ブックタイトル医の倫理

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医の倫理

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医の倫理

歴史を踏まえた日本の医の倫理の課題は戦犯を扱う部門に引き継ぐしかない」と脅して、内藤にリポートを仕上げさせた。天皇を筆頭に、参謀本部と陸軍省の下に防疫給水部があって、そこで攻撃面の研究もやっていたと記したのです。しかし、「捕虜がモルモットとして使われたか?」と聞かれても、内藤は「そんなことはない」と答えるばかり。サンダースリポートはおよそ不完全なリポートで終わりました。再び不発に終わったトンプソンリポート1945年の秋から暮れにかけて、石井部隊に関する話がさまざまな形で世に出始めました。なによりマッカーサーは民間の投書を奨励していました。その結果、1カ月に1000通くらいの手紙がマッカーサーに届き、なかには731部隊のことを書いてきた民間の投書もありました。さらに、共産党がUP通信に情報を提供し、UPが「石井部隊がハルピンでアメリカ人や中国人捕虜に腺ペスト菌の接種を行うなどの細菌戦実験をしていた」というニュースを流しました。参謀本部の傘下にある対敵諜報部隊では「石井が死亡を宣告され、葬儀が行われた。しかし、これは偽装葬儀で、石井は千代田村村長の助けをかりて地下へ潜ったようす」と報告しています。総司令部はマッカーサーの命令で石井を連行するように日本政府へ連絡を出すのです。当の石井は、加茂の実家に移り、ひっそりと身を隠していました。そこへある晩、黒塗りの車が迎えに来て連れて行かれた。迎えに来たのは日本人です。「占領軍と話がついたから、若松町の自宅にいて大丈夫」だといわれたのでしょう。東京の自宅へ戻ります。この後、マレー・サンダースに続いて、獣医のアーヴォ・トンプソンという軍医が送られてきました。石井の尋問は可能になって、トンプソンは石井を若松町の自宅へ訪ねるのですが、石井は病気だと言って伏せっていて、質問にはのらりくらりと何も言いません。この尋問もまったく不完全なものに終わりました。もちろん、人体実験を含む細菌兵器の開発の情報などトンプソンは何も引き出せなかったのです。柄引渡を要求してきました。ソ連は「731部隊が人体実験で多くの人間を殺害していた」という、それまでアメリカが掴めなかった事実を探り出して、3人の軍医の尋問を要求してきたのです。その情報は、ソ連に抑留されていた731部隊の軍医からもたらされたものでした。少年隊の篠塚良雄がいた第4部製造の第1班の班長、柄沢十三夫と彼の上司にあたる川島清少将がソ連軍に連行されて抑留されていました。彼らはハバロフスクの第45収容所に収監され、拷問もかなりあったのでしょう、これ以上、隠すことができなくなったのです。ついに、柄沢が「医師の良心として全てをお話いたします」と言って次のような供述をしたのです。「私はこの研究に参加し、実際、何も語りたくないのだが、語らなければ、私の精神の重荷となってしまう。この研究、実験については、日本軍人の誰かが説明することが義務と考えていたが、今、私が博愛のため、医術に関わる医師の一人として説明したい」これはソ連が開いた「ハバロフスク裁判」の記録にあったもので、ロシア語を日本語に訳したため「博愛のための医術に関わる」など、どんな日本語を使ったか分かりません。しかし少なくとも、80名か100名の医師を抱えていた平房の研究室にも、人間を実験に使うことに強い良心の呵責を覚えていた医師が一人はいたということです。柄沢十三夫は京都帝国大学のエリートではなく、委託学生として東京医学専門学校を出た実直な医師でした。1年間口を閉ざしていた彼は、ついに石井部隊の全てを語ることによって、医師としての良心を取り戻したいと思ったのでしょう。部隊の編成、責任者、研究内容、設備、人体実験の事実、中国での細菌兵器使用など詳細にわたって供述しました。もし、柄沢の供述がなかったら、731部隊の研究成果を巡ってソ連とアメリカがしのぎを削ることもなかったでしょうし、後に石井四郎の真の姿が暴かれることもなかったのだろうと思います。同じ収容所に収監されていた川島少将も、観念してペストノミの散布やペストノミの入った陶磁器製爆弾の投下などについて供述を行いました。ついに確認された人体実験の事実シベリア抑留での柄沢供述米軍の追求をうまく逃れたと思っていた石井の前に、1947年1月、今度はソ連が石井を含む3名の医師の身こうしてソ連は東京裁判の検事局に石井を含む3名の引渡を要求してきました。ところが、アメリカとしては大変困ったわけです。彼らは人体実験についてちゃんと掴んでいなかったのですから。そこで「このことは分か7