第102回 開業医から再び勤務医へ

勤務医コラム 第102回 開業医から再び勤務医へ

私は、1977年に大学を卒業しました。一般外科に進み、12年間の勤務医生活後退局、妻の実家の外科医院を承継するために麻酔科に再入局し、4年後に開業しました。入院・外来ともににぎわってましたが、次第に外来患者さんが減り、職員のやり繰りが難しくなり、入院を止め、外来のみとし、義父の死亡後5年で閉院しました。コロナ禍前のことでした。
65歳過ぎての閉院で、以前麻酔科に所属していた愛野記念病院の理事長に相談したところ快く常勤で迎えていただきました。最新の医療や電子カルテに馴染めるか不安でしたが、ドクター、ナース、その他のスタッフの助けを受けて勤務医として医療に携わるようになりました。
最初は、整形の麻酔、週1回午後の整形外来、リハビリ担当でしたが、次第に仕事が増えて現在は特別養護老人ホームの配置医師と健診プラザの診察が主になりました。
長崎市の自宅から、高速道路、自動車専用道路を経由して約50分の通勤時間です。車を買い替えましたので自動速度リミッターやクルーズコントロールにて一定のスピードで前車の後ろを安全に走っています。週に2〜3回はJRと島原鉄道に乗って通勤し、本を読み列車内の雰囲気や水田、稲刈り自然を味わっています。
健診では食事、運動、生活指導をしますので自分の健康を考えて模範的生活を心がけ、毎週水曜日は休みをいただき、公共の乗り物を利用して雲仙登山や、島原半島の観光地巡り・ウオーキングを楽しんでいます。
医療現場はコロナ後に激変しました。開業医、勤務医共に現在の体制を続けることは困難です。高齢化対策、コロナ対策、患者減対策、薬剤不足対策と同時に、勤務医には勤務時間の制限、開業医には保険証の廃止とマイナ保険証対応が、さらに重くのしかかかります。
私は71歳ですが、月2回の整形外科当直と、入所者や医療現場での負担軽減のために施設での看取りを行い、少しでも過疎地域の医療に貢献できればと思ってます。

山下紀夫

愛野記念病院勤務。元長崎県保険医協会理事