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「TPPは死に直結」感染者、医師らがデモ
―抗HIV薬の価格高騰 特許期間の延長で―

(全国保険医新聞2015年12月25日号より)

 

 TPP(環太平洋連携協定)に、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)感染者や医師・歯科医師、研究者らから反対の声が上がっている。抗HIV薬の価格が高騰し治療を受けられなくなることが懸念されている。その実態を、1994年の横浜での「国際エイズ会議」以来、海外での同会議などを数多く取材してきた歯科医師でジャーナリスト(元毎日新聞記者)の杉山正隆保団連理事がレポートする。
 12月1日は「世界エイズデー」。日本でもHIV感染者らを支援し正しい知識のPRや予防の大切さを訴えるイベントが繰り広げられた。世界の多くの国々では感染の拡大は沈静化しつつあるが、差別や偏見に苦しむ人が多いのが実態。日本では「高止まり」の状況で、まだ収束には至っていない。
 昨年、オーストラリア・メルボルンで開かれた国際エイズ会議「AIDS2014」。HIV感染者や医師・歯科医師、医学生ら数千人がTPPや、TPPの二カ国版といえるFTA(自由貿易協定)は「死に直結する」と反対デモを繰り広げた。
 国際エイズ会議は患者・感染者や医師、教育、NGO(非政府組織)関係者が世界中から集まり、国連や関係政府、NGOが共催する「世界で最も重要な会議の1つ」(藩基文国連事務総長)。世界会議と地域会議が交互に毎年開催されている。
 実はTPPやFTAへの強い反発は以前からあった。11年のアジア太平洋地域会議(ICAAP10、韓国・釜山)では、韓国・陳壽姫(チンスヒ)保健福祉部長官(厚生労働大臣)の歓迎スピーチの際、エイズ患者や支援者らが一斉に立ち上がり、「政府はエイズ患者の命を奪おうとするのか」「米韓FTAやTPPなどは絶対に許せない」と叫んで猛抗議。大臣は途中で退場を余儀なくされた。今年の欧州地域会議でも抗議のデモがあり、TPPの動きがさらに拡大し「人の命が金儲けの標的になる」「医療が営利化するのに歯止めを掛けるべき」との声が上がった。
 抗HIV薬では、世界の1000万人以上がジェネリック医薬品(後発品)での治療を受けている。TPPにより、ジェネリック医薬品での抗HIV薬などの入手が困難になると予想される。

特許期間、「実質8年」に

 TPPの交渉で、ジェネリックを使いたい発展途上国などは新薬の特許保護期間を「5年間」と主張し、新薬ができるだけ短期間でジェネリックとして安く供給できるよう主張してきた。
しかし、新薬を作る製薬会社の利益を守りたい米国は「12年間」を主張。閣僚会議では「実質8年間」で「大筋合意」した。
 世界各地からTPPで特許保護期間が延びることで治療薬の価格が高騰し「治療が受けられず死が近づく」との悲痛な叫びが上がっている。WHO(世界保健機関)のマーガレット・チャン事務局長も、TPPでの薬価高騰に強い懸念を表明。製薬大手など大企業の政治的な力が大きくなりアルコール、たばこ、食品や生活習慣病対策などへ影響が出るのでは、と指摘する。
 TPPは日本の医療にも深刻な影響を及ぼす懸念が高まっている。米国製を中心に薬価が大幅に上昇し、その分、治療本体を削減せざるを得なくなるとみられている。財源を捻出するため、公的保険の保険料や窓口負担を上げたり、高額療養制度などの縮小、さらには公的保険の範囲を狭め、混合診療を拡大する、などが予想される。
 TPP全文は11月にようやく「公表」されたが、日本政府が作成した概要版は30章97頁。ニュージーランド政府の英文文書の598頁の6分の1。1,500頁超ある全体も215頁しかない大雑把なもの。TPPの正な条約文は英語、フランス語、スペイン語の3つしかなく、米国に次ぐ経済力のある日本は入っていない。「日本政府は不都合を知られまいと日本語の正文入りを断ったのではないか」との憶測が広がっている。
 1月に召集される通常国会でTPPについても審議される予定だが、正文に日本語がなく、英文で書かれた正文や外務省などによる訳文を基に議論するのはそもそも無理がある。市民団体による翻訳・検討作業に保団連も加わっている。TPP交渉中に「対象外」と言われてきた手術方法等も含め特許の対象の拡大も否定できず、各国のNGOとも連携しつつ数週間以内に医療を含め問題点や改善点などを公表する見込みだ。

治療法が進歩した今も恐ろしい病・エイズ

 HIV感染者は、1981年に米国の男性同性愛者に初めて見つかった。当時は「死の病」として恐れられ、日本でも外国人の宿泊拒否や実名、顔写真が報道されるなど「エイズ・パニック」と呼ばれる事態に発展した。
 現在は医学の進歩で適切に治療すれば長く生きられるようになった。国際的には新規患者・感染者はピークだった2000年より40%前後減少したが、サハラ砂漠以南のアフリカなどでは貧困などで治療を受けられず亡くなる人が少なくない。また今年11月、米国の俳優、チャーリー・シーンさんがHIV感染を明らかに。感染をばらすぞと脅されていたとも言い、100万人を超す感染者のいる米国でもエイズの実態はこうなのかと衝撃が広がった。
 国連は30年をメドにエイズの流行を終息させる「エイズ・ゼロ」の目標を打ち出し、各国へ資金拠出や取り組みを強めるよう訴えている。

男性同性愛者などLGBT
偏見・差別に苦しむ実態も

 WHOはガイドラインの中で「男性同性愛者、受刑者、注射博物使用者、セックスワーカー、トランスジェンダー(身体と心の性が一致しない人)」などをHIV感染の危険性が高いのに差別や偏見などで必要な保健サービスを受けられない「鍵となる弱者」と見て支援を求めている。憲法で社会保障が明示され国民皆保険のある日本では諸外国より状況は良いとも言えるが、性的弱者をはじめ差別に苦しむ人は少なくないのが実態だ。

日本では感染者数が「高止まり」

 日本では、HIVが性交渉や注射の回し打ち、出産時等以外では感染しないとの正しい知識がいくぶん国民に浸透してはきたが、先進国なのに感染拡大に歯止めは掛かっていない。沈静化の兆しはあるものの昨年の新規感染者・患者の報告数は1,546件と過去3位。1日に4人が新たにHIVに感染している。日本国籍の男性が多数で同性間が過半数。東京、大阪、名古屋の3大都市が多数を占め、九州が2年連続で増加。10万人当たりの患者報告数では沖縄が1位。ほとんどの年代で上昇傾向にあり特に20歳代で顕著だが、60歳以上での増加も目立つ。日本では梅毒患者が急増しており、この25年間で最高になる見通し。女性の感染者の増加も気掛かりで、エイズに関しても女性の感染者が増えていく懸念が高まっている。
 厚生労働省によると、日本ではピーク時に比べほぼ半減している。エイズをめぐる現状は日本の人権状況をはじめ、さまざまな問題点を映し出しているといえる。TPPとも相まって医療など社会保障縮小の圧力が強まっている。命や生活を無視して政治が暴走することへの歯止めが必要だ。

以上