ブックタイトル医の倫理
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医の倫理
歴史を踏まえた日本の医の倫理の課題果、日本では9つの倫理審査委員会しか認められなかったのです。3百何十という倫理審査委員会があるにも関わらず、その申請をして認めてもらおうとした倫理審査委員会が9つしか認められてなかった。これは先日の厚生労働委員会で初めて公表されたことです。私が質問して報道してもらったのですが、結局、倫理審査委員会というものと、これから法律で定めようとしている倫理審査委員会というものの整合性はどこにあるのか?ということを、今後の委員会で質問するつもりです。それくらい、今まさに倫理審査委員会というものがどういうものになっていくのかを法律で決めていくかどうか?という状況に日本はきているのです。拠点の中核病院である慶応病院でも、骨髄液を被験者から勝手に取ったという事件が起きました。群馬医大の腹腔鏡手術の問題もそうですし、今まさにテーマとして、タイミングとしても皆さんに考えていただく時期に来ています。また戦後70年ということもあって、731部隊と医の倫理というテーマが、研究する意味でも皆さんが考える上でも、非常に重要な時期に来ていると思いますので、是非もう一度改めて医の倫理をしっかり医学会総会で取り上げてもらえるように、引き続き皆さんから声を上げ続けていただきたいと思います。先ほど偏った医学会だという意見もありましたが、そうはいっても医療者の中でこういった倫理が考えられ、守られるようにしていくことが大切だと思います。これから医療基本法制定をという話も出ていますが、そうした意味でも、医療に対する基本的な考え方を、倫理的な指針も含めてしっかりと形にしていく、法制化していくことによってしっかり守らせていくことが必要だと思います。実際には私がつくろうとしている法律に対して、医師系の人から「こんなことを研究責任という風に責任を追わされたらたまらない」という話もあるのですが、そうした人にこそ医の倫理をしっかり守らせることができるように、是非皆さんで一人一人からまず始めていただければと思います。宜しくお願いします。石田私は、倫理学の分野には関わっていないのでちょっと的外れな話になるかもしれませんが、最後に申し上げたいのは、ナチドイツがどのように出来たのかということです。ドイツはその直前まではデモクラシーが支配していた共和国でした。そこにナチが台頭していった。あっという間に独裁体制になっていったのです。しかも民主主義の名において。よく言われるのは、「ナチ党は国民の世論で政権についた」ということですが、それは実は正しくありません。ヒトラーが政権を握る直前の国会は、国会議員の3分の1しかいなかったのです。しかしヒトラーを支援した大統領がいて、あっという間に2~3ヶ月の間に授権法が成立し、それも強引に、本当の意味の民主主義な手続きをとらないまま体制ができてしまった。たとえばアウシュビッツあるいはダッハウの強制収容所も、あれはなぜできたのか。それは1933年のヒトラー政権の成立がもたらしたのです。今、民主主義の危うさということを感じます。つまり、民主主義の名において独裁が生まれたという実例があるわけです。僕は、ドイツはそれを学んできたのだと思うんですね。先ほどどなたかが、市井の人が残虐行為をするという風に言われました。それはその通りですね。ご指摘の「アイヒマン実験」がまさにそれを示したものです。しかしね、アイヒマンはやはり普通の人ではないんですよ。親衛隊の幹部であって、ナチの人種差別イデオロギーを「血肉化」していた人物です。そういう人種差別主義者が家庭ではよい父親であってもおかしくないんです。ナチ時代のドイツはそういう時代でした。アイヒマンは、ハンナ・アーレントによって「凡庸な人」にされてしまって、私は歴史家としては不満です。実際、アイヒマンは、戦後中米に逃れた後も自分が反ユダヤ主義であったことを隠さなかったし、最後まで反ユダヤ主義者でした。ただ、同時に官僚的な立場にあって、職務上、形式的に官吏と同じような行動をとっただけなのです。ナチ体制がなければ、アイヒマンのようなレイシストが権力に与ることもなかった。アウシュビッツでは、メンゲレという人が非常に悪名高いです。メンゲレは双子の実験で知られていますが、最近の研究では、メンゲレはアウシュビッツで「囚人」の血液サンプルを集めて人種研究をしていたことが分かりました。ユダヤ人などの血液プロテインから人種を同定できるか研究していたのです。ヒトラーが政権を取った後、ユダヤ人の定義を決めた1935年のニュルンベルク人種法関連政令は、祖父母の世代にユダヤ教徒が何人いるかでユダヤ人を特定しました。しかし「これは非科学的だ」ということになり、科学的にユダヤ人を特定する方法を考えるプロジェクトが立ち上げるのです。メンゲレは、そのプロジェクトの一環としてアウシュビッツで研究をしていました。これには国の助成金がでていて、上司のフェアシュアーという有名な優生学者がとりまとめ役をしていました。ドイツ研究協会、デーエフゲー(DFG)と言いますが、その研究課題でした。当時のDFGは、日本でいうと学振ですね。41