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座談会 日本国憲法は医療現場にも
―伊藤真氏と医師・歯科医師が考えた―

全国保険医新聞2016年6月5日号より)

 

 医療に関するさまざまな取り組みに関わってきた医師・歯科医師が、自ら主宰する「伊藤塾」で司法試験受験生らに憲法の価値を伝えてきた伊藤真弁護士とともに、日本国憲法や憲法をめぐる昨今の諸問題を考えた。(座談会の詳細は『月刊保団連』7月号に掲載)。

すべての人にかけがえのない価値がある

伊藤塾塾長・
日弁連憲法問題対策本部副本部長

伊藤 真(いとう・まこと)

杉目 伊藤先生が塾長を務める「伊藤塾」は、憲法価値を実現できる法律家の育成を理念としていますね。
伊藤 30年以上、主に司法試験の受験生たちを教えています。
きっかけは東大法学部の学生時代、米国人の友人に「日本の憲法で一番大切なことは何か」と聞かれ、答えられなかった経験です。小学生の頃から、「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」の3つが大切と教えられてきました。でも「一番大切なもの」が分からない。
 それで調べてみたら、この三原則よりもっと重要なことがあったんです。それが、憲法13条の「個人の尊重」です。これには、「人は皆同じ」と「人は皆違う」という2つの意味があります。豊かな人も、貧しい人も、ハンディキャップのある人も、人種も宗教も性別も一切関係なく、誰もが人間として尊重され、尊厳を持って生きる価値があるということです。
 驚きました。こういう本質的なことを、大学の授業でも教えないんですね。
 また、小さな頃から同調圧力はあるし、皆同じであることが平等という感覚もありました。しかし、人は皆違っていて良い、違っていても皆かけがえのない価値がある、と日本国憲法は謳っているんです。
 このことを、もっと多くの人に知ってほしいと思いました。

自分の講義では、「憲法は法律と違って国を縛るもの」という立憲主義の考え方と「個人の尊重」を繰り返し話しています。

東京保険医協会理事・医師
細部 千晴

被災者の医療費免除打ち切りの不合理

杉目 宮城県では、東日本大震災の被災者の医療費窓口負担免除が今年4月で多くの市町村で打ち切られてしまいました。一方、岩手県では、国保加入者と後期高齢者の被災者の免除が継続しています。同じ被災者なのに、住む場所や加入している保険による格差が生じているのです。
 昨年11月から今年1月にかけて行った宮城県保険医協会のアンケート調査によれば、今年3月まで免除されていた方の90.9%が医療機関を受診しており、持病のある方は96.8%、免除が打ち切られたら受診を控える、辞めるという方は37.5%でした。
 行政の判断により、住民の命と健康が犠牲になっていると思います。憲法25条は生存権を保障しているといわれますが、この状態は憲法違反ではないのでしょうか。
伊藤 憲法25条は全ての国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利を保障しています。これは、ぎりぎり最低限度の生活ではなく、個人としての尊厳を保てる人間らしい生活のことです。根底には、やはり13条があります。
 この25条は、日本国民が自らの意思で憲法に入れ込んだものです。
 日本国憲法のたたき台は、マッカーサーが日本政府に提示した「マッカーサー草案」ですが、ここには25条は入っていませんでした。アメリカ合衆国憲法には、25条のように社会的・経済的弱者が国に「人間に値する生活」を求める権利(社会権)がないからです。そのため、米国には皆保険制度はなく、保険が金儲けの手段になってしまっています。
 25条は、戦争で大変な思いをした人たちの願いが込められた条文だと思います。「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことを、恩恵や施しではなく「権利」としていることが重要です。

権利とは「正しいこと」

伊藤 「権利」の語はもともと日本にはなく、幕末に西周という学者がヨーロッパからrightの語を日本に持ち帰りました。
 英語のrightには「正しい」という意味もありますね。
 この語を「権理」と訳すべきという主張もありました。「理」つまり「正しさ」のニュアンスを込めるということです。しかし「利」の漢字とされたために、このニュアンスが薄くなってしまいました。
 日本では、権利を主張すると「わがまま」「うるさい」などと言われかねない。たとえば生活保護の受給は権利なのに、なんとなく後ろめたい感覚を持ってしまうし、バッシングもあります。
 しかし本来「権利」は「正しい」ことですから、25条に基づいて堂々と国に要求していいのです。

主張し続けることの大切さ

伊藤 理想高く規定された25条ですが、実現には国家財政の後ろ盾が必要です。残念ながら今は、裁判上の救済を得るには、25条は生活保護法などの法律で具体化されている必要がある、というのが主流の考え方となってしまいました。
 しかしだからこそ私たちは国に対し、25条を具体化するための法制度を要求し続けなければならないと思います。主張しなければ、「健康で文化的な最低限度の生活」はいつまでも実現できません。
 被災者の医療費の窓口負担は人の生死に関わることだから、25条を根拠に、国の負担で免除をしてほしいというのは正当な要求であり、粘り強く続けていただきたいと思います

