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「地域主権改革」は何をもたらすか……政府・民主党の社会保障戦略の危うさ


芝田 英昭/立教大学教授
(『全国保険医新聞』2011年4月15日号掲載)



市場化への布石―現物給付から現金給付へ
  2000年から施行された介護保険は、高齢者介護福祉分野を「社会保険化」したもので、一般的には医療保険と同様のシステムと理解されている。しかし、実際は全く異なるシステムであることから、介護保険には営利企業参入(現在は、在宅介護分野のみ)が許されている。
  医療保険は、特別の場合(注1)を除いては 、国が保険医療機関として指定した病院などが、国民に対して治療行為・投薬などの「療養の給付」として現物給付する。自己負担は、給付されたサービスの一定割合が求められる。
  しかし介護保険は、要介護認定によって対象者の要介護度に従ってサービス上限が決定され、それは同時に「介護給付費の上限」でもある。
  介護保険は、利用しようとする介護サービスの費用のうち、9割が本人に「介護給付費(介護報酬)」として給付され、窓口負担の1割を加えて10割で、サービスを購入する仕組みである。ただし、個々人に給付するのは事務的に煩雑であることから、実際には事業所が介護報酬を「代理受領」している。
  かえってアれが、表面的には医療保険と同様の制度に見えてしまい、「現物給付」と「現金給付」の違いを見えにくくしている。
  つまり、介護サービスは、市場で購入する商品と同様に扱われ、サービス供給に関しては誰でもが実施できるとなっている(注2)。つまり、社会保障における「現金給付」は、自らの意志で「福祉サービス」を購入するものであり、それを商品化・市場化するものであることに特徴がある。
  政府の社会保障戦略は、障がい者分野(障がい者自立支援法)、児童分野(こども・子育て新システム)においても、現物給付から「現金給付」への変更を意図していることは明らかである。「現金給付」は、結果的にはサービス供給における公的責任は捨象される。なぜなら、供給は市場に委ねられるからである。
  また、医療・介護において保険外部分の拡大で、「医療生活産業」の振興を狙っている(政府・産業構造審議会産業競争力部会『産業構造ビジョン2010(報告書)』2010年6月3日)ことも明らかとなった。 保険外給付は、まさに市場拡大の要であり、財界は政府に対して強い要求を突きつけてきている。


「新しい公共」の怪
  営利企業に、生存権保障を具体化した制度「社会保障」を担わせるには、それなりの仕掛けが必要であった、と理解できる。新しい公共円卓会議は「現在の企業も『新しい公共』の重要な担い手」(新しい公共円卓会議『新しい公共宣言』内閣府、2010年6月4日、2ページ)と言ってはばからない。結果的には、社会保障分野が株式会社等の「営利企業」の餌食にされてしまう。
  社会保障分野を営利企業に渡してはいけないのは、なぜか。
  営利企業の一義的目的は、利益を上げることであり、また株主に利益を配当することにある。例えば、介護保険を例にとって考えてみた。
  介護保険では、介護報酬は公定価格であり、サービス供給主体がいかなるものであっても、同じ価格でサービスが供給される。従って一般市場と異なり、営利企業が参入しても、価格設定の自由は存在しない。
  また、運営費用のほとんどが人件費(=賃金)に使われる「労働集約型分野」であり、営利企業として利益を上げようとすれば、人件費を削るしかない。そのため、介護保険分野では労働者の非常勤化が進んだ(注3)。
  人の生命・生活の根幹を守る社会保障分野が、「非常勤職員」だけで担われていてよいのであろうか。
  個別の福祉労働者に高いスキルがあったとしても、非常勤であるが故に十分な研修が受けられず専門性を維持できない可能性もあるし、安い賃金ゆえに「良質な職員が集まらない」のも実情であろう。

