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被災者本位に復興政策の転換を―時間止まったまま

全国保険医新聞2016年3月25日号より)

 

堀川章仁医師インタビュー 原発事故被災地の今

双葉郡医師会会長
福島協会会員 堀川章仁氏

 原発事故か5年が経過した福島県では、いまだに約10万人が避難生活を送っている。双葉郡医師会会長の堀川章仁医師(写真)もその一人。福島県富岡町で20年以上開業していたが、診療所は帰還困難区域にあり現在は閉鎖。二本松市内に避難し、郡山市の病院と富岡町からの避難者の仮設住宅内の診療所で診療している。被災した住民や医師の現状を聞いた。(聞き手編集部)

 

あきらめきれない思い

 福島県大玉村にある原発事故被災者の仮設診療所で、週1回診療している。気持ちが落ち込むと話す患者が、最近増えている。新しい家を建てたのに全くうれしいと感じない、かえって涙が出てくると言う患者、新しい生活を始めたいのに、心が落ち着かない、夜眠れないと訴える患者もいる。
 原因は、「諦めきれない思い」ではないかと思う。東日本大震災の翌日、詳しいことを知らされないまま避難命令が出され、そのまま5年が経過した。心の準備なく開始された避難生活が長引き、被災者は「なんでこんなことをしなければならないのか」と異口同音に言う。失った生活を諦めなければならないのに諦めきれない、という思いがストレスになっている。

突然故郷を追い出された

 われわれの時間は2011年の3月11日で止まったまま、という感覚だ。
 他にも、たとえば賠償金を使って新しい家を建てたが、やっかまれるのではと不安に感じ、他の被災者と気楽に話すことができなくなってしまうなど、賠償金の額や使途をめぐって抱える思いが精神的な不調の要因となることも多い。
 狭い仮設住宅の中で横になっている時間が増えたという話もよく聞く。高齢者は、数日活動しないと筋力低下で動けなくなり、そのうち、認知症が始まるという悪循環に陥ってしまう。

「何でもいいから診療所に」

 仮設診療所は「心のよりどころ」と位置づけ、「何でもいいから診療所に来て」「人に言えないことを診療所で話していいよ」と声を掛けている。精神的に不安定になった患者を、近所の人が連れて来ることもある。秘密を守る医師に話すことで心が整理され、薬を処方されて不調が回復するケースは多い。
 しかし、どんなに声を掛けても仮設から出てこない人も。イベントを企画し被災者どうしの交流を図ろうともしているが、本当に参加して欲しい方がなかなか出てきてくれない。仮設に閉じこもってしまう被災者の心身の健康が心配だ。

「燃え尽きた」 被災開業医の思い

 4日程度で戻れるだろうと1990年から20年以上福島県富岡町で開業していた。震災翌日の午後に避難した時は、長くても4日程度で戻れるだろうと思っていた。
 二本松市の親戚宅に身を寄せた後、避難した富岡町の住民を、車で探して回った。住民たちの健康状態が気がかりで、医師として何かしなければ、という思いからだった。二本松市近辺を探しても見つからなかったが、数日後、知り合いの医師に「郡山市に被災者がいる」と教えられ、診療に通うように。8月に被災者が大玉村の仮設住宅に移動すると同時に、診療所も移った。7人いた自院のスタッフは、震災後ばらばらになった。
 月に1回、避難指示区域にある自分の家に一時帰宅し、ねずみに荒らされていく家を掃除する。そのたびに、患者から聞く「なんでこんなことをしなければならないのか」という言葉が頭をよぎる。

避難指示区域の概念図医院経営を突然打ち切られ

 双葉郡は、原発の避難指示区域となっている浪江町や双葉町を抱える(「避難指示区域の概念図」参照)。震災時に双葉郡医師会に所属していた医師は53人。そのうち7人が双葉郡内外での再開、もしくは事故前と同様の勤務や開業を継続している。残りの46人は、避難後に別の病院などで職を得た。
 避難した開業医の多くは、「燃え尽きたような感覚」を持っている。開業にエネルギーを注ぎ、苦労を経て続けてきた医院経営が突然打ち切られてしまうと、糸の切れた風船のようになってしまう。医院の再開に前向きになれないという感情を多くの医師が抱えている。

 

政府の復興政策と現実のずれ

 さらに、住民が帰還に消極的なことも再開が困難な理由だ。
 復興庁の調査では、富岡町民で、「戻りたいと考えている」と答えたのは回答者の約14%(図)。避難指示が解除された楢葉町でも、帰還したのは住民の約6%のみとの報道があった。
 帰還しても、町では事故前と同じ産業は成り立たないだろう。原発事故で、住民は生活の基盤を全て奪われてしまい、帰還後の生計手段も不明なままだ。このままでは多くの住民は戻らないと思う。
多くの医師は、双葉郡のために何かやりたいという思いは持っている。しかし現実には住民の戻りそうにない故郷での医院経営は厳しく、再開の見通しは立たない。
 今、政府は避難指示区域の大部分を「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」とし、2017年3月までの住民の帰還を目指して、準備を進めている。しかし帰還だけを急ごうとする政府の計画は、机上の空論と感じている。
 富岡町の一部や、大熊町、双葉町の大部分を占める「帰還困難区域」は、現在も立ち入り許可が必要とされ、今後の帰還の見通しは不明だ。

図 富岡町民の帰還に向けた意向調査(2015年8月調査)

「国・県の財政支援を」「方針が立たない」

福島県の医療機関意向調査より

 福島県は昨年11月に、双葉郡内の医療機関を対象に行った再開に向けた意向調査の結果を公表した。回答した35施設では、「条件が整えば再開したい」が最多で40%。再開の条件では、「住民帰還」をあげた医療機関が13施設と最も多かった。調査で寄せられた診療所の意見を一部紹介する。(福島県ホームページより抜粋)

帰還後の診療所の運営は、帰還する町民の人数が不透明ななため財政的に困難と推測されるが、復興に向けた地域医療確立のために必要不可欠なので、国、県の財政支援を要望する(医科)。
 


帰還困難区域の自分の医院に戻っての再開は不可能。他地域での再開も難しい。帰還住民や復興関連事業従事者、原発作業員等の健康を守るために、双葉郡への医療機関の設立は必要。公的な医療機関等の設立があれば、全面的に協力したい(歯科)。
 
 
今の町の状況では未来予想図が描けない(歯科)。
全く前が見えず、方針が立たない(医科)。
利益に対する保障では再開は不可能(歯科)。

以上