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医の倫理

シンポジウムちなみにここは本当のバス停なんですね。普通のバス停にこういうものがあるということは、ベルリン市の議会できちんと認められたか、公的な手続きをとっているということです。こういうことがあちこちで行われることによって、様々な議論が巻き起こっています。市民も深く関わっています。これを実現するに当たっては障害をもつ親の会などが全面的に支えました。そしてかつてこういうことがあったということを、人々に知らせている。もちろん反対する人たちもいるに違いありませんが、確かにこういう運動が展開していることは確かです。が、この企業がどのようにしてホロコーストに巻き込まれていき、あるいは主体的にそれに関わったかという企業の暗部の歴史を、こういう形で展示しているのです。もちろんもともとここに資料があったわけではなく、ソ連が持ち帰ったものやアウシュビッツ収容所に残っていた資料を全部取り寄せ、コピーして常設展示しているということです。アウシュビッツはドイツからは遠いですから、案外ナチ時代はアウシュビッツを知らない人が多くいました。しかしこうして、明らかにアウシュビッツとドイツの工業都市は結びついていたわけです。公的記憶を共有する築いてきた記憶の文化これはちょうど今ドイツでやっているもので、安楽死殺害政策に関する展示の様子です。ここにあるのは当時連行されて行った人たちの写真で、「捕捉され、殺害され、絶滅させられた」という風に書かれてあります。ナチ時代にはユダヤ人だけでなく、こういう人たちも被害に遭ったということをいろいろな形で伝えようとしていることが分かります。これも展示です。フランクフルトにあるフリッツ・バウアー研究所と共催で展示しています。ドイツ語で「合法化された略奪」と書いてあります。これも、去年あちこち巡回していました。その中の写真に、フランクフルトの脇にあるハーナウという町で1940年に行われた競売の様子が映っています。後ろの男の子が喜んでいますが、追放されたユダヤ人が残していった財産をオークションにかけている状況なんですね。つまりホロコーストが本格化する前に既にユダヤ人は生きる権利を奪われ、生活に必要なものを略奪されていたわけです。合法的に、法のもとで。このように、今も展示という形で田舎町から都会まで日常的に過去の出来事が想起されている、というのがドイツ社会の一コマです。また、これは5年前にオープンしたミュージアムで、もともとは工場でした。それが東ドイツになった時に壊されて、その後、かつての工場を復元して一部だけ復元したものです。これ、民間企業なんです。トップ・ウント・ゼーネ社といって、アウシュビッツやダッハウなどの強制収容所の死体焼却施設を造っていた会社です。だからアウシュビッツに行かれると、この会社のロゴマークを火葬場で見ることができます。実は当時、ドイツは火葬がそれほど発展していませんでした。ナチは火葬派でしたから火葬場を造っていますこれらの例は、いわゆるドイツの公的記憶がどういうものかを示しています。公的記憶というのは、ある共同体にとって大事な出来事を、それを経験した・していないに関わらず後世にどう伝えていくかということです。どの出来事に注目するかということも、その共同体によって違います。一般的には、こうした負の歴史を自ら提示するというのは珍しいです。恐らくこれは、ホロコースト以後、世界で初めてだと思いますね。ですから日本でこういうものがないからダメだとは思わない方がいいかもしれません。ほとんどの場合、ネガティブな過去というのは水に流したいのです。ドイツでも基本的にはそう思う人が多かったのですが、ドイツの場合は、ホロコーストの出来事に向き合う際の考え方が非常にしっかりしていたと言っていいかもしれません。そしてドイツがこういうことをしたことが、今は1つの世界のモデルになり得ています。ドイツは明らかにあれだけのことをしておきながら、今やそれを上回るような信頼と影響力を獲得しています。これはやはり過去の取り組み、過去の克服がドイツにとってプラスに働いたということです。その結果として、ドイツ国内でもいわゆる公的記憶を伝えるという文化が広がっているし、支持されている。そして「記憶の文化」などと呼ばれているわけです。東と西で異なった戦後プロセス過去の取り組みに関しては、「過去の克服」という言葉がよく使われます。何か1回で済むような戦後処理とは違い、これはプロセスだとドイツの人は言います。プロセスだから持続すべきなのだと。熱心にやっている人26