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東日本大震災から10年

  「復興にはほど遠い」   

全国保険医新聞2021年4月15日号より)

 

岩手県宮古市田老地区を行く

 2万2,200人の死者・行方不明者を出した東日本大震災。東京電力福島第一原発事故が起きた福島などでは、今も4万1,241人が避難生活を送り、避難指示が解除されない地域がある。菅首相は「復興は進みつつあり仕上げ段階に来た」と胸を張るが、実際のところはどうなのか。巨大津波で町ごと流され多くの命、そして暮らしを失った岩手県宮古市田老地区に入った。(新聞部長 杉山 正隆。写真も)

 

3月11日午後2時46分、サイレンに合わせ
防潮堤の600人が黙祷した
子ども達が鎮魂の思いを記した短冊を
風船につけて空に放った

 10年の節目を迎えた3月11日、全国各地で追悼の祈りが捧げられた。波高で15メートル以上、遡上高では35メートルを越す巨大津波が襲い、町の中心部が壊滅した田老地区では181人が犠牲になった。
 地震が発生した午後2時46分のサイレンに合わせ、住民ら600人が高さ10メートルの防潮堤の上で海に向かって手を合わせ黙とう。復興への願いや鎮魂の祈りを込め、犠牲者の人数分の風船を空に放った。風船と一緒に飛ばした短冊には地元の田老一小の児童らが「命」や「復興」をテーマに思いをしたためた。

 

巨大堤防完成したが…

 新型コロナウイルス感染症の影響で、一列に手をつなぐのは2年連続で中止した。防潮堤の海側で高さ14.7メートル、総延長1.2キロの新防潮堤の建設が進み3月末に完成。防潮堤の一部は津波で崩壊したが、県と市が津波の記憶や教訓を伝える震災遺構として残す。
 田老地区では震災前、「万里の長城」とも呼ばれる高さ10メートル、全長2.4キロにわたる国内最大級の防潮堤が整備されていたが巨大津波が防潮堤を乗り越えて押し寄せ、田老地区をあっと言う間に飲み込んだ。
 住民の1人は「新堤防で海が見えなくなり、圧迫感だけが残る。浸水想定地区にはほぼ住んでいる人はいない。結局のところ、あんな巨大堤防は必要だったのか疑問に思う。『復興』とはほど遠いと感じる」と話した。

 

若者と"よそ者"のコラボ 地区の発展に新しい模索も

 宮古市中心部に建つ「ゲストハウス3710(ミナト)」。末広商店街の一角にあった眼鏡店を改装し2019年8月オープンした。3710の運営会社「日々旅」の代表取締役、加藤洋一郎さんは田老地区の出身。市内の高校を卒業後、東京の大学に進み、京都の大学院で国際政治学を修めた。海外留学を夢見て実家のガソリンスタンドを手伝っていた時に東日本大震災に遭遇した。
 そして、震災のボランティアとして宮古市に入っていたのが福岡県北九州市出身の早川輝さん。子どもの遊び場づくりや中学生の学習支援などをしNPO「みやっこベース」を設立。加藤さんと連携を深め、いわば「若者とよそ者のコラボ」を実現した。

 

学生受け入れ地元の課題解決

 早川さんは全国の延べ約70人の大学生らを受け入れ、オンラインと現場研修を組み合わせて宮古市内の企業の課題解決などを大学生らと進めてきた。
 コロナ禍の影響もあったが、現在は18人の大学生を受け入れている。北九州市から1週間の日程で「3710」で地元の人々との交流等の研修を受けた北九州市の大学生、佐野真望さんは宮古市中心部の分かりやすい地図や動画作成などに携わった。「卒業後は北九州市のPRや町作りなどに興味がある。宮古市での経験は将来に役立ちそう」と目を輝かせた。

若者の定着が課題

 加藤さんは「高校を卒業しても、役場か漁協等に就職できれば良い方。市内には大学がなく、多くの若者が東京などに流出してきた。地元の課題を知り解決できる人材を育成すれば若者が地元に定着できる可能性が出てくる」と話す。

発災直後に会員ら医療支援 医療者連携のモデルケースに

青森協会などから28人

 田老地区では発災から3週間後の2011年4月3日、青森協会を中心に岩手、福岡歯科協会も協力し、歯科医師ら28人を派遣して緊急医療支援を実施。当時の「国保田老診療所」黒田仁医師に加え、宮古市役所、同保健所、「国境なき医師団」、関係歯科医師会などが協力。50人に歯科治療や健康・食事指導をした。訪問診療チームが特別養護老人ホームで入所者の状況を確認。「津波から3週間ぶりに何でも食べられるようになった」「駆けつけてくれた歯科の先生の温情に感謝します」と涙ぐむお年寄りも。都道府県や団体などの枠を超え、多くの歯科医師や医師、保健師らが連携した取り組みは1つの「モデルケース」として全国的に注目が集まった。

 

聞き取り後に治療

 歯科医師17人、歯科衛生士4人、歯科技工士3人などの28人が参加。歯科医院の備品を持ち寄ったほか、歯科医師会等から機材の貸し出しを受けた。事前に3回、現地で聞き取り調査などをした結果、歯科治療に関し、「ほぼ手付かず」の状態だと分かった。「津波で義歯が流された人が多く、一律に支給されるおにぎり、たくあんは噛めない。下痢や便秘の患者が増えており一刻も早く食べられるよう、歯科医療を提供してほしい」と医師から強い要請を受けた。
 臨時避難所の「グリーンピア三陸みやこ」には約700人が避難し、多くの被災者が国内多目的コートに入っていた。事前に医療団が来ることを張り紙などで知らせ、当日も「歯や口の中などに痛みや違和感があったら気軽に立ち寄ってください」と放送などで周知した。
 治療を受けたお年寄りの1人は「昼ご飯を食べ終わり義歯をはずして洗浄剤につけていた。津波と聞き、エプロンのポケットに入れて慌てて走って逃げた。途中で歯が壊れてしまったことに気付いたが、3週間、治療してもらえず満足に食べられなかった。ずいぶんやせて苦しかったが義歯をピカピカに修理してもらい、ダイヤモンドよりきれいで嬉しいです」と涙ぐみ、何度も「ありがとうございます」と言って何度も頭を下げた。

以上

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