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昨日より楽しく―難病患者の3.11

全国保険医新聞2016年4月5日号より)

 

 東日本大震災から5年。被災者の経験はいずれも過酷だ。重い病気を抱える人たちにとって震災はどのようなものだったのか。津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市で被災した難病患者の鈴木明美さんに話を聞いた。(聞き手は編集部)

 鈴木さんは多発性硬化症(MS)を患う。手足の感覚障害に慢性的な痺れと痛み、脱力感がある。右半身は自由に動かせない。視覚障害で視野の90%を失った。「昼間でも、視界が360度真っ白な雪に包まれているよう」と話す。体調が悪いと丸一日寝込んだままだ。

津波は音の塊

 石巻市内の自宅で被災した。体調が悪く、眠っていたところを激しい揺れが襲った。「どうにか庭へ逃げ出たところで脱力して動けなくなった。余震が続く中、周囲のようすもわからないままうずくまっていた」。鈴木さんの病気を知る近隣の女性が助けに来た直後、津波が二人のもとに達した。女性に助けられ、首まで水につかりながら、近くのバイク修理工場にあるロフト状の資材置き場に逃げ込んだ。
 目の不自由な鈴木さんにとって津波は音の塊≠セった。「すぐ足元で巨大な渦巻きができているのがわかった。飲み込まれたバイクや工具がぶつかって鋭い金属音をたて、すさまじい量の水が流れる轟音が空間を埋めていた」。今でも、硬いものがぶつかる音で血の気が引く。

いっそ死ねばよかった

 どうにか近くの小学校まで避難した。
 避難所内ではしだいに自主的な共同作業が始まり、食料調達や水汲みなどの役割分担が生まれていった。「私にはどれもできそうになかった。体は濡れたまま凍え、体調は最悪。動けなかった」。そんな鈴木さんに周囲は非難の目を向け始める。「なぜ怪我もしていない若い人が」「お年寄りでも働いてるのに」「ずるい」。鈴木さんの病気は外見からは分かりにくい。自分の状態を説明するほど孤立した。荒れた野外で体のバランスが取れないと言えば、「足が悪い人も働いている」、目が見えないと言えば、「自分も白内障をやったのに」。
 症状や辛さが周囲に理解されにくいのは、見た目にはわからない難病や障害を抱える人たちが日常的に直面する問題だ。まして皆が極限状態の被災下、他人の弱さを想像するゆとりも失われる。「みんな辛い思いをした。気持ちはわかる。でも、ああいう言葉を直接ぶつけられると…。あの時のことを思い出すと、いっそ津波で死ねばよかったと思うほど情けない気持ちになる」。

これでよかった、そう思う

 鈴木さんは今、公営の復興住宅で暮らしている。
 40代で発症する前は美容師として働いていた。夢に見続け、家庭を持ちながら美容学校に通って得た仕事だった。発症後はハサミを握れなくなり、絶望して自殺も考えたという。発症から7年目に震災が起こり、生まれ育った場所も幼い頃からの友人も失った。「それでも死ななかった自分は生かされているのだろう。これでよかったのかな、そう思うしかない」。
 今は人との交流が楽しい、手仕事も好き。右手のリハビリに折り紙でポチ袋や爪楊枝入れをつくる。老人ホームに持っていくと喜んでくれる。障害のある子どもとの関わりも探していきたい。「震災から5年。昨日より今日が楽しいと思いながら暮らしたい」。


 

引きこもり男性を元気に―孤独死防ぐコミュニティ再建

 福島・南相馬市立総合病院の小鷹昌明医師は震災や原発事故で壊れたコミュニティの再建に力を注ぐ。視点は「男性を元気にして復興の基礎に」。3.11後に栃木県の大学病院から当地に赴いた。取り組みについて話してもらった。(聞き手は編集部)

 阪神淡路大震災のとき、コミュニティの崩壊や被災者の孤独死が問題になりました。うつやアルコール依存症に陥る人も多かった。赴任後、孤独死を防ぎたいという思いから、仮設住宅で居住者が交流するサロン活動を始めました。ところが、参加者はほとんど女性。男性が来てくれない。阪神淡路の教訓として、孤独死がとりわけ中年以降の無職の男性に多かったことがわかっている。何とかしたいと、頭をひねりました。
 病院の仲間とコミュニティ創出を目指すチーム「H=引きこもり、O=お父さん、H=引き寄せ、P=プロジェクト」、その名もHOHP(ホープ)≠立ち上げました。
 さっそく男性が好みそうな趣味をいろいろ考えて、「男の木工教室」を始めました。地元の建築関係の組合に指導役を相談すると「全員で教える」と即決してくれた。ただの趣味で終わらせたくないと、公園のベンチや小学校の図書室の本棚など、公共の利益になるものを皆で作りました。
 他にも、避難指示の解除を目指している市内小高区の復興プロジェクトとして「男の料理教室」を開催しました。同区で飲食店を営んでいた店主を講師に、食を通じて区民がつながる場になればと。
 なぜイベントに「男の」と銘打つのかと聞かれることがあります。もちろん女性も参加していますから。理由は、「男の」と付いていないと男性が出てこないから。たぶん、男はシャイでプライドの生き物なのでしょう(笑)。役割や居場所、頼ってくれる誰かが必要なのです。でも、男性が元気になれる環境って、みんなにとっても復興の基礎かなと思います。

以上