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医療者として語り継ぐ 東日本大震災・原発事故から10年
被災3協会・保団連オンライン座談会

全国保険医新聞2021年2月25日号より)

津波に運ばれ、住宅の屋根に残されたフェリー(2011年4月7日、岩手県大槌町)

被災者支援に尽力、残る課題も

 来月11日、甚大な被害をもたらした東日本大震災から10年を迎える。保険医協会・医会と全国保険医団体連合会(保団連)は、被災者の医療・健康に関する支援を中心に取り組み、生活再建につながる復興政策を行政に働き掛けてきた。語り継ぐべき経験、取り組みの成果と教訓、残された課題を、岩手、福島、宮城各協会の役員と保団連の住江憲勇会長がオンライン座談会で語り合った。(全文は『月刊保団連』3月号に掲載)

 

保団連 住江会長
宮城協会 井上理事長
岩手協会 小山田副会長
福島協会 松本理事長

震災発生、その時医療者は

 住江 2011年3月11日、私は東京の保団連事務所の会長室にいました。
1995年の阪神・淡路大震災の際に、私は大阪で大きな揺れを経験しています。当時の光景が頭に浮かび、「ただ事ではない」と感じました。被災3県の先生方は、どのような状況だったのでしょうか。

 

患者さんを迎えに ― 井上氏

 井上 発災時、私は宮城県松島町で診療していました。海岸線から100メートルほどの場所です。当時、「井上は津波で死んだんじゃないか」と心配してくれた人が多くいたのですが、幸い松島町の津波被害は軽微でした。
 まずは患者さんたちを自宅に帰し、デイケアの利用者や在宅の患者さんなど支援の必要な方を迎えに行きました。その日は雪が降っていたのですが、高台にある避難所は屋外だったので、すぐ隣のホテルの社長さんにお願いして患者さんたちを入れてもらいました。
 最終的にはその避難場所に来た人たちは皆そのホテルに入ることができ、ボイラーをたいてもらって暖かい状態で当日の夜を過ごすことができました。

 

家ごと流された会員も ― 小山田氏

 小山田 私は、岩手県盛岡市で歯科医院を開業しています。震度5強でしたが、ビルが結構頑丈で大きな被害はありませんでした。しかし県内でも地域によって被害状況が異なり、被災した会員に聞くと、まず患者さんを避難させ、次にスタッフ、最後に院長が避難するというパターンが多かったようです。まごまごしているうちに津波に襲われて屋根まで上ったものの家ごと流され、屋根伝いに逃げて命からがら助かったという会員もいました。津波は本当に恐ろしく、何をおいてもまず逃げることが大切です。
 発災後に一番困ったのはガソリンです。緊急車両以外へのガソリンの販売量は制限されていて、長時間並んでも、1回に10〜20リットルしか買えませんでした。

宮城県南三陸町の総合防災庁舎。後ろは志津川病院(4月30日)

街中は閑散と ― 松本氏

 松本 発災当時、震源地は宮城県沖と聞いて1978年の宮城県沖地震を思い出し、三陸沿岸などの津波を心配しました。地震に原発事故が重なるとは、にわかには頭の中で結び付かなかったのです。
 私の診療所は、第一原発から約50キロメートル離れた福島市飯野町にあります。当初は東京電力福島第一原発のある浜通りから避難してきた人たちを支援していましたが、発災の翌週には、自分たちの地域にも原発事故からの避難指示が出るかもしれないから準備をしておくようにと町内会から連絡があり、不安定な毎日でした。自主避難で出ていく人も多く、街中は閑散としてしまいました。
 私たちも、ガソリン不足で非常に困りました。当時は、ガソリンが運ばれてくる仙台の港が津波で壊滅したとか、東京湾のガソリンタンクで火災が起きたからなどというような気がしていました。ところが、後になって、放射能汚染を理由にタンクローリーが入ってこなくなったことが分かりました。原発事故のため物流が途絶え、福島県は孤立してしまったようです。

 

