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格差の果てに生きる希望は―
小説家・平野啓一郎が描いた近未来の日本

全国保険医新聞2021年9月5日号より)

 

 格差が極端に広がった社会で、生活の苦しい人々が仮想現実に逃げ込む―小説家・平野啓一郎氏が最新刊『本心』で描いた2040年の日本の姿だ。少子高齢化や社会保障の崩壊などのテーマを盛り込み、死の自己決定の意味を問いかけるこの作品について、保団連の天谷静雄理事が話を聞いた(全文は『月刊保団連』10・11月号に掲載)。

 

ロスジェネ世代をどう支える

©依田佳子
ひらの けいいちろう

1975年生まれ。99年、京都大学法学部在学中に投稿した『日蝕』で芥川賞受賞。2020年から同賞選考委員。
主な著書は、小説では『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)、『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)、『かたちだけの愛』、『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、エッセイに『考える葦』、『私とは何か「個人」から「分人」へ』など。16年刊行の長編小説『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)は累計58万部を超えるロングセラーとなり、19年に映画化。18年に発表した『ある男』で読売文学賞受賞。
公式サイト:http://k-hirano.com/
聞き手・天谷理事

天谷  『本心』は死んだ母親をAI(人工知能)等を使って再現するという出だしに引き込まれて一気に読みました。
 舞台とされている20年後の日本では、格差と貧困の拡大、社会保障の崩壊、少子高齢化等が人々の生活に暗い影を落としていますね。さらに自分の死に時を自分で決める「自由死」が合法化されています。
 こうした時代設定にしたのはなぜですか。

平野  まず、未来予測は難しいですけれども、地球温暖化と日本の少子高齢化は間違いなく到来すると思います。ですが、日本はその対応が全く進んでいません。
 また、近年は多くの人が国の財政問題に意識的になり、「予算を使うに値する人間」と「値しない人間」とを選別しようとする非常に危険な風潮があります。
 この小説の舞台は、僕も属するいわゆるロスジェネ(※)といわれる世代が高齢者になる時代なんですが、この世代は、就職の時期にバブル崩壊後の不景気が直撃し、現在も多くが低賃金の非正規労働者として苦労しています。この世代が高齢者になったとき、どう支えていくかが問題になると思います。
 今の状況が続けば、高齢者に対して「いつまで生きているんだ」という風当たりが強まり、高齢者自身も生き続けることに肯定的な感情を持ちにくくなってしまうのではないか。ですから「自由死」という架空の制度を設定することで、高齢者が生き続ける希望をどう守っていけるのかを考えたいという意図がありました。
 さらに、社会に格差が広がり、それを是正しようとする力が非常に弱くなっていることを懸念しています。このままでは暗い未来が来てしまうという懸念を持って『本心』の世界を描きました。 

 

安楽死と優生思想

天谷   作中で主人公の朔也の母親は、生前に自由死を願っていましたが、息子の反対でかないませんでした。

平野  このテーマは、僕が以前から提唱している「分人主義」と関係しています。人間は対人関係ごとに様々な人格を持っていて、その一つ一つを「個人」に対して「分人」と呼ぶというものです。
 分人の中には心地いいものもあれば非常にストレスを抱えるものもあります。その中で、人生の最期は、愛する人に囲まれて自分が最も好ましいと感じられる分人で死を迎えるのが幸福なのではないかと考えました
 死に時を自分で決める自由が一切なければ、孤独に死を迎えてしまう可能性はかなりあります。ですから、自由死のような制度を社会が本当に禁止することができるのかを考えたかったんですね。

社会的弱者を追い詰める危険
文藝春秋・1980円(税込)

天谷   小説では森鴎外の『高瀬舟』が引用されていますね。これは「安楽死」の問題を扱っていて意味深長です。
 医療現場では今は、消極的安楽死の考え方が主流ですが、積極的安楽死なども考えていけば、命の選別の危険は避けて通れません。

平野  死の自己決定は今後、これまで以上に社会的な議論になっていくと予感しています。これを平時のわれわれ一般の問題として考える必要はあると思います。
 しかし、「苦しい状況にある人たちが死にたいというのを否定できるのか」と社会的弱者にこの問題を押し付けるような形で議論を進めることは非常に危険です。
 僕は今の日本のように優生思想も語られるような時代に、積極的安楽死を認めていこうとすれば、実質的に「いつまで生きるのか」というメッセージになり、不本意な形で追い詰められていく人たちが相当出てくるのではないかとも強く懸念しています。
 特に神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」での大量殺傷のような優性思想に基づく犯罪が起きたときには、いったん死の自己決定の議論は止めないといけないと思います。

資本主義の矛盾の中で主人公の選ぶ道

天谷  資本主義の抱える諸矛盾が著しく露呈した社会でどう生きるべきかを、考えさせられる小説でもあります。主人公の朔也は、貧困状態にありながら格差を容認する母親の友人の三好や、暴力的に社会を変革しようとする同僚の岸谷とは違う道を選びますね。

平野  現実の社会を変えたいと思ったときにできることはいろいろありますけれど、朔也には、困っている人を助ける行為を通じて自分の存在価値を見いだし、それが少しずつ現実を変えていくということに希望を持ってほしかったんですね。社会全体を良くする上でも、一人一人が他者に対する小さなケアみたいなところから出発するのが、あるべき姿ではないでしょうか。
 一方で、世界の富の8割を1%の人たちが得ているという本当に馬鹿げた格差が地球全体を覆っていて、それは個人の日常的な実践で改善できることではありません。そうした問題は、政治参加を通じて、お金のあるところから税金をしっかり取るように変えていかなければならないと思います。

医療体制の弱さは新自由主義のツケ

天谷  資本主義の矛盾は医療分野にも深刻な影響を及ぼしています。今の政府は専門家の意見を無視して商業主義と切り離せない東京五輪を強行し、コロナ感染爆発に拍車をかけています。平野さんも五輪中止を発信し続けてきましたね。
 医療崩壊の中で医療者は悪戦苦闘しており、国が医療費を削減し続けてきたことがその要因です。保団連は医療・社会保障充実の政治への転換を訴えています。

平野  日本は欧米に比べて少ない患者数で簡単に医療崩壊の危機を迎えてしまいました。こうした医療体制の弱さは資本主義の原理を押し進める長い新自由主義路線のツケですし、変えていかなければならないと思います。
 政府は、新型コロナウイルスの重症患者以外の入院制限の方針を打ち出し、完全には撤回していません。初期に手当をすれば重症化を防げる治療法も手探りで行われている中で、その治療自体を困難にするような恐ろしい政策ですね。
 医療現場の皆さんの取り組みに、僕自身も小説家として、さらに一市民として連帯していきたいと思います。

※ロスジェネ:ロスト・ジェネレーションの略。バブル崩壊後の就職難の時代に就職活動をした世代。1970年から80年頃の生まれ。

以上

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