ブックタイトル医の倫理
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医の倫理
歴史を踏まえた日本の医の倫理の課題Panelist 4人権問題はなぜ繰り返されるのか私は昭和44年に卒業した後、血液内科で白血病の患者さんの骨髄移植をメインに診療してきました。ですから私は哲学や倫理の専門家ではありませんが、40年余り臨床をやる中で様々なことを考えてきました。まず卒業の年に発行された野村先生の『医学と人権』という本から、引用したいと思います。“細菌戦や生体解剖事件によって象徴される戦時下の医学には、いったい何が欠けていたのだろうか。それを一言でいえば「人権思想」の欠如である。いいかえれば、医学が(人間)生物学に解消しきれない部分、これが「人権」の問題である。”今日のシンポジウムでも各々の方が言われていたことですね。戦時下の人権思想の欠如のために、医術が非人道的に使われてきました。戦後日本でも、人権尊重という人権意識がありながら、少なくとも医学会では人権問題が起きてきました。それはなぜだ?というのが私の疑問であります。それは、人権尊重という人権思想に問題があるのではないか。それをまとめたのが、一昨年に出しましたこの本です。『医師が「患者の人権を尊重する」のは時代遅れで世界の非常識ー日本の医の倫理の欠点、その歴史的背景』という、著者も覚えられんくらい長いタイトルを付けていただきました。一匹の蛇が巻き付いた杖を持つアスクレピオスの像を示しています。蛇が医学・医療を、杖はそれをコントロールする医の倫理。アスクレピオスの杖と呼ばれるものであります。どうすれば日本の医療界の民主化が進むだろうか?ということについて、本の内容をもとに私なりの結論をこれからお話したいと思います。人権擁護といえない非常識本のタイトルに、「医師が患者の人権を尊重するのは世界の非常識」と掲げました。では常識は何でしょうか。それは「医師が患者の人権を擁護する」であります。その歴史的背景は何かというと、ナチ医学の反省から今日の世界の常識が形成されたということです。一方、ひらおか平あきら岡諦氏(健保連大阪中央病院顧問)731部隊に代表される戦時下医学の無反省から、あるいは隠すために、「擁護する」ではなく「尊重する」としか言えない日本の医の倫理ができあがってきたということです。その欠点は、「医療の社会化」に対応できていないことです。医療の社会化とはどういうものか。2005年に出ました世界医師会の医の倫理マニュアルに書かれてあります。“Medicine is today, more than ever before, asocial rather than a strictly individual activity.”日医の翻訳では「今日の医療は、かつてないほど、厳密に個人的というよりも社会的な活動となっています」となっています。私が意訳しますと、「主治医と患者の関係に、第三者の意向が影響するようになった」。今日ほどそんな風になったことはないということでありまして、極端な例がナチ医学であろうと思います。国の意向が医師を介して患者の人権侵害をもたらしたと捉えるべきだろうと考えます。そうした医療の社会化に対抗できていないために、尊重はするものの、時に他の意向を優先して患者の人権問題が発生してきました。たとえば国の意向を優先して、不要な長期間隔離を強いられたハンセン病患者、あるいは食中毒対策への不作為で拡大した水俣病患者。また研究者の意向を優先した和田心臓移植事件。同じような言い方をしますと、薬害エイズ問題は安部薬害エイズ事件ともいえるかと思います。これは製薬企業の意向も優先させた産官学の構造薬害だと言われるようになりましたね。また人権問題ほどではありませんが、昨今問題になっている臨床試験も製薬企業の意向が優先されているということです。医療の社会化に対応できていない日本医師会は、こうしたことが起きても対応できていません。だから、現場31