難航した会員の安否確認

 小山田 発災直後、まず会員の安否確認を考えましたが、ガソリンがない上に、沿岸の道路も壊滅状態だったので訪問はできず、固定電話も通じません。
 インターネットで検索し、画像に映っている張り紙まで見て、携帯電話の番号を調べたりもしました。「協会が自分を探していると聞いた」と、会員から電話がかかってきたこともあります。
 1週間ほどたってから、警察署に緊急車両届を出したことでガソリンの優先給油が受けられるようになり、ようやく会員訪問ができました。
 松本 福島協会でも会員の安否確認をしようとしたのですが、電話もメールも通じにくく、情報も錯綜しており、困惑した状態が続きました。
 3月26日に緊急理事会を開催しました。その時点で所在確認ができていた会員は1,400人中800人、そのうち浜通りは400人中170人のみ。その後1、2カ月で少しずつ確認が進んでいきました。
 井上 宮城協会もまず、会員を直接訪問し、お見舞いと被災状況の調査から始めました。被災直後に来てくれたということだけでとても感謝されました。特に、現金が手元になかった会員からは、お見舞い金が本当にありがたかったと、その後何年にもわたって感謝の言葉をいただきました。
 また、北村龍男理事長(当時)らで協会事務所に集まって議論し、臨時の理事会を開催するなどして、国へのさまざまな要望書を出しました。

岩手協会を激励に訪れた住江会長(右)。
中央が当時の箱石勝見岩手協会会長 (3月17日)

 住江 発災直後、私は一刻でも早く被災地に行かなければならないと思っていました。全国約10万人の会員が応援していると伝えたかったのです。また、現地の実態を直接把握し、会長から全国に発信しなければとも思っていました。
 大阪歯科協会と兵庫協会の事務局が「会長が行くなら同行する」と申し出てくれました。3月16日に東北へと出発して3協会の事務所を訪問し、岩手協会事務所訪問時の17日、保団連に対策本部を立ち上げ、政府に対するあらゆる要望を網羅した要請書を作りました。
 全国の会員から「支援したい」という熱い思いが届いていたので義援金の募集も始めました。

 

岩手県宮古市田老町での緊急歯科支援では、入れ歯の不調を訴える治療希望者が続出した(4月3日)
低い仕切りで区切られているだけの宮城県石巻市の河北総合センター体育館の避難所(5月1日)
福島県双葉町の人々が避難していた川俣町体育館避難所。テレビに集まる人からは不安の声が(3月18日)

避難所の劣悪な環境で健康悪化も

 小山田 被災者は発災直後、体育館など劣悪な環境の避難所に押し込められました。協会が後日行ったアンケートでは、避難所やその後移った仮設住宅での生活の中で、以前は健康だったのに病気になることが増えたという声もありました。
 避難所で問題になったのは持病を持つ人々の薬がないことです。医師会や薬剤師会が盛岡市などから薬を持って行きましたが、カルテもないのですごく苦労したようです。岩手協会では各診療科の会員で協力して、被災した人たちに「身体の不調はありませんか」と問いかけ、不調の対処や健康維持のポイントなどを記載したパンフレットを避難所等で配布し、健康を害さないようアドバイスしました。
 井上 震災後3日目からは、石巻市方面の避難所に支援に入りました。高齢の被災者は入れ歯の方も多かったのですが、どこの避難所でも、飲み水の供給がやっとで入れ歯を洗う水がないのです。そこで、入れ歯洗浄のチームを送り込んで支援をしました。
 その時に参考になったのが1995年に保団連が発行した『阪神・淡路大震災 開業医4ヵ月の記録』です。自宅の本棚が倒れて散乱した資料の中から探し出して読んだところ、入れ歯洗浄に園芸用の噴霧器を使うといいと書いてあったので、遠くから来る支援者に途中のホームセンターで噴霧器を買ってきてもらいました。
 松本 福島では、原発事故に伴う病院や老人施設からの避難で悲劇が起こりました。寝たきりの患者さんを観光バスに押し込んで、行き先も定まらないまま避難することになったのです。
 震災のあった年の8月にまとめられた国会事故調査委員会の報告書によれば、避難途上での死亡者は3月末までに約60人としています。これは事故がなければ助かったはずの命です。

 

