沖縄県本土復帰50年
玉城デニー知事インタビュー
1972年、沖縄県が米軍統治から日本に復帰した。しかし、「無条件かつ全面復帰」ではなく、「基地付き復帰」であったために、沖縄は米軍基地が生み出す問題に苦しみ続けてきた。今年は復帰50年の節目だ。米軍基地問題を、日本全国の課題としてあらためて考えたい。玉城デニー沖縄県知事に、保団連の天谷静雄理事が話を聞いた。(インタビュー全文は『月刊保団連』8月号に掲載)
過重な基地負担
天谷 はじめに、沖縄への基地負担の集中の実態について教えて下さい。
玉城 戦後、沖縄を占領した米軍は、「銃剣とブルドーザー」で住民を追い出し、家を破壊し、田畑を潰して新たな基地を造っていきました。
沖縄県民は、50年前、本土復帰によって米軍基地も「本土並み」になるものと期待しておりました。しかし、戦後77年を経た現在もなお、国土面積の約0・6%しかない沖縄県に、全国の米軍専用施設面積の約70・3%が集中しています。
1972年の基地従業員が米兵にライフルで射殺される事件、73年の米軍戦車に女性がひかれて亡くなる事故、83年のタクシー運転手が米兵2人に刺殺される事件、95年の少女暴行事件、2004年の普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故、16年の米軍軍属による女性暴行殺人事件など、米軍基地から派生する事件・事故が後を絶たず、県民は過重な基地負担を強いられ続けています。
県民の願い
天谷 県民の願いをどのように受け止めていますか。
玉城 県民は、目に見える形で基地負担の軽減が実感できるよう、基地の整理・縮小を求め続けているものと理解しています。
辺野古新基地建設については、大きな争点となった2度の県知事選挙で反対の意思が示されました。19年2月に行われた辺野古埋め立てに絞った県民投票では、投票総数の71・7%という圧倒的多数の反対という結果も示されました。
辺野古新基地建設の是非は、9月の県知事選挙でも大きな争点の一つになると考えております。
天谷 沖縄経済は基地関係の収入に依存しているという見方もあります。
玉城 本土復帰前は、基地関連収入により支えられた時期があったとは言えますが、軍関係受取(軍用地料、軍雇用者所得、米軍等への財・サービスの提供)が県経済に占める割合は、18年度では、5・1%(約2500億円)です。復帰直後の15・5%から比重は大幅に低下しています。
今後、返還が予定されている基地の跡地を有効利用した場合の直接経済効果は、現在の基地関連収入を超えると見込んでいます。
国民が「自分ごと」として
天谷 玉城知事は辺野古新基地建設の中止を一貫して求めてこられました。そのために、私たち沖縄県外の国民も含めて、何が求められているでしょうか。
玉城 県としては、日米両政府に対し「辺野古が唯一の解決策」との固定観念にとらわれず、真摯な対話に応じていただくよう求めているところです。
また、日米安全保障体制が重要であるならば、その体制を支える米軍基地負担のあり方についても日本全体で議論し、辺野古新基地建設、日米地位協定などの問題について、国民の皆様それぞれが「自分ごと」として考えていただくことが重要であると考えております。