富裕層の窓口負担は重くすべきか

細部 私は今、義務教育修了までの子どもの医療費無料化を求める署名を集めています。しかし署名をお願いすると、「受益者負担を求めるべき」「富裕層は窓口負担を多く負担すべき」などの声が返ってくることもあります。憲法では、どう考えるのでしょうか。
伊藤 経済原理の下では、サービスに対価を支払うのは当然です。しかし国民皆保険制度は、医療は経済活動ではないという前提にたち、個別の医療サービスに対する対価という発想をやめるところから出発したものです。経済取引は自ら望んで行うものですが、病気になるのは自分の意思ではないのですから。
 健康で文化的な最低限度の生活を保障した憲法25条に基づき、病気になってしまった人の医療費の負担は、皆で分かち合う。これが皆保険制度の本来の考え方で、受益者負担の発想を取り込めば、制度そのものの否定になってしまいます。
細部 富裕層の窓口負担を重くすることが、「平等」という考え方もあるようですが。
伊藤 憲法上の平等という観点からは、富裕層か貧困層かにかかわらず、同じ病気であれば同じ医療サービスを提供されるべきです。貧困層と富裕層との格差の是正は、税や保険料の徴収の段階で行っているはずなのです。
 だから、子ども医療費助成であれば、無料の範囲を中三まで、高三までと広げていくことが、皆保険制度の理念にかなうことだと思います。

理念とかけ離れた皆保険

宮城県保険医協会理事・医師
杉目 博厚

杉目 今の先生のお言葉は、非常に心強いです。
 25条からスタートした皆保険制度は、既に今の医療現場にはありません。
 たとえば健保本人の窓口負担は、制度開始当時はゼロだったのが、定額負担、定率負担と変化し、負担割合も1割から3割へと上がるなど、受益者負担の発想が次々と入ってきています。 
 所得税の最高税率や法人税率は引き下げられ、国保料は高すぎるなど、税や保険料の徴収も格差を是正するものとはなっていません。経済財政諮問会議の中では、成長戦略の中に医療が含まれており、このままでは医療を経済原理に組み込む動きが進んでしまうでしょう。
 保団連では患者負担増をストップさせるためのキャンペーンに取り組み、医療の営利化にも反対していますが、皆保険制度の成り立ちを考えると、今の医療・社会保障をめぐる動きがおかしいことがよくわかります。
細部 憲法13条と25条の意味を訴えながら、がんばっていきたいと思います。(5面に続く)

医療、人権、平和はつながっている

国民のために国がある

伊藤 日本の皆保険は、戦後の焼け野原の中から皆で築いてきた誇るべき制度です。そこに経済性、功利性を持ち込んでしまえば、国が国民一人ひとりのためにある、という憲法の根本にある考え方が揺らいでしまいます。
細部 「国民主権」ということでしょうか。
伊藤 そうです。13条で尊重される個人個人が国づくりの主人公、というのがその意味です。
 欧米では、多くの国ができたり消えたりする中、たまたまそこに住んでいた人たちが、意識的・主体的に国を作り上げてきました。
 日本では、国は自分たちとは別のところに昔から存在していた、というイメージで捉えられがちです。国土や文化、歴史、伝統の流れと国を同一視してしまう。
 けれども憲法でいう国は、それらとは異なります。われわれが自覚的に作り上げた権力のことで、その主体は国民です。
 本気で国作りをしようと思えば、私たちは自分の国のあり方について声を上げていく必要がある。 昨年から安保関連法の問題で多くの人が声を上げるようになりましたが、同様に医療制度やその他の問題についても、皆が声を上げ、官邸を取り囲むのが健全な姿だと思います。さらに、日本をどのような国にしたいのか、その思いを託すのが選挙です。

緊急事態条項では命を守れない

杉目 今選挙のお話がありましたが、安倍首相は次の参院選で、与党で改憲の発議に必要な3分の2の議席数をとり、改憲して「緊急事態条項」を日本国憲法に創設したいとしています。
 しかし、奥山恵美子仙台市長は、「震災で改憲が必要と考えたことなど一度もない。震災時は地方自治体が喫緊の優先課題が何なのかを目の前で見ながら活動することが大事だ。国への権限の一元化ではなく自治体への権限強化が必要」と述べています。緊急事態条項は震災対策には不要ではないでしょうか。
伊藤 その通りです。
 災害対策には、災害対策基本法や災害救助法などの法律が整備されています。東日本大震災で多大な混乱と被害の拡大が生じたのは、これに基づく準備や訓練が不足だったためです。
 憲法にいくつか条文を入れただけで、市民の命が守れるものではありません。
 そもそも緊急事態条項は、憲法上の権限をすべて内閣に集中し、これまでお話ししてきた13条や25条も含めて人権の一時停止を可能にするものです。
 たとえば裁判所の令状がなければ家宅捜索はできないという刑事訴訟法の規定も変えることが可能だし、緊急事態を口実に、表現の自由や知る権利を制限し、国民に情報を与えないまま、改憲の国民投票をしようということもできる。
 こんな条項をあたかも災害対策かのように見せかけて改憲しようとするのは、姑息だし悪質だと思います。

戦争は最大の人権侵害

伊藤 昨年から、安保関連法が9条に反しないか問題になっています。
 戦争は生命を脅かしますから、最大の人権侵害です。25条も13条もないがしろにされます。命を救う医療も戦争とは対極にありますね。戦争中の軍医は、戦争で人殺しをさせるために、兵士を治療することになります。
 人の命を大切にするという根本のところで、医療と人権と平和はつながっている。だから、戦争につながる動きには、イデオロギーや支持政党は関係なく、絶対に声を上げていかなければならないと思います。
細部 緊急事態条項のことなど、多くの医師は知らないと思うので、ぜひ広めていきたいと思います。
杉目 憲法と医療がこんなに結びつくとは思いませんでした。心に響く言葉をたくさんいただきました。これを力に、皆保険制度の充実を訴え続けていきます。

以上