原発は絶対にあってはならない

 松本 原発事故の被害は、津波や地震とは質が異なります。この10年の状況からは、原発事故の過酷さが浮き彫りになると思います。
 東日本大震災は2万人に及ぶ死者、行方不明者を出しましたが、福島県では、津波と地震による直接死は1,810人、全体の10分の1以下でした。ところが10年後の震災関連死は、2020年12月現在の集計で2,316人、直接死の1.3倍にも及びます。長引く避難生活の中で命が粗末にされたことの表れです。
 また、福島県は行方不明者が225人います。放射性物質から逃れるため、役場も警察も消防も避難しなければならなくなりました。そのため、住民の救助活動ができなくなりました。震災後の救助活動で生死を分けるタイムリミットは72時間と言われていますが、その間に救えたはずの人たちを見殺しにすることになったのです。
 さらに悲劇的なのは、この10年間の震災関連自殺者です。厚生労働省と警察庁の集計によると、岩手県54人、宮城県58人に対して福島県は118人です。これらのダメージの大きさから考えても、「地震、津波が頻発する日本列島に原発は絶対にあってはならない」との思いを強くしています。

 

被災者の健康状態に変化

 小山田 岩手協会では、12年から毎年、被災者へのアンケートを実施しています(岩手協会ホームページ参照)。
 現在かかっている病気について聞くと、毎回、比較的上位に上がるのは脳梗塞や歯科疾患、糖尿病、高脂血症ですが、最初の頃は喘息が上位にありました。がれきを除去する際のほこりを吸い込んだせいだと思います。
 13年、14年になると喘息は少しずつ減り、うつ病が増えてきました。発災当初は気が張っていたものの、しばらくすると先の見えない閉塞感に襲われてくるのでしょう。県が精神科医を派遣してカウンセリングなどを集中的に行ったためか、15年、16年になるとうつ病も上位に上がらなくなりました。やはり医療支援は役立っているのだと感じます。
 今、被災した人々は復興住宅に移っています。マンションのような建物で、震災前は平屋で近所の人と顔を突き合わせて生きてきた人たちが、壁に隔てられてお互いの顔が見えない環境で生活するようになると、孤独感からメンタルの状態を悪化させることが危惧されます。高齢者の孤独死も心配です。
 井上 宮城県が被災者の健康調査を行っています。11年度から19年度まで、仮設住宅と復興住宅の入居者について継続的に同じ調査をしているので比較検討もできるものです
 直近の19年度の調査によれば、1人暮らしの高齢者世帯が34.5%で、4年前から10ポイント増加。「病気がある」と答えた人は4年前の56.5%から64.9%に増加しています。また、支援が必要な程度の心理的苦痛を抱えている人は各年度大体7〜8%で、厚労省の国民生活基礎調査と比較すると2倍近いです。
 この調査を今後も続けてほしいと私たち宮城協会は考えているのですが、聞くところでは20年度で打ち切りのようです。県民運動などで被災者の健康問題を取り上げていかなければならないと思います。

 

健康維持に必要な医療費免除

 小山田 被災者の健康の維持には、医療費免除も必要だと思います。被災者の医療費免除が打ち切られそうになったため、12年、岩手協会は被災者を対象にアンケート調査を行いました。悲痛な意見がたくさん出てきたので、それを行政に届けたところ、免除の継続が決まりました。
 その後毎年アンケートを実施し、その度に行政に働き掛け、免除が続いてきました。寄せられた意見には「医療費免除で命を救われた」という声もありました。 
 医療費免除は昨年12月で打ち切りになりそうだったのですが、なんとか21年3月までは継続となりました。ただ、4月からは対象が非課税世帯だけとなり、12月までは継続する予定ですが、その先は決まっていません。これは継続させなければと思っています。

みやぎ県民センターは、学者、市民団体代表、自治体元首長らが呼びかけ人となり、県内の広範な団体、個人で結成された(5月29日)

 井上 宮城県は医療費免除も早々に打ち切ってしまい、岩手と比べると、被災者に冷たい県政が行われてきました。県民にはこれを何とかしなければという思いが強く、震災直後から市民団体として東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センターが持続的に活動をしています。
 センターでは、被災者の医療費免除や震災による健康破壊への対応の他、住居や雇用の問題などについても取り上げ、県民挙げての運動で状況の改善に取り組んできました。

 

