ホームニュースリリース・保団連の活動医療ニュース 目次

 

2016参院選―保団連の視点―

全国保険医新聞2016年6月15日号より)

 

社会保障財源はある

副会長 三浦清春

 国は、財政再建と社会保障のためにと、繰り返し国民に消費税増税を押し付けてきた。その結果はどうであったのか。財政再建は遠のくばかりで、医療・社会保障制度は連続改悪となっている。消費税増収分はどこにいったのか。それはざっくり言って大企業を中心とした法人税減税の原資になっている。実際に、消費税が導入された1989年から今日に至るまで消費税の増収分と法人税減収分がほぼ拮抗し鏡面像となっている。
 さらに富裕層など高額所得者に対する所得課税のフラット化や逆累進性の原資にもなっている。そしてその帰結が“格差貧困化社会”である。経済は低迷し、労働者の実質賃金は連続マイナス、子どもの貧困率も16.3%とOECD諸国で最悪グループにいる。病気になっても病院にかかれない、治療しても中断する患者が増えてきているのである。
 ここからいかに脱却して、住みよい豊かな日本を築くかは参議院選挙の重要な争点である。それは、これまで破壊されてきた税と社会保障が持つ所得再分配機能を取り戻すことである。いびつな歳入構造を正し、応能負担原則を強めて社会保障の財源を確保することである。保団連はその立場から、2015年「医療再建で国民は幸せに、経済も元気に―医療への公的支出を増やす保団連の3つの提案」2015年9月15日号より)を発表した。以下その要点を紹介する。
 そもそも日本の医療・社会保障給付費は、ヨーロッパ諸国にくらべて約7%も少ない(GDP比)。額にして社会保障全体で32兆円、医療で10兆円少ない。逆にそれだけ増やしていけるということである。その場合の財源は、この間多額の内部留保をため込んできている大企業に、応分の税と保険料を求めていくということである。研究開発減税などさまざまな大企業優遇税制を改めたり、法人税の課税ベースを拡大したり、また保険料においても正規労働者の比率を高めることなどがポイントになる。なお、この場合医療機関など中小零細企業には、国庫負担なども含めて軽減措置や診療報酬での十分な手当てが必要である。
 次に、所得課税においても応能負担原則を強めることが重要である。例えば所得税最高税率を消費税導入年の60%へ戻す、株式配当など分離課税を総合累進課税にすることなどで財源は出てくる。このような応能負担原則で財源を確保して社会保障を拡充させていく道は、社会保障の持つ優れた雇用誘発効果や経済波及効果を引き起こすことになり、低迷する日本経済を活性化させるであろう。
 参議院選挙で歳入面で応能負担原則を重視する議員が増えることを期待したい。合わせて歳出面で、原発など無駄な公共事業はないのか、憲法9条の下5兆円を突破した防衛費に問題はないのかなどを問う議員が増えることを期待したい。

 

