東京五輪まで1カ月 真のレガシーを問う
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八巻孝之 (やまき・たかゆき) 東北大学旧第一外科(現総合外科)出身。医学博士。仙台医療圏の科長・部長職を歴任。16年3月国保丸森病院副院長。19年10月東日本台風で大規模災害を経験。20年1月より国立病院機構宮城病院総合診療外科部長。JSPO/JPSA公認スポーツドクター。宮城協会理事。 |
東京五輪開催が約1カ月後に迫っている。新型コロナウイルス感染が収束しない中でも、主催者側や政府・東京都は、開催の姿勢を崩していない。一方、運営を支える関係者は現状をどう見ているのか。メディカルスタッフの委嘱を受けている八巻孝之医師(宮城協会理事)に寄稿してもらった。
IOC・JOC・政府・東京都は、「開催」以外の選択肢を排除し続けている。直近のIOCの言動は、世論の反感を呼ぶばかりだ。最終的には新型コロナウイルスの感染状況によるが、変異株の感染爆発などが起こらない限り、方針を変更することはないだろう。
政府のコロナ対策分科会の尾身茂会長は、6月2日衆院厚労委員会の場で、東京五輪開催について「いまの状況でやるというのは普通はない」と明言した。さらに、「規模をできるだけ小さくして管理体制を強化するのは、主催する人の義務だ」とも強調した。政府が集めた専門家集団のトップが真意を語ったところに好感が持てる。
菅首相は、高齢者への接種を7月末までに完了すべく大号令をかけている。しかし、東京五輪の開催は7月23日である。頼みの綱のワクチン接種は、効果が出るのが1回目の接種から約2週間後と言われており、変異株についても2回の接種を終えないと十分な効果が出にくいというデータもある。
つまり、少なくとも6月末までに1回目の接種を終えておかねばならない。さらに、約3600万人の高齢者に対する優先接種が完了しても、国民の過半数には程遠い。このような進捗状況では、五輪開催に強い不安を感じる世論は至極当然だ。どう考えても日常が回復されていない緊張した事態での開催ということになる。
東京大学の経済学者のグループがシミュレートした五輪開催による感染拡大への影響では、10月の第2週には1日の感染者が五輪中止の場合と比べて781人増え、1,601人になるという。
人流の徹底的な抑制に失敗すれば、五輪終了後の東京都内には再び緊張状態が訪れることになり、国民の命と健康にとっても、経済にとっても、極めて良くないシナリオと言える。今回の試算には感染力が高いとされるインド変異株の影響は含まれていない。
五輪開催まで100日を切った今年4月の時点で、開催する姿勢を全く崩さない政府に対して、保団連は、感染拡大・医療逼迫を招く五輪開催の速やかな中止を求めた。宮城協会理事である筆者も、コロナ収束に全力を挙げるべきであるという保団連の強い要求に全く異論を持たない。
大会期間中に感染が拡大しワクチンの効かない変異株などが確認されれば、東京開催は五輪の歴史に大きな汚点を残し、五輪存亡の危機に瀕することにもなりかねない。五輪終了後のパンデミックがかなりの確率で起こると考えたほうがよい。
そもそも、オリンピックの目的は「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てること(オリンピック憲章)」というものだ。
筆者は、スポーツ協会公認・日本障がい者スポーツ協会公認のスポーツドクターである。約1万人の大会ボランティアが辞退した中、JOCからメディカルスタッフの委嘱を受けているが、国内の緊張が収まらぬ中、オリンピズムの目的とかけ離れた開催ありきの姿勢を未だに理解できていない。
1984年ロサンゼルス五輪以降、五輪は「金のなる木」であり、商業主義に毒されてきたその歴史は周知の事実である。JOCは、開催経費を1兆6440億円と見積もっているが、関連費用を考慮すれば約3兆円とも計算されている。日銀の試算する経済効果はその10倍である。
招致競争が過熱するのも当然だが、一方で、最近は五輪に立候補する都市が激減しているのも事実である。「人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てる」ものとして、五輪が発展途上国の経済成長に寄与することは、今後、果たして起こり得るのだろうか。
コロナ以前からの伝統的な五輪のキャッチフレーズを持ち出した菅首相には政府内からも「今さらだ」と苦言が漏れる。ただでさえ、東京五輪の意義は、安倍前政権時代から「東日本大震災からの復興五輪」「人類が新型コロナに打ち勝った証」などと変遷してきた。国民が共感できないのも無理はない。
何のための五輪開催なのか、東京五輪の理念は何なのか、現況における極めて重要な観点が不透明になっている。五輪のレガシー(遺産)を語る開催ありきの関係者には、東京開催の真のレガシーを問いたい。
筆者は、それを人間と環境に優しい社会づくりだと考えてきた。また、東日本大震災からの「復興五輪」がその言葉通りのものになることを願ってきた。しかし、震災から10年経ってもまだ故郷に帰還できない人がおり、福島第一原発の処理水の問題にも厳しい目が海外から注がれている。
大会関係者はコロナ禍に苦しみ、悩みながら歩んできた。努力してきた選手や関係者の顔も浮かぶ。しかし、東京五輪を推し進める側の姿勢を目の当たりにすると、一か八かの賭けに挑む情熱は日本社会のどこにも残っているとは思えないし、この賭けに負ければ犠牲になるのは国民の命と生活なのだ。
メディカルスタッフを辞退する意思を固めつつある筆者にとっても、人間の命と健康を最優先に考え、中止の決断を下すという経験こそ、東京五輪の真のレガシーと言えそうである。
以上