困難に寄り添って―赤ちゃんポストが見つめた10年
(全国保険医新聞2017年4月5日号より)
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熊本県・慈恵病院理事長
蓮田太二さん |
何らかの理由で育てることができない赤ちゃんを預ける「こうのとりのゆりかご」、通称「あかちゃんポスト」。熊本県・慈恵病院が設置して今年で10年を迎える。なぜ女性たちは「ゆりかご」を訪れるのか。理事長の蓮田太二さん(熊本県保険医協会、写真)は「背景には日本の母子の置かれた貧困や孤立がある」と語る。
扉の前で立ち尽くし泣き続ける女性を見てきました
熊本市の中心部から車で15分ほどの静かな住宅街に慈恵病院はある。病院東側の細い道に面して「こうのとりのゆりかご」と書かれたアーチが立つ。背の高い植木で人目から守られた道を進むと赤ちゃんを預けられる小さな扉にたどり着く。
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上:入口のアーチの先は背の高い植木で周囲からは見えない |
下:赤ちゃんを預ける扉と相談用インターホン |
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扉の横には、「秘密は守ります。赤ちゃんの幸せのために扉を開ける前にチャイムを鳴らしてご相談ください」と書かれた看板と看護師と話せるインターホンがある。
扉を開けると「お父さんへ お母さんへ」と書かれた手紙が現れる。手紙を取ると引き戸が開き、その先には24時間一定の温度に保たれたベビーベッド。赤ちゃんを寝かせて扉を閉めると安全確保のためロックがかかり、もう外からは開かない。赤ちゃんが預けられると、ナースステーションと新生児室ではブザーが鳴る。
慈恵病院に勤務して6年になる看護部長の竹部智子さんは「現場への駆け付けはいつまでたっても慣れることのない、何とも言えない瞬間です」と話す。「ブザーがなると預けられた赤ちゃんの姿がモニターに映し出されるのですが、初めて遭遇する新人職員は涙を流して立ちすくんでしまうこともあります。駆け付けるときは、ただ赤ちゃんとお母さんの無事を考えて急ぎます」。
「赤ちゃんを預けた親はすぐその場を立ち去るものだと思うかも知れませんが、実際には扉の前で立ち尽くし泣き続ける女性たちを多く見てきました」と竹部さんは語る。
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手紙を取ると「ゆりかご」への最後の引き戸が開く仕組み。扉の向こうの部屋は駆け付け時以外は無人になるように施錠されている |
理事長の蓮田太二さんは「女性たちの気持ちは簡単ではない。育てることができない自分を責め、人に知られることを恐れながら、ようやくやってくるのです」と話す。
2007年5月の開設から16年3月までに預けられた件数は125件。病院では「ゆりかご」を訪れた際に話ができた女性たちから理由の聞き取りを行ってきた。
「最も多かったのは生活困窮、貧困です。未婚、パートナーとの問題、不倫などが続きます。実際にはこれらの問題が複雑に絡み合っている。例えば、人工妊娠中絶が可能な期間を過ぎた後に、パートナーから妻子がいることを告げられ、連絡が途絶えてしまう。貧困状態で人間関係も希薄な中、受診も相談もできずに自宅出産に至る、といったケースです」。
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「ゆりかご」が設置されている新館のマリア館 |
蓮田さんは「貧困の中で時として人間は想像もできないような苦境に陥ることがあるのです。我が子を捨てた¥乱ォたちを道徳的に批判するのは簡単ですが、それでは赤ちゃんも女性たちも救うことはできません」と語る。
子どもを受け取るだけではだめ
赤ちゃんポストが見つめた10年
理事長の蓮田さんに「ゆりかご」開設を決意させたのは、熊本で起こった赤ちゃんの遺棄、死亡事件だった。
児童虐待の相談件数は年間10万3,000件以上(15年度)。この15年ほどの間に約6倍になった。死亡事例の6割以上が0歳児で、このうち55%が生まれてひと月以内に亡くなっている(14年度)。
「虐待死のニュースを聞くたびにやりきれなかった。そんな時、ドイツ発祥の赤ちゃんポストの存在を知り、視察に行きました。04年当時、ドイツ国内で既に約70カ所設置されていて『これなら自院でもできる』と感じました」。
視察後、熊本市内で生まれて間もない赤ちゃんの遺棄が立て続けに3件起こり、うち2人が亡くなった。蓮田さんは「ゆりかご」の開設を決めた。
「さまざまな批判も呼びました。とりわけ大きかったのが『出自を知る子どもの権利を奪う』『子捨てを助長する』というものでした。しかし私には、法律や道徳は、命より先にくるものなのか、という思いが強かった」。
預け入れは把握された限りでは九州地方からが最も多い(39件)が、北海道(1件)や東北(3件)、関東(22件)など遠方から訪れる人もいた。
「県外の自宅で出産した直後に出血したままで車を運転してきた女性もいた。自分で育てることができなくても、ここなら子どもを幸せにしてくれると思い、女性たちは訪れるのだと思います」。
看護部長の竹部さんは「『ゆりかご』は社会への問題提起でもある」と話す。「『ゆりかご』がなければ彼女たちは存在さえ知られずにいたのではないでしょうか」。
慈恵病院では預け入れを未然に防ぐ取り組みにも力を入れている。24時間無料の電話相談「SOS赤ちゃんとお母さんの妊娠相談窓口」を開設。ソーシャルワーカーや看護師が対応する。相談したことで、自分で育てようと決意する親もいた。
中には「貧困で病院に行けず住む場所もなく、妊婦が車の中で意識を失った」というパートナーからの相談もあった。必要があれば生活保護や子育て支援などの制度に相談者をつなぐこともできる。
赤ちゃんの預け入れは08年度の25人をピークに年間10人前後まで減った。一方、相談件数は増え続け、「ゆりかご」開設当初の501件から15年度には5,400件以上になった。
蓮田さんは「子どもを受け取るだけではだめ。その人の生活を支えることが必要だと思います。しかし社会的支援の制度はなかなか知られていない。困っている人をきちんと行政の制度につなぐ手助けが必要なのです」と指摘する。
慈恵病院のルーツは、1898(明治31)年に「マリアの宣教者フランシスコ修道会」から派遣されたシスターが設立した困窮者のための診療所だ、と蓮田さん。「医療者の皆さまには、困難の中にある人たちに寄り添い、助ける勇気を持ってほしい」。
以上