国の責任で社会保障の充実を

副会長 武村義人

 平和の問題では多数の憲法学者や法曹界からも違憲の声が上がった安保関連法が、昨年9月、数の力で強行採決され成立した。これに対し多くの国民がこの決定の取り消しと、同法の廃止を求めて立ち上がった。この間、権力を縛るという憲法の役割が多く国民の知るところとなり、「改憲か護憲か」ではなく「立憲か非立憲か」という対立構造が鮮明になっている。
 社会保障の分野ではどうか、憲法25条の精神に反する法律がすでに成立している。2012年の「社会保障制度改革推進法」である。三つの重大問題を含んでいる。一つ目は、社会保障を自助自立、共助を中心とし、国の役割はそれを補完するものとして、国の責任を矮小化したこと。二つ目はこれらの財源として逆進性が問題となる消費税を充てるとしたこと。最後に、附則として生活保護制度の見直しを決めたこと。生活保護水準は、住民税非課税限度額を規定し、多くの低所得者対策と連動しており、介護保険料や医療費の上限、保育料など日常生活に大きな影響を持つ制度である。
 国民健康保険制度においては、国は以前から「国保は相扶共済制度」として、国民にアナウンスし社会保障における国の責任逃れをしようとしている。しかしこれは旧国保法の下での最高裁の判決に基づいたものである。現在では新国保法が定めるように国保は国の責任で運営される社会保障制度だ。
 政府は少子高齢化社会や国家の財政難のため“受益と負担の均衡がとれた持続可能な社会保障制度の確立”を目指すとしている。しかしどのような理由があろうとも国民の権利を侵害してはならないというのが、憲法の精神であろう。むしろ国民の権利を守るために財政措置をとることが国の責任である。さらに税の応能負担も憲法の要請であり、単純に考えても消費税はこの精神に反する。最低生活費には課税しないという原則も憲法から導き出されることを忘れてはならない。
 現状では、高くて払えない国保料、少ない年金から天引きされる介護保険料、さらに窓口負担や消費税など理不尽な制度が国民生活を圧迫する。これに加えて政府は、7月の参院選後に、高額療養費の患者負担限度額の引き上げや湿布や漢方薬の保険外し、介護保険利用料の2割への引き上げなどの負担増・給付抑制策を計画している。
 「いつでも、だれでも、どこでも」お金の心配なく受けられる医療・介護などの社会保障の拡充は憲法の要請であり国はこれに向け努力し実現する義務がある。われわれも憲法が求める自由と権利を保持する「不断の努力」を怠らず着実に運動を推し進めていくことが重要である。

 

医師として憲法・安保法に向き合う

副会長 飯田哲夫

 もう何年も何年も前、地元に帰って医院を継承してしばらくたった頃、いまはもう故人となったある医師会長からこう言われた。「医師は会社勤めの方より経済的には少しゆとりがあることが多いし、何よりも自らの社会的な発言への制約はかなり少ない。それは社会への貢献を見込んで与えられたものだから、社会的なさまざまな問題への関心を失い、何も発言しないなどあってはならない」と。
 医師・歯科医師は医学・歯学を学び、それを社会の仕組みのなかで実践していく。また医療はその性質上、人権と密接な関係をもつ。それゆえ、もし社会の仕組みが歪んでいれば、それは人の持つ権利などを侵しやすく、医療そのものが歪められてしまう。社会の仕組みの根本を定め、人権と密接な関係がある憲法を変えようとする動きに、医療に携わるものは無関心ではいらない。もし憲法が守られなかったり、その本義に逆行するような変更の恐れがあるときは、われわれの実践=医療が歪められないように行動する必要がある。また医療と一見距離があるようにも見える平和の問題も、同様である。戦争が最大の環境破壊を引き起こし健康を損なわせ、また最大の人権侵害を引き起こし医療の実践を歪めてしまうことを思えば、そこへの道を開いていく恐れのある安保関連法(戦争法)にも無関心ではいられない。
 しかしすぐに聞き慣れた言葉が聞こえてくる。「あまりに・政治的な」問題には関わるべきでないと。しかしこの「あまりに・政治的な」問題とは誰がどのような基準で決めるのだろう。われわれの本業である医療と政治との距離で決めるのであろうか。われわれはさまざまなことにさまざまな考え方を持つ。それ故にその基準自体が「あまりに・政治的な」ことにならざるを得ないのではないか。また明確な基準がないとすると、なし崩し的に医師・歯科医師は社会との関わりを失うことになりはしないだろうか。
 また、もしわれわれが、医療に携わる者として、自らの考えとしての発言や行動が、ある党派のものと類似しているからという理由で、それの持つ意義を議論せず否定するようなことがあれば、それは別の党派のそれと類似しているなどと不毛な論争に陥ってしまわないだろうか。
 平和を基本とする憲法から逸脱する安保関連法制、あるいは立憲主義・人権保障という憲法の本義と逆行する「改憲」論議に対し、この夏の参院選では、医療に携わる者が、自らの医療の実践との関わりで考え、選択することが求められている。

以上