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医療ツーリズムで国民皆保険はどうなるか


*7月3日の保団連夏季セミナーで講演した、横浜国立大学・萩原伸次郎教授の話をまとめた(文責:編集部)


“医療ツーリズム”というのは、「医療を受ける目的で他の国へ渡航すること」です。国際貿易の一つです。国際貿易では戦後GATTという制度が1947年につくられました。GATTが扱ったのは、モノの貿易です。しかし無形財、つまりサービスの国際的な取引という点に関しては、全く規定がありませんでした。
 そこで1995年に作られたのがWTO(世界貿易機関)です。例えば金融、あるいは保険、それから通信であるとか、あるいは運輸であるとか、あるいは教育であるとか、あるいは環境であるとか、ある意味で言うと政府のサービス以外の、すべての無形財の取引というものが、このサービス貿易というものになるわけです。そして、このサービス貿易の自由化というのをWTOではうたっています。
 アメリカという国はモノをつくるという点に関しては、産業空洞化が進んでいまして、貿易赤字を解消するということができないわけです。ところがサービスに関しては、特に金融、保険であるとか通信であるとか、あるいは医療であるとか、教育もそうでありますけども、これは世界的に大変強い競争力を持っています。それでサービス貿易の自由化を積極的に進めているわけです。

 このWTOではサービス貿易を四つに分けて説明しています。例えば情報とか通信であるとか、こういう無形財というのはA国からB国に輸出されるときに財そのものが運ばれていきます。例えば通信はネットを通じて瞬時にして各国に配信されていきます。これを「第1モード」と言っています。
「第2モード」は「サービスを受ける、つまり消費する人が、国境を越えて移動するケース」です。例えば医療です。医療はお医者さんが患者さんに対して治療を行うので、消費をするためには、そこの場所に行かなければなりません。ですから医療ツーリズムは、第2モードの国際貿易です。第2モードは、ほかにもたくさんあります。例えば留学は、外国の大学で勉強をしようと国境を越えていきます。
「第3モード」はサービスを供給する人・会社が、国境を越えて進出するケースです。例えば外国の銀行が日本に支社を設けて、日本でビジネスを行うことです。医療ツーリズムに関していいますと、最近、医療そのものを輸出するという構想があります。つまり、病院を海外に作って、そこで業を営む。これは明確にサービス貿易の第3モードです。
 そして「第4モード」というのは、一時的に国境を越えていき、収益を得てまた本国に戻ってくるケースです。これはお医者さんが一時的に国境を越えて業を行って、また戻ってくる場合です。

 こういう点で言うと、医療ツーリズムは現代の国際貿易のいわば花形というふうに言って間違いないと思います。現在世界の約50カ国で医療ツーリズムが実施されています。2008年で600万人程度、市場規模ですと2012年に1,000億ドルと言われています。目的は、最先端の医療を受けたい、よりよい品質の医療を受けたい、待機時間を解消したいなどです。
 医療ツーリストの渡航先を見てみますと、かつては先進国、例えばアメリカなどが圧倒的でしたが、最近はアジアの新興国、インドであるとかタイであるとか、あるいは中国などに渡航するのが増えています。
 病院側も収入を、外国人の患者から得るということが大変盛んになってきています。アジアを中心とした医療拠点の建設が進んでいまして、例えばドバイのヘルスケアシティであるとか、韓国にも済州国際自由都市、あるいは中国などにもできているようです。

 医療ツーリズムでは、富裕層、要するにお金持ちの人でないと恩恵を享受することが難しい。そうすると、お金のない人は除外されてしまう。「市場原理」というのは常にそうで、市場に任せればすべてうまくいくという人がおりますが、提示された価格で商品を買えない人は除外されてしまうのです。
 日本では憲法25条というのがあり、最低限の生活というものを日本は保障しているわけです。ですから、大金持ちであろうが貧しい人であろうが、ひとしく文化的な最低限の生活を保障されているのです。しかし日本の医療を市場メカニズムに任せていきますと、お金のない人は医療を受けることができないことになってきます。医療ツーリズムは医療の格差化を引き起こすのです。
 菅内閣が2010年の6月に発表した「新成長戦略」――強い経済、強い財政、強い社会保障というサブタイトルの戦略があります。七つ柱がありますが、その2番目に、「ライフ・イノベーションによる健康大国戦略」が載っています。いま、中国やロシア、インドあるいは東南アジア諸国で経済成長が活発でして、大変な富裕層が出てきています。一方、日本というのは大変医療が発展しています。新興国の富裕層が日本に医療を受けにくれば、2020年の時点で年間43万人程度の需要があり、市場規模は5,500億円、経済波及効果は2,800億円と試算をしています。

 医療ツーリズムは、21世紀の大きな課題になってきます。医療が21世紀の重要な経済分野になってくるからです。さまざまな医療行為というのは、非常に専門的なものがあるわけですから、私は当然規制がなされて当然だと思うんですが、日本の財界・大企業は規制を緩和・撤廃すべきと言っています。
 そうするとどういうことが起こるかというと、「混合診療の全面解禁」です。医療ツーリズムで日本を訪れる富裕層は全額自己負担で診療を受けるからです。そうなると自由価格で収益を上げて経営状況が好転する医療機関が出てくる。そうなると、儲からない公的保険診療がおろそかになってくる。
 そういう状況になると、混合診療は世のため人のために当たり前だという論調が出てくる。何か今から目に見えるような気がするんです。そうすると混合診療が全面的に解禁されてくる。保険診療はどんどん日陰ものになって、保険診療ではいい治療を受けることができないという状況になる。
 また、医療ツーリズムが大々的に展開されてきますと、外国の医療機関との競争が働いてきます。特に営利化された医療機関との競争になります。そうすると、医療機関が営利化してどこが悪いかとなる。こうして病院が株式会社化され、そこに大企業が進出してくる。企業というのは、もうからないとすぐそこから撤退するので、医療費もかなり高騰する。こういう事態が展開してきますと、日本の国民皆保険制度が崩壊してしまいます。

 この医療ツーリズムと手をつなぐ形でTPP(環太平洋連携協定)への参加という話が進んでいます。TPPはサービス貿易の自由化を実現するもので、そうなれば当然自由診療は増加し、混合診療が解禁され、病院が株式会社化され、公的医療保険制度がこわされるわけです。
 医療ツーリズムというのは、今まで日本の「構造改革」として展開してきた市場原理主義に基づくものです。これに対抗するには、日本の経済政策全体を大きく変えていく必要があります。そのためには国民の世論を変えていく運動を起こしていくことが重要です。特に医療分野というのは、憲法にのっとった社会保障なわけですから。