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物語の中の社会 フィクションから今を知る
第1回 「男らしさ」の現在地

全国保険医新聞2022年3月15日号より)

 

文筆家・西口 想

 広がる格差と貧困、つづく差別や偏見、ハラスメントなど、誰もが不安を抱えながら暮らす現代社会。文筆家の西口想氏が、そうした今のリアルを踏まえた映画・小説などを紹介し、より良く生きるヒントを探る。

 

 映画や小説などのフィクション作品について、よく「エンタメ」と「社会派」といったカテゴライズがされる。何も考えず楽しめるのが娯楽(エンタメ)作品、現実の社会問題に鋭く迫るマジメな作品が社会派作品である、と。この二分法は作品の雰囲気を伝えるのに便利だ。しかし、観客や読者として物語を楽しむときはいつも、娯楽と社会、どちらの要素も重要である。私たちはどんなに荒唐無稽なストーリーであっても社会的な何かを読み込んでいる。
 さまざまな物語作品に触れることには、世界と自分との距離をチューニングしてくれるような効果がある。この連載ではそんな観点から作品を紹介していく。

日本映画初のアカデミー賞作品賞にノミネート

©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会。全国ロングラン上映中

 3月28日に発表される米アカデミー賞に濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』(2021年)が4部門でノミネートされ、話題を呼んでいる。作品賞にノミネートされる日本映画は史上初だ。
 韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が2020年の同賞を席捲したのを彷彿とさせるが、同作が韓国の格差社会をテーマにしたように、『ドライブ・マイ・カー』にも今の日本社会を反映した主題がある。いわゆる「男らしさ」、今日の男性性というテーマである。

リベラル男性が抱える「不調」

 映画『ドライブ・マイ・カー』は村上春樹の同名短篇小説集を原作に、大きく脚色された物語だ。
 舞台演出家・俳優の家福悠介(西島秀俊)が広島の演劇祭に招聘され、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を滞在制作する。愛車のサーブ900で宿から稽古場まで通うつもりだったが、劇場の事故防止規定により若い女性ドライバーに運転を任せなくてはいけない。
 車と運転にこだわる家福は渋りつつ寡黙なドライバー・渡利みさき(三浦透子)の見事な運転技術を認め、少しずつ話をするようになる。C・イーストウッドの作品などに顕著だが、男性性と車(の運転)の関係には映画史的な厚みがある。女性に運転を譲ることだけでなく、家福が座る座席の位置にも注目したい。
 彼は2年前に急病で妻を亡くして以来、喪失感を抱えながら暮らしていた。何より、妻が浮気をしていたのを知りながら、見てみぬふりをして「良い夫」を演じてしまった自分をうまく受け止められない。折しも、舞台のオーディションに妻と親密だった 若い俳優・高槻耕史(岡田将生)がやってきて、物語は緊迫していく。
 家福は、家事も仕事もパートナーと分担し尊重し合うリベラルで現代的な男性だ。この作品で問われているのは、ひと昔前の家父長的でマッチョな男らしさというより、今の共働き世代がアップデートしたはずの男性性の不調である。深く傷つきながら自分が傷ついたことに気付けない、だからそれを相手に伝えられない、そこから新しい関係を始められない、といった限界を、今の「男らしさ」も抱えているように思う。
 個人的で静かな物語ゆえに、むしろ今の社会を生きる人びとの息遣いを感じる。約3時間のドライブがあっという間に過ぎる、20年代を代表する作品だ。


 にしぐち・そう 文筆家・労働団体職員。著書に『なぜオフィスでラブなのか』(堀之内出版)

以上

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