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東電原発事故後の福島
―寄稿 福島協会理事長・松本 純 氏―


全国保険医新聞2018年5月5・15日号より)

 

 

 東京電力福島第一原発事故から7年が経過した。福島第一原発から51キロの地点にある診療所の所長を務める福島協会の松本純理事長(写真)は事故直後から県民の支援に尽力。現在も県民の甲状腺エコー検査などに取り組んでいる。
 原発事故による避難生活が長引く中、福島では、家族の分断や、高齢者が望まぬ形での最期を迎えるなどの状況が生じており、自殺者も後を絶たない。
 松本氏に、事故直後から現在に至るまでの現地での経験や現状、今後の課題などを寄稿してもらった。

 

東京電力原発事故―福島からの報告

長引く避難生活 看とりの形 願いかなわず

福島協会理事長・生協いいの診療所所長
松本 純

 

いつ避難指示が出されるか―不安と混乱の中で支援活動

 私が所長をつとめる生協いいの診療所は、福島第一原発から北西51キロの地点にあります。
 当初のテレビのニュースでは福島第一原発から半径10キロ、30キロとコンパスで描いた福島県の地図がくりかえし放映されました。
 しかし原子力災害はどこまでが危険でどこからが安全かという線引きは困難です。原発直下の町から避難してきた人たちを受け入れて支援活動を行っている自分達にもいつ避難指示が下されるかわからず、いち早く避難行動をとる人たちもいる中での不安と混乱の日々でした。

原発問題学習会(4月22日)で
報告する筆者

 

病院の避難で死亡3月中に60人

 原発直下の町の病院は、避難指示が下されれば入院患者さんとともに避難することになります。被ばくした患者の初期診療を行う初期被ばく医療機関も、もちろん例外ではありません。今回の福島では受け入れ先の病院・施設の準備はなく、大変な混乱と困難のなかでの避難行動でした。
 後の福島県病院協会による被災アンケートによると、原発から30キロ圏内には大小合わせて14病院、合計1333人の入院患者がいました。急な避難による搬送先は福島県内の32病院3施設に701人、県外8都県の109病院に598人とされています。
 国会事故調査委員会の報告は、病院の避難による3月中の死亡者は60人に及んだとしています。

 

「先生はどっち派ですか」

 その後も福島県民の放射線障害に対する不安は続き、新学期や卒業・進学を機会に福島県を去る人々が相次ぎ、当初の約202万人から、190万人を下回る人口減に見舞われました。当時は住民の要望もあって、県内各地で放射線学習会が開かれました。安全を強調するための学習会で、危険を警鐘する学者・研究者の両極論が飛びかったことも当時の混迷のあらわれでした。
 私も依頼されて、いくつかの小学校や医療生協で講演しました。私が「絶対的に危険か安全かではなくいずれもそれなりの対策が必要です」と説明しても参加者は納得されず、「先生はどっち派ですか」と問うてくるせっぱつまった状況でした。

 

大家族が分散 一人で最期迎える高齢者も

 ある90代女性は9人の大家族でしたが、避難生活の中で子どもの教育や介護の事情などで家族が分散し、独り暮らしとなり、最期はみなし仮設のサービス付き高齢者住宅での看とりとなりました。
 70代男性は震災前に都会生活を脱却して農業に転職し、一人暮らしをしていました。震災後進行がんが発覚し、仮設住宅の自分の部屋での最期を願いましたが、マスコミに注目されるなどの懸念もあって願いがかなわず、病院死となりました。
 90代の老夫婦は一家6人で借り上げ住宅へ避難。夫が肺炎にかかり入院治療を受け退院するも、寝たきりとなり看とりとなりました。残された妻は事故前はほぼ自立していましたが、認知症が進んできました。昨年春、町は避難指示解除になり家族は戻りましたが、そこでは介護の事業は成り立っておらず、今後さらに介護度が進んだらどうなるか不透明です。
 別の70代男性は100歳近い高齢の母親と仮設住宅に入りましたが、不眠や腹痛下痢、頭痛が出現。薬やカウンセリングでは効果がなく、放射線量が高い自宅へ戻ると症状は消失しました。母親は当初は要支援Tでしたが要介護Uへすすみ、自宅でのターミナルケアの体制を検討しましたが、心臓病で病院入院中に永眠しました。

