連載 選択的夫婦別姓(10) 名前は人権 

第10回 名前は人権

黒川 とう子(第3次選択的夫婦別姓訴訟原告)

事実婚は「自由な選択」の結果か

パートナーと2007年末に事実婚を始めて17年になる。この人と長く一緒に暮らしたい! と思った時に結婚を考えたが、はたと「この国ではどちらかが苗字を捨てて、相手の苗字にしなければならないのか」と思い至った。でも、なぜ? 生まれてからずっと、この苗字と名前の組み合わせで生きてきた。それはもう自分そのもの。相手に苗字を捨ててと強要もできず、事実婚を選ばざるを得なかった。
ところが選んだその道は、不安や不利益と背中合わせの、まさに薄氷の上を歩くような道。たとえ長く家族として暮らしても、人生のあらゆる場面で「法律上の正式な夫婦でない」と突き付けられ、突き落とされる。さらに2人とも年を重ねると将来への不安は高まるばかり…。
事実婚と言うと「不利益を承知で選んだんでしょ」と言う人もいるが、自分の名前を大事にしたいという思いと引き換えに、なぜこんなに過酷な状況を強いられなければならないのだろう。そして第1次、第2次選択的夫婦別姓訴訟は、夫婦同姓の強制を合憲とした上で、国会で決めよとボールを投げたが、国会は一向に動かない。このままでは、今中学生の娘の代まで同じ状況で苦しむことになる?!と、第3次訴訟の原告になることにした。

子どもがかわいそう?

また選択的夫婦別姓の議論で必ず出てくるのが「子どもがかわいそう」。娘もたまに受ける取材で毎度聞かれるのは「いじめられないか?」「困ったことはないか?」そして「かわいそうと言われることをどう思う?」の3つ。前者2つへの答えは「ありません」、最後の問いには「そんなこと思ったことない。なんでそんなこと聞くの?」。周りには国際結婚家族、ステップファミリーなど親子で苗字が違う人がいるし、世界ではそれが当たり前。親子で苗字が違う=かわいそう、という「まなざし」こそ問うてほしい。

女性の違和感はなぜか「当たり前」

提訴後、先日結婚して相手の姓に変えた女の友人が「私が変えて当然という空気だから変えたけど、違和感や嫌だなと思う気持ちを大事にしていいと思えた」と言ってくれた。今の婚姻制度の裏には、このような「違和感」や「嫌だな」があふれている。もちろん大きな苦しみも。しかも、女性がそういう思いをすることはなぜか「当たり前」で、取るに足らないものとされている。この訴訟が問うのは、「自分の名前を大事にしたい」という思いは大切にされるべきだし、人権の問題だ、ということだ。

(全国保険医新聞2024年9月5日号掲載)

(くろかわ・とうこ)

仮名。第3次選択的夫婦別姓訴訟原告。パートナーの根津充も原告。根津とは2007年末から17年事実婚をしている。中学生の娘を育て中。週末に家族でドラマを見ることと夕暮れ時のベランダでの晩酌をこよなく愛する。