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住民の命綱が破壊された
―アフガン 国境なき医師団病院の空爆―

全国保険医新聞2016年3月15日号より)

 

病院が爆撃された 医療支援阻む軍事力

 2015年10月3日、アフガニスタン北部のクンドゥーズ州にある国境なき医師団(MSF)病院が米軍の空爆を受け破壊された。イエメンやシリアでも、MSFが運営・支援する医療施設への爆撃が続いている。シリアでは、15年には63カ所が、16年も既に6カ所が被害を受けた。国や武装勢力による軍事力の行使が、中立であるはずの医療援助活動を阻害している。その実情を、国境なき医師団日本の加藤寛幸会長に住江憲勇保団連会長が聞いた。

国境なき医師団日本会長 加藤 寛幸 氏
●かとう・ひろゆき
1965年11月29日生まれ。島根医科大学(92年)卒業、タイ・マヒドン大学熱帯医学校において熱帯医学ディプロマ取得(2001年)。東京女子医大病院小児科、国立小児病院、Childrens Hospital at Westmead、長野県立こども病院、静岡県立こども病院に勤務。専門は小児救急、熱帯感染症。03年より、MSFの医療援助活動に参加。主に医療崩壊地域の小児医療を担当。12年4月よりMSF日本副会長。15年3月より現職。

患者ら42人が死亡

住江 アフガニスタンでの米軍による病院空爆では、多くの死傷者が出ました。
加藤 昨年10月、アフガニスタン北部のクンドゥーズ州にある国境なき医師団病院(外傷センター)が米軍による空爆を受け、患者や医療スタッフら42人が死亡しました。
 同センターは地域に暮らす数十万人の住民をカバーする医療機関であったため、この攻撃はスタッフらの命を奪っただけでなく、地域の命綱を破壊し、救えるはずの命を脅かしたのです。

 

空爆開始直後に中止を要請

住江 米軍の空爆は「誤爆」だったのでしょうか。
加藤 事件後米軍当局は「誤爆」と発表し、マスコミ各社で報道されました。しかし私たちは、米軍やアフガニスタン政府に外傷センターの位置を知らせ、空爆被害を未然に防ぐ努力を行ってきました。空爆が始まった直後にも、米国、アフガニスタンの当局に連絡し、直ちに空爆を止めるよう伝えています。
 その後爆撃に関する米国政府の説明は二転三転し、当初は付随的な被害や悲劇的な事故と呼び、アフガニスタン政府に責任を転嫁しようとしたり、あげくには爆撃は人為的・技術的ミスが重なった結果だとしています。この点について、国境なき医師団(MSF)は米国の説明を鵜呑みにはできないと考えています。
住江 調査などは行われていますか。
加藤 私たちは、外傷センターへの空爆に対し、独立した組織による原因究明を求めており、国際事実調査委員会に申立を行いました。
 また、ホワイトハウスに署名54万筆を提出し、MSFの外傷センターへの空爆に関する同委員会の調査に同意するよう求めました。
 イエメンやシリアでも相次ぎ支援する医療施設が爆撃されています。国際事実調査委員会はジュネーブ条約に定められた国際人道法への違反を専門的に調査するために創設された機関であり、相次ぐ病院への爆撃に関する調査が行われるか否か、同委員会の存在が問われています。

 

医療活動が大幅に制約

住江 イエメンやシリアでも医療施設が攻撃されているということですが、これらがMSFの活動にはどのような影響を与えているのでしょうか?
加藤 MSFでは、世界約60カ国で約3万8,000人のスタッフが医療援助活動を展開しています。現地のニーズを最優先に活動しますが、スタッフの安全確保のために活動地の治安状況などの分析は非常に厳格に行っています。紛争地域での医療活動が尊重されず、医療者や施設が攻撃の対象となる状況では、活動が制限される事態に追い込まれてしまいます。
 現地では赤十字や他のNGOと連携することもありますが、一連の事件は、そのような医療支援を行う団体の活動に著しい影響を与えます。
 一番困るのは、医療を求めている人にそれが提供できなくなることです。クンドゥーズでも、人々は一日も早く外傷センターの再開を望んでいます。
住江 中立的であるはずの医療支援が軍事力により破壊されているところに、恐ろしさを覚えます。
加藤 私自身、昨年10月にアフガニスタンに入り、現地のスタッフと話しをする機会がありましたが、MSFは危機的状況にある国々で他に行き場のない人びとを支援対象としてきただけに、献身的に活動してきた現地の医療スタッフのことを思うと怒りでいっぱいです(「月刊保団連」4月号にインタビューの詳細を掲載)

爆撃の日も患者の治療を

空爆で死亡したモハマッド・エーサン・オスマニ医師(32歳)への追悼文

 集中治療室の医師のホープでした。この活動に人並みならぬ情熱を持ち、患者に思いやりと献身をもって接していました。彼は笑い上戸で、まぶたに浮かぶ顔はいつも笑顔です。
予定外の勤務も決して断らず、患者の搬送が相次いで外傷センターの全員が手一杯になったときは、非番でも進んで出勤していました。助けを求められたときには決して断らない性格でした。爆撃の日も地下シェルターで休みを取ることなく活動を続け、危篤の患者の治療にあたっていました。


ベッドの上で患者が焼かれた

アフガン空爆・看護師ラヨス・ソルタン・イェクス氏の証言

 私はセンターの避難室で寝ていたのですが、午前2時ごろ、爆音で目が覚めました。最初は何が起きているのかわかりませんでした。直近の1週間でも爆撃や爆発の音は聞こえていたものの、どれも離れた場所からの音でした。でも、今回は違います。近距離からの轟音でした。最初はとにかく混乱していました。それから、粉じんが晴れ、状況の把握に乗り出したところで、再び爆撃がありました。20〜30分後、私の名前を呼ぶ声が聞こえました。救急処置室の看護師だったのですが、片腕に重傷を負い、よろめいていました。全身血まみれで、至る所けがだらけでした。
 燃える建物内に目を凝らした時の光景は、説明しようもありません。あのような惨状を描写する言葉があるとは思えません。集中治療室では患者6人がベッドの上で焼かれていました。
 センターは地域の人にとって保健医療そのものでした。その施設が失われたのです。
 今私の心の内にあるのは、絶対に容認できないという思いです。どうしてこんなことが起こり得るのでしょう。意味もなく医療施設と多くの人命を奪って、何の得になるのでしょうか。言葉が見つかりません。

以上