 

避難指示解除による新たな分断

 「3.11で時が止まったまま」とよく言われますが、生命の時の流れは止まってくれません。
 避難指示が出た当時には歩いて避難した高齢者も、7年経てば避難先で寝たきりにも老衰にもなります。そしてようやく築いた避難先での生活は、先祖代々築いてきたように盤石ではありません。
 事故から6〜7年が経過してから避難指示が解除されたことによって、新たな家族の分断という事態も起こり得ます。

 

「震災」ではなく「原発事故」関連死

 東日本大震災による地震と津波による福島県の直接死は1,604人でした。しかし避難生活などの中で死に至ったと認定された震災関連死は2013年11月の集計で1,605人と直接死を上回り、今では2,200人を超えています。
 もう一つの問題は福島県では自殺者が後を絶たないことです。内閣府は震災関連自殺を定義して発表しています。福島県の震災関連自殺は震災の翌年から宮城県、岩手県を上回りました。その後も年間20人前後で経過しています。政府は「震災関連死」と言いますが「原発事故関連死」と言うべきと思えてなりません。

 

甲状腺エコー検診 体制の拡充と負担軽減必要

全日本民医連の支援者と筆者(左)

 当初は甲状腺がん多発を心配する住民の要望を受けて、福島県浜通りのいくつかの市町村はそれぞれ、医療機関と契約を結んで甲状腺エコー検査に取り組み始めました。
 生協いいの診療所でも全日本民医連からの支援を受けて、福島県実施の検査の「枠外」で双葉町と浪江町の甲状腺エコー検診を行いました。
 当初は高率で見られる「のう胞」が心配されましたが、福島県以外でもほぼ同じ程度の確率で見られることが判明し、そのほとんどは病気の意味がないということで落ち着きました。

 

一次検診の受託 100カ所以上

 福島県立医大は2011年に全国の甲状腺超音波検査の専門家の支援を受けて、原発事故当時18歳以下の福島県民37万人対象の甲状腺エコー検診を開始しました。同時に、福島県内で検査可能となるように福島県限定の甲状腺超音波検査の認定医・技師の養成も開始しました。
 私も講義と実技講習を受け、県内小中高校での出張検診に参加して資格を取得し、県から最新の超音波機器の貸与を受けて一次検診の受託医療機関となりました。
 今では県内では100を超える医療機関が一次検診を受託しています。
 現在無症状で検診により発見されている甲状腺がんの多くは乳頭がんであり、遺伝子型はBRAFタイプが多いことから、放射線起因性は今のところ否定的と思われます。
 しかし放射線との関係を解明するためには今後とも長期に検査を継続する必要があり、福島県民の理解を得ることが大切です。そのためにも身近にあってなんでも気軽に相談できる甲状腺エコー検査体制の拡充と、受診者の負担軽減が必要と思われます。

 

原発廃炉し、再生エネへ―オール福島の願い

 福島の痛恨の経験は避難行動による命の危険、地震や津波による直接死を上回る関連死、そして帰りたくても帰れない長引く避難生活による将来への絶望です。放射線による健康障害への不安もぬぐえません。
 しかし地震火山列島の日本には、現在54基もの原発があり再稼働の動きがあります。原子力規制委員会は原発事故が発生した時の住民避難計画については検討事項にしていません。この現状で再稼働の判断を進めていることには、福島県民としてはこころ穏やかならぬものがあります。
 第二原発を含め県内すべての原発の廃炉と再生可能エネルギーへの転換は、オール福島の願いです。

以上