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全国保険医新聞2019年2月15日号より)

 

 

 全国保険医団体連合会(保団連)は1月26日、結成から50周年を迎えた。同日、記念レセプションを都内で開催し、全国の保険医協会・医会参加者や来賓の国会議員、患者団体ら会内外から286人が出席した。開会あいさつで保団連の住江憲勇会長は、1969年の保団連結成からの歴史を振り返り、患者・国民とともに保団連をさらに発展させようと呼び掛けた。また、保団連50年の歩みをたどるスライド上映や音楽会が会場を盛り上げた。最後に宇佐美宏歯科代表が閉会あいさつし、盛会のうちに終宴した。

 

開会あいさつ

 本日は保団連結成50周年の記念レセプションにご参集いただき、ありがとうございます。保団連50年の歴史と今後の展望をお話しし、開会あいさつとさせていただこうと思います。

保団連の結成

 保団連結成の直接的なきっかけは1967年の患者負担を増やす健保特例法に反対する運動でありました。保団連の前身となる保険医団体連絡会は、健保特例法成立阻止を目指して大奮闘しました。医師会への働きかけという従来の狭い枠組みを越え、地域の住民、労働団体、婦人団体などと運動を進めました。こうした教訓から連絡会をさらに発展させるため、69年1月26日に、6協会、約1万人で全国保険医団体連合会を結成したのです。

 

国民の声の高まり

 71年2月、政府が中医協に提案した診療報酬改悪案に反発して、日本医師会は同年7月から1カ月間、保険医総辞退に突入しました。保団連は、患者さんに迷惑をかけないよう医療機関窓口での負担が変わらない「委任代行払い」を主張するも、保険医の団結を維持する立場から地区医師会の決定を尊重し、保団連として患者・国民世論に訴えた運動を展開しました。
 70年初頭から相次ぐ健保法改悪の国会提案に対し、国民諸階層の運動とともに反対運動を展開しました。70年代の革新自治体誕生など社会保障拡充を巡る取り組みが広がる中、大平内閣が2度目の解散に追い込まれました。

 

政府・財界の巻き返し

 80年5月、衆参同時選挙となる中、大平首相の急逝による同情票で自民党が大勝し、鈴木内閣が誕生しました。政府・財界は、これ以上の譲歩は許さないとばかりに自己責任論、相互扶助論などを打ち出し、医療・社会保障への公的支出を極力削減する姿勢を鮮明化しました。国会では、社公合意がされ、労働運動の右傾化も進みました。
 その後、82年の老健法成立で83から老人医療が有料化され、84年健保法改悪で健保本人1割負担導入、国保の国庫負担引き下げなど相次ぐ社会保障改悪を許しました。87年に厚生省(当時)は、自立・自助・自己責任論の下、民間活力導入を提唱。89年の消費税、94年の小選挙区制導入で、今日の悪政、大企業富裕層減税の土台が築かれました。そして、95年の社会保障制度勧告によって社会保障理念の変質が進められました。

 

社会保障を取り戻す国民運動を

 2000年代に入り、政府・財界は、新自由主義国家づくりのため、社会保障と税一体改革を進めます。そしてついに12年、社会保障制度改革推進法が制定されたのです。
今日の日本の労働分配率の低下、社会保障の後退、貧困と格差の拡大はこうした歴史の上にあるのです。
患者さん・国民の生活困難を打開するためには、所得再分配としての社会保障を取り戻すことが必要です。保団連50年の歴史に学び、安倍政権による政治・経済運営にストップをかける国民運動を作るため、全国の会員の皆様にさらなる団結を呼び掛けて、あいさつとさせていただきます。

以上