特集「歌の効用」
歌は世につれ、世は歌につれ。人類の歴史は歌と共にあった。技術の習得なしに演奏できない楽器と違って、歌うことは誰でもできる。もちろん、仲間と一緒に練習に励み、人前で披露する喜びもあるが、自分のために歌うのであれば、鼻歌でもいいし、うまく歌う必要もない。楽しみ方は人それぞれ。そんな、私たちが普段、何気なく歌っている歌に今回は焦点を当ててみたい。待合室でのコンサート、歌が脳に及ぼす効果を応用した音楽療法、学校の授業・講義における歌の活用、歌謡曲による過去の追体験──など、幅広い視点から「歌の効用」を考える。
医師がオペラ歌手になるとき
子どもの頃から音楽が好きだった筆者は、40歳代で開業してから本格的に声楽を学び始めた。遅いスタートではあったが、声楽とスポーツとの共通点に気づいて、スポーツ医学の視点を取り入れながら発声トレーニングを重ねた。一般的なテノール歌手の寿命とされる50歳代をはるかに超えた今でも鍛錬を続けている。各種コンサートに出演するだけでなく、クリニックの待合室でコンサートを開催。医師と患者との間にある垣根は、歌の力で取り払うことができると感じている。
北山 吉明
歌が脳に及ぼす作用と音楽療法──失語症からの回復を中心に
言語能力のほぼ全てを喪失した失語症患者でも、馴な染じみの歌をスムーズに歌うことがある。発話では脳の左半球、歌唱では右半球が主に活性化するため、こうした歌唱が脳に及ぼす作用を生かして、失語症患者に対する音楽療法が行われている。しかし、ただ漫然と歌を歌うだけでは効果はほとんど望めないため、エビデンスが確立した音楽療法を知っておく必要がある。本稿では、歌唱のリズムや節回しを生かして開発されたメロディックイントネーションセラピー(MIT)を中心に解説する。
佐藤 正之
歌による口腔機能の向上とストレス解消
食べる、飲み込む、味わう、話す、笑う、歌うなど、私たちが日々意識をせずに行っているこれらのことができなくなったら……。口腔は、その中や周囲だけでなく身体機能の維持や記憶・学習能力、QOLに深く関わっている器官であり、その老化はメンタルヘルスにも影響を及ぼすことが知られている。このような口腔の機能をどのように維持するかが模索される中で、歌唱は口腔機能を向上させる手段として最も効果的でかつ手軽に行える利点を有することが明らかとなってきた。
斎藤 一郎
「歌う生物学者」は、なぜ授業中に歌うのか 論理とイメージがつながる瞬間
筆者は生物学の授業の内容に沿うオリジナルソングを作って、授業で歌ってきた。本稿では、その経験を基に歌の効用について述べる。歌にすると覚えやすい。歌が入る授業は学生のリズムに合う。歌により授業の全体像と、どこが重要かを学生に与えられる。科学は論理のみで話を進めていくが、それだけでは心底分かったという感覚は得られない。主題に対するイメージを得ることが必要であり、歌によって論理とイメージを一致させると、大きな納得感をもたらすことができる。
本川 達雄
昭和歌謡と甦る時代の記憶 かつて、誰もが知っている歌があった
かつて、同時代を生きる人々であれば、世代を問わず誰もが知っている歌があった。今から振り返ると、そんな戦後に流行した「昭和歌謡」には時代の記憶が色濃く反映されていることが分かる。一方、単なる懐古趣味にとどまらず、逆に若い世代にとって新鮮に響く作品もあり、近年は1970年代後半から80年代のシティーポップが再評価されつつある。本稿では、古本と「昭和」の文化をこよなく愛する筆者が、テレビの普及とともにお茶の間で親しまれた数々のヒット曲と、その時代を駆け足で振り返る。
岡崎 武志
文化
薬の発明よもやま話 第2回 毒薬から生まれた強心薬
ある程度以上の生物活性があり、医薬として応用できる物質には、全て「毒」としての側面がある。逆に言えば「毒にならないものは薬にもならない」のだ。人類の長い歴史の中で「毒薬」として知られた物質から貴重な治療薬が生まれた例は少なくない。興味ある実例のいくつかを紹介しよう。まずは毒とは裏腹に、しばしば起死回生の役割を果たす強心薬から始める。
笠原 浩