気づいていて、腕を差し出し「軍医殿、お世話になりました」と言って死んでいく。医師は、患者を自らの手であやめたという悔恨から、生涯逃れることはできなかったでしょう。

―戦争に関する悲劇では、「胎を堕ろす」の章も衝撃的でした。戦後の引き揚げ時に性暴力にあった女性の中絶手術を担った医師、看護師の話です。

 

福岡県の二日市町(現在の筑紫野市)に、引き揚げの途中に望まぬ妊娠をさせられた女性たちの中絶手術を行う施設がありました。
当時は暴行されて妊娠した女性に対しても人工妊娠中絶手術はできず、刑法の堕胎罪に問われる行為でした。それを知りながら、医師も看護師も手術をせざるを得ませんでした。国も黙認していたようです。
女性の陵辱は、戦争で必ず起こる悲劇です。医師らが戦争に翻弄され、こうしたこともしなければならなかった。その事実を書いておきたいと思いました。

―戦争の現実が迫ってくる描写には、作家の思い入れの強さを感じましたが、最近の政府の軍事費倍増や憲法9条改憲の動きは、どう見ていますか。

 

憲法9条は、かつて戦争に突き進んだ権力が再び暴走しないよう作られたものです。それを変えたら、戦前の日本に戻ってしまいます。許されないことです。軍事費を倍増させても、平和になるとは思えません。そんなお金があるなら、医療や教育に使うべきです。

 

―3代目の伸二は、医院に老健や特養も付設し、高齢者への医療に尽力しますね。

超高齢社会を反映した内容にしました。介護も見据えて医療を行わなければならない時代になってきています。
高齢者医療では、かかりつけ医として、患者さんに共感し、話にじっくりと耳を傾けることが特に大切だと思います。これは、町医者だからこそできることです。私は患者さんに、戦争中どうしていたかなど、来歴を聞くことがよくあります。そうした話を聞くことで、患者が元気になり、薬を大量に処方しなくてもよくなることもあります。
今、かかりつけ医を制度化するという議論も出ていますが、そうすると、患者が医師を選べるという日本の医療の良さが損なわれてしまい、患者のためにはならないと思います。

―最終章「パンデミック」では、開業医と勤務医それぞれがいかにコロナと対峙したかが描かれています。

 

政府の無策に振り回された事実を、時代の記録として書き残しておこうと思いました。
ワクチン製造に関しても、日本は国も企業も消極的で完全に海外に取り残されています。本の中に書いていますが、新型コロナワクチン製造に必要な遺伝子操作の基礎になる現象を発見したのは、日本人でした。しかしそれを応用して国産ワクチンを作ることができなかったのです。基礎研究の部分にかける予算が削られてきたことも、要因だと思います。

―4代目の健は、コロナ禍を経て町医者になる決意を固めます。「町医者こそが集大成」の言葉に、この本のメッセージが集約されていますね。

 

自分は開業以来、6700人の患者を診てきました。病院にいたらここまでは診られなかったでしょう。医師として本当に勉強させてもらったと思います。
これまでに身に付けた医療の技術、技能を発揮し、さらに磨きをかけることができるのが町医者だという意味を「集大成」の言葉に込めました。

―保団連は、開業医=町医者を中心とする団体です。先生も会員でおられますが、期待することは。

 

町医者は患者の生活も含めて診ていると、社会的な課題、倫理的な問題を考えざるを得ません。例えば私の場合は、ギャンブル依存症の患者を多く診ているから、カジノを作ろうという国の方針には当然批判的です。町医者の立場から、社会的な課題に取り組む保団連のような団体は大事だと思います。

 

ははきぎ ほうせい

1947年福岡県生まれ。精神科医。東京大学仏文科卒業後、TBSに2年間勤務。退職後、九州大学医学部に学ぶ。フランス留学後、87年九州大学医学部神経精神医局長、93年八幡厚生病院副院長などを経て、2005年に開業。福岡協会会員。
『三たびの海峡』(吉川英治文学新人賞)、『閉鎖病棟』(山本周五郎賞)、『水神』(新田次郎文学賞)、『蠅の帝国』『蛍の航跡』の「軍医たちの黙示録」二部作(日本医療小説大賞)、『日御子』(歴史時代作家クラブ賞作品賞)、『守教』(吉川英治文学賞および中山義秀文学賞)、『やめられない―ギャンブル地獄からの生還』など著作多数。

作家で精神科医の帚木蓬生氏(福岡協会会員)は、今年4月、新作『花散る里の病棟』(新潮社)を出した。九州で明治期から4代続く町医者一家をめぐる連作短編集だ。戦争、高齢化、コロナ禍など、時代により変化する医療の在り方が描かれる。作品に込めた思いを聞いた。