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病院の災害危機管理 台風19号激甚災害の街 丸森から

第1回 町と病院が直面した危機

全国保険医新聞2020年3月5日号より)

 

八巻孝之
(やまき・たかゆき)
 東北大学第一外科出身。肝臓疾患研究班に所属、文部教官助手を経て、2000年医学博士。仙台医療圏の科長・部長職を歴任し、16年3月から生まれ故郷の国保丸森病院副院長に就任。令和元年秋の台風豪雨で大規模災害を経験した。20年1月から国立病院機構宮城病院勤務。

 宮城県最南端の丸森町は、阿武隈川と渓谷や阿武隈山系に囲まれた「水と緑の輝く町」と呼ばれている。昨秋の台風19号は、この町を半日で一変させた。いつ、何が起こり、医療者はどう動いたのか―。今回は、町と病院が直面した危機的状況を聞く。(毎月5日号で全5回掲載予定。)

 

 毎年日本に襲来する台風、その進路と危険度が予想できても被害は一挙に押し寄せるため、備えがなければ「生活」の一部あるいは全てを失い、避難が遅れると「生命」に関わります。2019年10月12日夜から13日未明にかけて、丸森町が正にそうでした。
 12日午後、フル稼働していた町の排水機能がポンプ車1台を除いて停止し、外部通信も寸断。町中心部は一夜にして泥水に浸りました。山間部集落は土砂くずれによって道路の寸断が多発して孤立しました。
 11人の命と多くの財産が奪われました。被災後1カ月の時点で町推定の被害総額は400億円を超え、町政史上最悪の出来事となりました。あの日から5カ月、未だ至る所に深刻な爪痕が残り、激甚災害指定を受けた町は、今もなお、長い復旧・復興ロードのスタートに立たされています。

 

一夜にして安全な医療提供困難に

@病院周辺の自衛隊員ら
(14日午後、筆者撮影)
A被災3日目午後、階段を使った
患者移送(著者撮影)
図 被災した病院1階見取り図
(丸森町ホームページより)

 叩きつける雨の音と有事のサイレン、避難勧告の屋外拡声器放送が鳴り響き、病院の浸水が始まったのは13日午前1時45分頃。当直の医師らは、入院患者の安全確保に強い不安を抱きながら一夜を過ごしました。夜が明けると、病院1階は18センチ床上浸水し、流れ込んだ一面の泥水に為す術がありませんでした。
 断水と外部通信遮断、院内通話の不具合、1階全域の泥汚染の中、町の被害全容もわからず、職員らは入院患者55人、避難者4人と共に2日間を過ごしました。
 13日午前から、病院の外では自衛隊が救助活動を行っていました(写真@)。車で町へ向かった私は、阿武隈川を横切ってすぐ浸水域に到着したものの、救助用搬送艇に乗船できず、隣町で2日間待機しました。
 被災3日目の15日朝、水が引いて現れたのは一面の泥。外部通信は復旧したものの、厨房や外来診察室の他、ボイラー室・検査室・画像診断室、薬局、医事事務室等が泥水と下水で汚染されました(図)。この他、医療用精密機器の損壊、院内通信の不具合、断水が続いて貯水が頼りとなり、入院食は非常食になるなど、一夜にして安全な医療が全く提供できない危機に陥りました。
 15日から3日間、東北各地から派遣されたDMAT12隊と消防14チームが、退院できた6人を除く49人の患者を仙南医療圏の7病院に移送し(写真A)、病院から患者がいなくなりました。

 

仮設外来再開までに17日間

 被災から17日目が過ぎた10月28日、3階で仮設外来を開始しました。外来棟の汚染は深刻で、清掃・消毒作業が長引きました。職員らが休日出勤で準備を進め、保健所の許可が下りて、ようやく11月5日から1階で外来診療が再開されました。道路の復旧も進み、訪問診療を再開。被災から44日目の11月25日になって、歯科診療の一部再開と移送患者の受け入れにこぎつけたのでした。

以上

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