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いま、日本社会の質そのものが問われている 

医療制度研究会副理事長 本田 宏
(『全国保険医新聞』2012年7月15日号)


 なぜ世界一高齢化社会の日本の医師数と医療費が先進7カ国中最少となったのか。なぜ経済大国の日本で医療崩壊が全国的に大問題となったのか。 その原因を探っていくと、1981年に土光臨調が「米・国鉄・健康保険」を3Kとして、「赤字解消急務」と答申した歴史にたどり着く。翌82年、早速、医師数抑制が閣議決定されて、83年に厚生省保険局長が、医療費抑制の方針を裏打ちするかのように自身の論文で「医療費亡国論」を唱えた。

 その後全国で医師不足が問題となるつい最近まで、医師不足は偏在が問題と片付けられて、すでに医師増員のための医学部新設に対して、新設医学部に医師が取られては地域医療が崩壊する危惧が反対理由となるほど、日本の医師不足解決はにっちもさっちもいかないところまで来てしまった。

 私の医療制度の恩師は元長崎大学内科教授の高岡善人氏だが、東京老人医療センターに入院中の師と最後に面会できた時に手渡してもらったのが渋沢栄一の資料だった。渋沢は日本資本主義の父として有名だが、奇遇なことに東京老人医療センター創立の立役者でもあったのだ。

 高岡先生の遺言とも言える渋沢の『論語と算盤』を読んで驚いた。渋沢は国内多くの企業の設立に加え、大学等多くの教育機関、病院等の医療機関の設立に多大な貢献をしていた。さらに外国の自然災害の救済事業にも心を尽くし、明治時代に二度もノーベル平和賞の候補にもなっていた人物だった。
その渋沢が日本の問題点として、繰り返し苦言を呈していたのが、自分に甘く民間に厳しい日本の官僚の「官尊民卑」体質、そして日本経済人の「道徳経済合一論」不足だった。

 今私たちの目の前で繰り広げられている、社会保障と税の一体改革と称した消費税増税、原発再稼働やTPP…、国民軽視の官僚とノブレスオブリージュ不足の経済界は、明治時代から少しも変わっていない。「その社会の質は、最も弱き人がどう扱われるかによって決定される」前ドイツ連邦副議長のアンティエ・フォルマー氏の言葉だ。21世紀に突入した日本、今社会の質が厳しく問われている。