ブックタイトル医の倫理

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医の倫理

歴史を踏まえた日本の医の倫理の課題その問いの8がそれです。「ドイツと比べて日本の過去の取り組みが不十分ではないですか?」というクエスチョンに対し、日本の外務省が3つの文章で説明しています。まぁ間違ってはいませんが、点数をつけるとすれば40点くらいですね。大事なことはほとんど触れずに言いたいことだけを言っている。その中で「単純な比較は意味がない」と。いずれにしても私は日独比較は不可避であると考えています。これは歴史を見れば明かです。共に敗戦国として、戦争をして復活していった国です。どういう風にして過去と決着をつけてきたのかというのは、比較されて当然ですね。「謝罪」による過去の克服ドイツに関しては、このようなことがよく言われます。「ドイツはいろいろ言われているけれど、実は謝罪をしてなんかいないよ」と。確かに90年代まではそうだったと思います。しかし、たとえばローマン・ヘルツォーク元大統領は、ワルシャワ蜂起鎮圧から50年経った1994年にポーランドの国会で演説して、「ドイツがポーランドに与えたすべての苦しみに対し赦しを請います」と言いました。あるいは次の大統領であったヨハネス・ラウという人は、強制労働の補償基金を設立する交渉のはじまりに際して、「遅すぎた補償」を詫びて「私はドイツの支配下で奴隷労働、強制労働を行わなければならなかったすべての人々に思いを馳せ、ドイツ国民の何において赦しを請います。私たちは彼らの苦しみを忘れません」という声明を発表しています。このような謝罪の発言は枚挙にいとまがありません。また「ドイツは植民地支配とは関係ないだろう」と言われることもありますが、2004年のシュレーダー政権の時に、当時の経済開発大臣のヴィツォレク・ツォイルという女性がナミビアに行っています。ナミビアはかつてドイツの植民地だった国で、100年前に現地のヘレロ族が起こした叛乱をドイツ帝国軍が鎮圧しました。その鎮圧が非常に残虐で、今日では「20世紀最初のジェノサイド」という歴史的評価が与えられています。ヴィツォレク・ツォイルは事件の百周年を記念する行事にドイツ政府と国民を代表して出席して、謝罪しました。こうした場面での謝罪の文言はどうしても定型的な表現になってしまいますが、それでもきちんと言葉で気持ちを伝えているんですね。日本も確かに謝罪はしていると思います。「痛切なる反省と謝罪」「お詫び」という言葉が村山談話にもありますし、アジア女性基金の文章にも確かにあります。ただ、それが本当に相手に伝わっているかどうか。何度も何度も同じように誠心誠意謝り、こうしたメッセージを出しているドイツと比べると、やはり日本の場合はかなり不十分ではないかなと私自身は思います。日常の中にあるモニュメントの数々これはベルリンにある、虐殺されたユダヤ人のために造られた有名な記念碑です。東京でいえば日比谷公園のようなところに建っていて、ユダヤ人を追悼しています。これは「躓きの石」といって、真鍮のプレートに足下を取られて下を見ると、こういうプレートに文字が入っているんですね。ここに誰々さんが住んでいて、1942年にここからアウシュビッツに連行されたという説明が書かれています。こうしたプレートが、かつてユダヤ人が住んでいた場所や、その他の被迫害者の居住地の近くなど全国各地に埋められています。これは芸術家の方が始めた市民運動ですが、今も非常に大きく広がっていて、支持者もたくさんいるわけです。ちょっと時間をかけてお目にかけたいのはこの写真です。ベルリンフィルハーモニーの手前にある灰色のコンクリートでできたバス。これは移動型のモニュメントで、ここには3カ月くらい停まっていて、その後別の町に行って同じようにあることを追悼しているんですね。何だか分かりますか?ナチ時代に精神障害者などを組織的に殺害する作戦で使われた、灰色のバスを模したモニュメントなんですね。中に人が入れます。さっきのホロコースト記念碑もそうですが、中に入ることによって、被害者の人たちがどういう気持ちで中に入れられたのだろう?と想像させるような造りになっています。25