被災者生活再建支援法の発展を

 住江 阪神・淡路大震災の後、被災者の生活困難を打開しようとする世論と運動が、被災者生活再建支援法を成立させました。融資一辺倒だった日本の被災者支援は、不十分ながらも公金からの現金支給がされるようになり、大きく変わりました。20年11月には、これまで「全壊」か「大規模半壊」だった支援金の支給対象が、「中規模半壊」まで拡大しました。
 今必要なのは、この被災者生活再建支援法をさらに発展させていくことだと思います。
 保団連も加盟している「災害被災者支援と災害対策改善を求める全国連絡会(全国災対連)」は、現在300万円の支援金の最高額を500万円に引き上げ、「半壊」や「一部損壊」も支給対象とすること、生業を維持するために必要な施設・設備も対象とすること、国の負担割合を引き上げること等を求めています。

 

記憶をいかに語り継ぐか

 井上 震災後10年というのは、振り返って教訓をまとめたり、語り継ぐべきことを整理するのに、最適の時期だと思います。
 宮城協会では3月7日に、医療における震災および災害の教訓を語る企画(下記参照)を準備中です。
 小山田 岩手協会が続けてきた10回にわたる被災者アンケートの内容、寄せられた生の声などもまとめて冊子を作ろうと考えています。アンケート調査と行政への働き掛けによって被災者の医療費免除を継続させてきたノウハウは、今後、全国でも生かせると思います。
 松本 福島協会でも、会員の投稿や資料をまとめた記念誌の発行を予定しています。
 住江 保団連としては、震災から10年の節目で課題をきちんと取り上げ、全国の会員と国民に発信していきたいと思います。そのためにも、被災3県からの発信を今後ともお願いしたいです。
 今日は、先生方の経験、被災者の生活再建に向けた熱い思いをしっかりと受け止めさせていただきました。今後の災害対策に生かしていきたいと思います。

オンライン座談会の全文は『月刊保団連』3月号で

特集:災害の記憶を語り継ぐために ―東日本大震災・原発事故から10年

 未曽有の被害をもたらした東日本大震災から10年がたとうとしている。記憶の風化が懸念される一方、当初は衝撃的で生々しかった出来事も、客観的に捉えられるようになったともいえる。また、復興計画が進められる中で、旧来の復興スキームが抱える問題点も顕在化している。
この10年を振り返りながら、災害の記憶をいかに語り継いでいくかを考える。
■医療者として「記憶」を語り継ぐために
  小山田榮二・井上博之・松本純・住江憲勇 
■復興はどのような教訓を残したのか    塩崎賢明
■災害の歴史から何を学ぶか        保立道久
■双葉郡の消防士たちが直面した苦難と葛藤 吉田千亜
■〔巻頭グラフ〕濁流に飲まれた町の記憶  植田俊郎

 

宮城県保険医協会 震災10年企画

医療における震災および災害の教訓を語る

日時:3月7日(日) 10時〜13時
会場:宮城県保険医協会・Web配信(Zoom)
仙台市青葉区本町2-1-29 仙台本町ホンマビル4F
※会場参加は20人で締め切り
講師
●櫻井 滋氏 岩手医科大学付属病院 感染制御部長
 「災害と感染症 ―東日本大震災から新型コロナ対策を考える」
●木村 裕氏 木村歯科医院 院長
 「女川町での東日本大震災後の歯科医療の復興を振り返って」
●村岡正朗氏 村岡外科クリニック 院長
 「震災後10年を経て」
●八巻孝之氏 国立病院機構宮城病院 総合診療科外科部長
 「東日本台風豪雨の教訓―私がWith Corona時代に考えること」

お申込み・お問い合わせはこちら
宮城県保険医協会 TEL:022-265-1667 FAX:022-265-0576
Mail miyagi-hok_a_doc-net.or.jp(「_a_」を「@」に変えてください)

Web参加申し込み方法
 宮城協会のメールアドレスに、タイトルを「3/7講演会参加希望」とし、本文に氏名、所属(勤務先)、電話番号を明記してメールを送信してください。当日の接続方法を連絡します。
締め切りは3月2日(火)
※Web参加も定員があり、期日前に締め切る場合もあります。

以上

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