無給医問題 解決探る―シンポに参加して
愛知協会副理事長・板津慶幸
(全国保険医新聞2019年9月5日号より)
勤務医の労働組合「全国医師ユニオン」(代表・植山直人氏)は、診療に従事しても給与が未支給などの「無給医」について問題提起し、解決策を探るシンポジウムを7月13日に東京都内で開いた。参加した愛知協会の板津慶幸副理事長(写真)に報告を寄せてもらった。
無給医シンポジウムには100人近くの参加があり、NHKはじめ多くのメディアからも注目された。
文科省が大学病院に行った「教員等以外の医師・歯科医師に対する処遇に関する調査結果」で3万1,801人中2,191人に給与が支給されていないと報告した。
植山代表は、労基法違反の当事者である大学から回答を求めたもので、結果は氷山の一角との認識を示した。研究や研鑽などの合理的理由から支給対象でないとした3,600人について具体的な内容は不透明として、植山代表は労基署による無給医の緊急点検と厚労省による結果発表を求める要望書を7月16日提出するとした。
同一労働同一賃金こそ
過労死問題の弁護士、松丸正氏が、鳥取大学院生の過労運転事故死例を報告。夜間の緊急手術から早朝に一旦帰宅して、関連病院へ向かう途中で事故死した。労基署は労務があれば対価の支払いを求めているので、無給医は究極のサービス残業と指摘した。支給される場合も同一労働同一賃金としなければならないとした。
シンポジストの大学院生は、4年間のうち2年間は診療に従事して、支給は年36万円+当直代、月14回の当直のこともあった。無給医を経験して最も感じたのは自己肯定感が崩壊することだったと述べた。上司に訴えると「わがままだ」と言われてしまう。
フロアから大学所属で関連病院の専攻医が意を決して発言して、大学病院で週1日外来診療しているが、嘱託医で無給との辞令をもらったとのこと。病気でやめてしまった仲間もいると涙ながらに報告した。過去の無給医の動きを聞いて心強く思ったとの言葉も。
歴史の教訓も
私からは「50年前にあった無給医運動」について述べ、当時1万人以上(大学院生も含む)が存在していることを問題化しようと名大副手会と群大の呼びかけで無給医全国対策会議が1964年に発足、15大学が結集したと報告した。全国統一行動として診療放棄を65年に実行し、66年の第2回目には北大から長崎大まで10大学となり全国規模となって社会問題化できた。その後、日額400円の診療報酬謝礼金の受取り拒否を経て、70年に非常勤医員制度として一応有給化した歴史を紹介して励ました。
植山代表から、7月27日に「医師の長時間労働・無給医ホットライン」を開設するとの発言があった。また専門医制度の専攻医の待遇問題は喫緊の課題である。
無給医を生む背景には、必要な診療報酬が保障されていない医療制度の問題がある。私は今後、運動を全国各地に拡げていくために「無給医プロジェクトチーム」の設立の提案と、国民・患者の共感を得ることの教訓を述べた。
以上