地域主権国家構想は、生存権をなし崩しにする
  財界・政府は「地域主権国家=道州制」の実現を求めているが、地域主権という名の下に、社会保障における「国家責任」は捨象されてしまう。
  例えば、保育所の施設基準や職員配置基準は、1948年に施行された「児童福祉施設最低基準」の第8章(32〜36条)に規定されており、この基準を満たしていることが認可の条件となる。
  しかし地域主権国家は、保育所を含む「子ども施設(仮称)」の基準は自治体(全国約12道州とされている)の条例によって定められ、認可から「指定」へと、事後的届け出に変更されるという(子ども・子育て新システム)。
  そもそも、ナショナルミニマム(国民的最低限)は、自治体によって違ってよいのであろうか。
  ナショナルミニマムは、日本に在住する者として、生存権に値する生活を送るための最低基準であり、それが自治体の条例や財政事情で変更できるとなれば、生存権は保障されないことと同じである。
  また、社会福祉や保健・医療のような現物サービスを中Sとする分野が、道州で行われる場合、1道州が1000万人規模といわれており、住民の顔が見える行政が行えるのか疑問だ。
  例えば、国民健康保険制度において1年以上、特別の事情なく保険料を滞納していると、窓口10割負担の「国民健康保険被保険者資格証明書」が交付されるが、現在のように市町村が保険者であるから、住民の生活状況を把握しながら同証明書の交付を判断している。保険者の規模が大きくなることで、生活状況の把握は困難を極め、「機械的交付」になりかねない。
  結局、地域主権国家構想は、住民が住む自治体の社会保障の質的、量的水準が低いとしても、「それを決めたのは皆さんだ」として、自治体の責任すらすべて、住民の責任に帰せてしまうことのできる都合のいい構想である。

消費税増税に道筋を付ける財源論
  昨年からの財界・政府のさまざまな文書は、消費税率を上げることが規定の方針かのように述べている。
  関東学院大学の湖東京至教授によれば、2006年度の消費税収、約13兆円のうち約23%の3兆円が、消費税の輸出戻し税制度によって大企業に還付されている。
  消費税は現在、目的税ではないにもかかわらず、その税収の4分の1が大企業に還付されている事実は、輸出奨励金の役目を果たしていると揶揄されても仕方ない。財界・政府が消費税率アップを求めていることが、結果的には輸出大企業に還付される消費税が増えることを意味しており、その姑息な目的が垣間見られる。
  消費税は、社会保障目的税にすべきではない。大企業は、輸出戻し税制度の恩恵を受け、消費税は納付していないし、幾度となく指摘されているように、所得の低い層ほど実質負担が重い逆進税であり、「所得再分配」効果を期待する社会保障に使用すべきではないことは周知の事実だ。
  そのほかにも重大な疑義が存在する。
  @いかなる国においても、消費税を社会保障目的税にした国は存在しない。
  A消費税は最終納税者が事業主ではあるが、実質的負担者は国民であり、社会保障における企業責任が捨象されてしまう。
  B消費税を社会保障目的税にすることで、社会保障の質・量が消費税収の範囲に押しとどめられてしまう。
  C国民の社会保障運動が、結果的に消費税率アップにつながるため、社会保障運動が沈滞化する、などが考えられる。
  そもそも、国家財政は国民の福祉の増大に寄与するものであり、国民生活にかかわる制度・施策に優先的に使われるのは当然である。その意味では、あらゆる税収は福祉のために使われるべきである。

注1=国保のように「被保険者資格証明書」になった場合は、「特別療養費の支給」となり、かかった費用をいったん窓口で全額払い後に、申請し「還付」されることとなっている。しかし実際は、資格証明書世帯は多額の保険料未納があり、それに充当されるため、還付されることはない。
  注2=サービス供給主体は、商品購入と同義になることから、何ら規制を加えなければ、必然的に営利企業なども参入することとなる。このことから、介護保険では施設サービスに限って「株式会社等を排除」するための規制を行っている。
  注3=総務省・統計局の労働力調査〔2010年〕によれば、2010年度9月期の労働者総数、5137万に対して非正規の労働者は1775万人、約34・6%であった。これに対して、「社会福祉事業に従事する者の確保を図るための措置に関する基本的な指針」〔厚生労働省告示第289号、2007年8月28日〕では、介護保険サービス全体において約4割、訪問介護サービスについては非常勤職員が約8割を占めているとしている。