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地域医療の現実を直視せず、「医療崩壊」をウソ呼ばわりする歪んだ視点
―日経ビジネス7月6日号「医療特集 崩壊のウソ」への抗議と要望

  
2009年7月8日
   全国保険医団体連合会
会長 住江 憲勇


盛夏の候、貴職におかれましては、ご健勝のことと拝察いたします。
私ども全国保険医団体連合会(略称:保団連。会長:住江憲勇。会員数10万3千人)は、全国の開業保険医を中心とする医師、歯科医師の団体です。

さて、貴職が執筆された表記の記事は、地域医療の現実を直視せず、『医療崩壊』をウソ呼ばわりする歪んだ視点と、企業のマネジメント手法の導入が医療危機の解決策であるかのように描くものです。このような記事に抗議するとともに、当会との懇談を要望するものです。

第1に、政府の入院医療費抑制策に対する認識です。記事は、一般病床の全国平均在院日数を使って、「急性期病床における入院期間」がOECD平均の「約2倍」になるとした上で、「社会的入院」について取り上げ、その理由が、「入院期間を長くする以外に経営を維持する方法がない」ことに結びつけています。さらに、「患者が回復した成果」に応じた診療報酬とすることが、現在の医療危機の解決策であると描いています。

政府が平均在院日数の短縮にこだわるのは、入院医療費の抑制を目的にしているからです。そのため、団塊世代が高齢者になる時期に合わせて、慢性的な症状で長期に入院する療養病床を削減しようとしています。しかし、日本の入院期間が長い主な理由には、介護施設が不足して受け入れ態勢が整備されていないことが指摘されています。厚生労働省の調査(07年3月)でも、日中・夜間とも介護できる人がいないとの回答が、医療療養病床の患者で54.3%、介護療養病床の患者では61.4%を占めます。また、特養ホーム待機者数は全国で30数万人と推計されており、有料老人ホームも費用負担ができる人でなければ利用は困難です。自宅には看護や介護を行う人がおらず、退院後に対応できる施設の基盤整備が整っていないのが現実の姿です。

さらに、成果主義が導入されたリハビリ報酬では、リハビリによる改善はないが、中断したら機能が落ちるような患者は、回復が見込めないことになります。記事が指摘しているように、こうした「矛盾が医療を壊す」のです。長年にわたる医療費抑制路線を抜本転換し、患者本位の医療の立場から、患者1人ひとりの特性に配慮し、安心して療養できる施設の確保と、在宅医療の環境整備が行われ、患者がその病態に応じて選択できることが必要です。厚生労働省の入院医療費抑制策を当然視して、行き場を失う高齢の患者が大量に生まれ、家庭や地域の中で孤立する事態になりかねないことを容認するような記事は、地域医療の危機の本質を突くものではありません。

第2に、医師の絶対数が不足していることは、政府も認めているところです。医師の偏在の大本は、政府の長年にわたる医療費抑制策と医師養成抑制策、その帰結であるOECD水準に13万人不足している医師の絶対数の不足がもたらしたものです。この本質をすり替えて、「やみくもに人数を増やしても」、「地域や診療科の偏在を助長するだけ」と結論づける記事は、読者に誤った理解を与えるものです。

臨床研修医を対象に行ったアンケート調査(東京大学先端科学技術研究センター医療政策人材養成講座調査研究班)では、医師不足地域で「短期間」または「長期間」の就労をしてもいいと回答した研修医は91.2%にのぼり、就労条件で最も多かったのは「休暇がとれる勤務体制」でした。このことからも、医師の本格的な養成と医師が安心して働ける環境改善に思いきって公費を投入することが、医師不足・偏在への本質的な解決策です。

第3に、公立病院の閉鎖・縮小の原因を直視していないことです。記事が取り上げた自治体病院は、その9割超が赤字(07年10月日本病院団体協議会「病院経営の現況調査」報告)になっていることは深刻です。しかし、「病院を再編し機能を集約する」ことが解決策と結論づけることは、読者に誤解を与えるものです。

診療報酬は02年度改定からの4回連続の引き下げで、厚生労働省発表の改定率でもマイナス7.53%(01年度対比)となっています。さらに、自治体病院の経営悪化に追い討ちをかけたのが「財政健全化法」と「公立病院改革ガイドライン」の実施です。財政健全化法によって、自治体財政と自治体病院の財政が連結評価されることになり、「公立病院改革ガイドライン」では、財政健全化法に基づく経営改善を求め、特に都市部では公立病院の必要性が乏しく廃止・統合を検討すべきとしています。主に国の責任に由来する診療報酬や医師不足の問題を含めて財政効率を優先で、自治体の責任で解決するよう迫っています。このことが、公立病院の閉鎖・縮小や民間化の動きを加速しています。

しかし、公立病院の民間化のシンボルとされるPFI方式は、全国で破綻が相次いでいます。高知医療センターは、病院企業団がPFI事業者に期間約30年、総額約2130億円で業務委託しましたが、経営難のためPFI契約解除の方向で協議に入っています。近江八幡総合医療センターは、違約金約20億円を支払ってPFI契約を解除し、市直営に戻しています。地域医療の再生に向けて、公立病院と民間医療機関が、それぞれの機能を発揮して医療連携を強めていくことが必要です。

第4に、「企業が培った『マネジメント力』を活かす」ことで、医療崩壊が救えるかのように描いていることです。医療を産業と捉え「トヨタ自動車の生産方式」が「崩壊を救った」という記事は、アメリカ医療の実態を正しく伝えないものであり、医療崩壊の本質を突くものではありません。

アメリカの医療の特徴は、医療費が際だって高額で、全国民を対象とした公的医療保険を持たないことです。100万人の米国人が病気や医療費の負担が原因で破産(ワシントンポスト紙05年2月9日付)し、無保険者は4565万人(アメリカ国勢調査局2007年)にのぼっています。医学雑誌「ランセット」の記事「医療費への対応にもがくアメリカ大企業」(06年1月14日号)では、公的医療保険を持たないことが産業分野をも蝕んでいることを指摘しています。

OECDヘルスデータ(2000-2005年)では、アメリカの乳幼児死亡率は、先進7カ国で圧倒的に高く、キューバの6.0人をも上回る7.0人にのぼっています。アメリカの医療に対する国民不満は高いことは、マイケル・ムーア監督の映画「シッコ」でも示されています。医療を産業と捉え、競争原理を持ち込む視点は、医療の平等性、人権保障という患者本位の医療の視点の対極にあるものです。日本の「医療崩壊」の現実の姿を直視して、その改革と地域医療の再生に踏み出すことが焦眉の課題です。