ブックタイトル医の倫理

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医の倫理

対談・青木富貴子氏×近藤昭二氏青木どうもやらせていたと。香山実行犯ではなかった。青木彼はプレゼンテーションがすごく得意だった。たとえばロ号棟に東京から参謀が来ると、細菌に感染しないように特別な衣服を着せ、捕虜がいるところに連れて行って確認させるわけです。参謀などにとってもすごいショックですよね、そういうことでまた研究費を引き出そうとか、いろんなことを考えていたんじゃないかと思います。香山当時はショッキングな方がむしろ「これは何かすごい研究ではないか」ということで研究費を引き出せたと?青木彼はそういうやり方をしていたようですね。香山恐怖心を煽って…今もどこかの過激派組織が首を切る映像を見せて…ということがありますが。青木そうですよね。Department of homelandsecurityが石井ノートを見たいと言ってきたのは、テロリストの心理を明らかにしたいからということでした。あれをアメリカ人で読める人はまずいないだろうと思いますが。香山私は精神科医なので個人的にも興味を持ってしまうのですが、そういう手法を身につけたのは、完全に個人的な資質からなのでしょうか。別にそういう教育を受けたというわけではないでしょう?青木石井四郎はものすごく出世欲が強かったようですね。近藤戦略家ですよね。青木彼は「大将にならなきゃならん」と言いました。軍医は中将までしかなれず、最高位まで務めたけれど更に大将にならなきゃならんと。香山家庭内でも4男ですから、そういう家庭内的な序列も影響したのでしょうか?青木でも剛男さんという次男はロ号棟の監視役ですよね。一番怖い仕事をしているんです。そして「兄ならば他言をしない」ということで信頼していた。加茂の村人を連れて行ったのも、やはり口を割らないという信用があるからだそうです。三男の三男さんは動物の方の責任者ですね。だからどちらかというと兄を使っていたわけです。近藤石井はある種の戦略家で、恐怖政治の仕方も上手かった。同時に私が一番問題だと思うのは、研究会をつくって競合させていたという部分です。優れた論文を表彰したり、研究報告に載せたり。実は戦後、その中堅どころが帰国してきて元の大学に戻り、博士号を申請する時に当時書いた論文を使っています。特に京都大学では、申請する博士号の主論文にくっつく付属論文に、シロウトが見ても分かるほど露骨に当時の論文がくっついているんです。戦後になっても、そういうものがまかり通っていたわけです。青木その時は人体実験だったのを、猿と書いて…近藤いえ、その論文はもっとはっきり書いています。青木はっきり人間だと書いているわけですか?近藤ええ。たとえば金子順一という人が博士号を申請した時にくっつけた付属論文に「PX効果の概算法」というものがあります。PXというのはペスト菌を帯びたノミです。ペストノミを散布するとどれくらいの効果が上がるか、その計算方法を記した論文ですが、その中の表に中国の被害地が記されています。そこに何グラム撒いた、効果はこうだという表があるんです。これまで言われていた常徳などの地域以外にも、広信、広豊や玉山なども記されています。香山効果というのはつまり感染者とか死亡者とかいうことですよね?近藤そうです。こういうものが京大の博士号申請の論文の中には数多くあるんですね。恐らく全国各地の大学にも存在していると思うので、それも一つの突破口になるんじゃないかと思います。香山ご本人の医学者としての業績に堂々とカウントされているわけですね。近藤そういうことです。以前、服部議員がこの文書を国会で突きつけて追求しようとしたのですが、政府は相手にしませんでした。これほど歴然としているものでも相手にしない。「後世、歴史学者のこれに対する評価を待つことにしたい」ということで。香山主論文でないにしても医学業績としてカウントされているということは、ねつ造でもない限り、形式的にはいわゆる事実として認定されたということですよね。それなのに、政府としてはそれを歴史学的な問題だということにしているわけですか。近藤そうです。ペンディング状態にしてあるわけです。将来他に何が出てくるか分かりませんが。香山素朴すぎる質問かもしれませんが、なぜそこまで頑強に否定して認めようとしないのか。そもそものところが非常に不思議なのですが…近藤そもそも隠蔽工作が始まった大きな原因のひとつは、細菌戦部隊が昭和天皇の勅令でできあがっている部隊だということでしょう。細菌戦も天皇の命令がなければできなかった。細菌戦が天皇の命令と参謀総長の指示によって行われたということは、はっきり記録上残っ14